| 怨霊 | 項目ビュー | ||||
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| II. | 疫病と社会の混乱 |
平安前期には、のちの平城天皇が皇太子の時代に長く病いにふせっていたのは、藤原種継暗殺事件に連座して、淡路にながされ、その途中でなくなった早良親王の怨霊のたたりであるとされ、親王の怨霊をなぐさめるためにさまざまな手立てがこうじられた(→ 長岡京)。しかし、日本の歴史上、もっとも名高いものは、菅原道真の怨霊である。道真がなくなったころには、疫病がくりかえし流行していたが、疫病は怨霊によるものと考えられていた。京都の祇園祭も、896年(寛平8)に怨霊をしずめるためにおこなわれた御霊会(ごりょうえ)(→ 御霊信仰)にはじまるとされている。疫病は、現代でいえば伝染病にあたるが、当時の医学水準では、疫病を病原菌による伝染病としてとらえる知識がなかった。そのため、疫病の原因として怨霊がもちだされたわけだが、その背景には政治的な争いや社会の混乱があったとみることができる。