高校野球
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高校野球
III. 戦前の中等学校野球

第1回全国中等学校優勝野球大会は予選参加73校、出場10校でおこなわれ、京都第二中学が優勝。黎明期(れいめいき)には1918年の第4回大会が米騒動により中止になるというエピソードものこっている。甲子園球場がつかわれるようになったのは24年の第10回大会からで、1、2回大会は豊中運動場、3~9回大会は兵庫県西宮市の鳴尾運動場がつかわれた。また、29年(昭和4)の春の大会からは入場行進時の校名プラカード先導、勝利校の校歌吹奏、校旗掲揚がはじまり、現在の甲子園大会に近い大会となった。のちにアルプススタンドとよばれる巨大な外野スタンドを増設したのもこの年である。

このころ活躍したのは和歌山中学、広島商業、中京商業、海草中学、第一神港商業などで、いずれも春もしくは夏の大会で連覇(中京商業は夏の大会3連覇)をはたしている。もっとも有名な試合は1933年夏の大会準決勝、中京商業対明石中学戦で、中京の吉田、明石の中田の投げ合いは0対0のまま延長25回、試合時間は4時間55分にもおよび、最後は1対0で中京商業が制した。39年の夏の大会では、海草中学の島清一投手が決勝までの5試合をすべて完封するという快技を演じている。