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| IV. | 戦後の高校野球 |
第2次世界大戦のために1941年の春の大会を最後に中断していた甲子園大会が再開されたのは、46年の夏の大会から。学制改革によって、48年以降は高等学校野球とよばれるようになった。そして、53年夏の大会からテレビ放送がはじまったことで人気も急激に高まった。参加校も飛躍的にふえ、63年に2000校、78年に3000校を突破、2006年(平成18)の夏の大会には4112校が参加した。
優勝校の中では、法政第二高校が1960年(昭和35)から61年にかけて夏春連覇、62年には作新学院が史上初の春夏連覇を達成した。58年の夏の大会の準々決勝では魚津高校の村椿輝雄、徳島商業の板東英二の両エースがなげあい、延長18回引き分け、翌日再試合になる熱戦をくりひろげて日本じゅうをわかせた。
1966年には中京商業が春夏連覇。69年夏の大会の決勝では、三沢高校の太田幸司と松山商業の井上明の両投手が延長18回をなげあい、引き分け。史上はじめて決勝戦の引き分け再試合となった翌日の試合では松山商業が4対2でかち、夏の大会3回目の優勝をはたした。74年夏の大会からは金属バットの使用がみとめられ、打のチームが優勝をさらうようになった。82年から83年にかけて夏春連覇をなしとげた池田高校、87年に春夏連覇をはたしたPL学園などが好例である。しかし、松坂大輔投手を擁して98年(平成10)に春夏連覇を達成した横浜高校のように投手力で他校を圧倒したチームもある。
2006年の夏の大会決勝は、初優勝をねらう早稲田実業と3連覇をめざす駒大苫小牧が激突。1対1で延長に突入した投手戦は両者ともにゆずらず、延長15回で引き分けとなって37年ぶりの決勝再試合がおこなわれることになった。翌日の再試合では斎藤佑樹投手ひきいる早稲田実業が優勝、伝統校に初の優勝旗をもたらした。