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レコード
I. プロローグ

円盤につけた螺旋(らせん)状の溝の凹凸を針先でなぞり、そこから生じる機械的な振動を空気の振動にかえて音声、音楽として再生する装置、またはその記録媒体である円盤。1877年、アメリカのエジソンによってスズ箔(はく)をまいた円筒を手回しで回転させ、その機械的振動を音声にかえる最初のレコードと蓄音機が発明された。その後、厚紙にろうをぬったろう管式の円筒が登場。第1次世界大戦後に円筒が円盤状のレコード盤にかわって、現在にいたっている。レコード盤になったことによって情報の蓄積容量が増大し、大量複製も可能となった。1980年代に音楽CDが登場するまでは音楽メディアの主役として、音楽文化の普及、音楽産業の振興に貢献した。

II. 技術の発展と歴史

初期のレコード録音では音を増幅させる技術がなく、音波の振動を直接レコード盤に溝としてきざみこんでいた。そのため録音の際にはできるだけ大きな音を出すことが必要で、音質もよくなかった。その後、1925年にアメリカのマックスフィールドらが電気吹き込み技術を開発。電気信号による増幅技術が発達し、音質も向上した。そのころのレコード盤は天然樹脂(シェラック樹脂)を使用したSP(スタンダード・プレー、ショート・プレーの略称)盤で、1分間に78回転ときまっていた。回転するレコード盤の溝に針先がふれると、その振動がダイヤフラムをとおして空気を振動させ、空気振動が導波管をとおって方向がそろった音波となり、ラッパ状の拡声器をとおして音声や音楽を再生した。

第2次世界大戦後はSP盤にかわって塩化ビニル(塩ビ)製のレコードが全盛をむかえる。塩ビレコードは1931年にアメリカのRCA(現、ゼネラル・エレクトリック)が試作品を開発していたが、48年に1分間45回転・直径17cm(7インチ)で録音時間が片面4分30秒のEP盤が登場。その後、さらに長時間録音が可能な1分間33回転・直径30cm(12インチ)で録音時間が片面24分のLP盤もつくられた。また、のちにはLP盤のサイズで1分間45回転、録音時間が片面18分のいわゆる12インチ・シングルも登場する。

塩ビをつかったEP盤、LP盤は軽くてわれないほか、加工が容易で微細な音溝が再現できるため、音質がよく針の摩擦音が少ないといったSP盤にないすぐれた特徴があった。また、このころには、針先の振動をコイルと磁石によって電気信号に変換し、これを増幅してスピーカーから音を出す電気蓄音機が登場。音の再生方式も、それまでのモノラルだけでなく、臨場感あふれる立体的な音を出すことができるステレオ再生技術が開発され、同時にステレオ録音されたレコードも登場した。オーディオ機器:レコーディング

日本の塩ビレコードの生産は高度経済成長の波にのって増加の一途をたどり、1970年代半ばには年間2億枚に達した。だが、80年代には新しく開発されたCDにその座をうばわれ、現在国内大手のレコード会社はすべてレコード盤の自社生産を中止している。しかし、ジャズ・ファンやクラブDJなどアナログ・レコードを愛する人たちも根強くのこっており、東洋化成(横浜市鶴見区)のレコード部門が国内で唯一レコード会社からの委託生産をおこなっている。

III. 音楽とレコード

エジソンが円筒形レコードをつくったとき、社員をあつめて最初に聞かせた音楽は「メリーさんの羊」だった。しかし、当初エジソンは音楽の記録や再生にはそれほど強い関心をもっていなかった。1年後に彼はレコードの用途として考えたことを書きのこしているが、それは、速記の代用、目の不自由な人のための朗読、外国語の学習など、おもに言葉の記録を念頭においたものだった。

1. 音楽録音の歩み
1.A. 世紀末の円盤レコードが普及

レコードが音楽の記録・再生媒体として広く注目されるようになったのは、お金をとってレコードを聞かせる業者が生まれ、量産のきく円盤式レコードが普及しはじめた世紀の変わり目ごろからだった。円盤式を採用したイギリスのグラモフォン社の技師フレッド・ガイスバーグは1900年にヨーロッパ各地に商業用レコードの録音旅行に出かけたが、その時点で同社のレコードのカタログはすでに5000点をこえていた。彼はさらに02年から翌年にかけてアジア各地を歴訪し、1700点の録音をのこした。また、ハンガリーの作曲家バルトークのレコードによる民謡(民俗音楽)の記録も1900年代にははじまっていた。

日本人がふきこんだもっとも古いレコードは、以前はガイスバーグが1903年に来日したときの録音とされていた。しかし1900年のパリ万国博(博覧会と展示会)に出演した川上音二郎一座がグラモフォン社に「オッペケペ節」「追分」「長唄」などをふきこんでいたことが、95年にアメリカ人研究者によって発見された。

1.B. 電気録音で演奏が多様化

1925年に電気録音方式が導入されて音質がよくなると、音楽のレコード化が急速に進行する。クラシックでは、それまでソロや小編成楽団の演奏が多かったが、大編成のオーケストラによる交響曲などの録音がふえた。ポピュラー音楽でも、アルゼンチンのタンゴ、アメリカのジャズ、ブラジルのサンバ、キューバのソンなど、20世紀を代表する音楽のレコードが10~20年代に次々につくられた。日本では歌謡曲第1号とされる「カチューシャの唄」のレコードが14年に登場した。

レコード盤に音声を直接記録していたころは、歌手は声が大きくなければならず、レコード界初のスーパースターは声量豊かな美声で知られたオペラ歌手カルーゾーだった。しかし電気録音がはじまると、声量がなくてもマイクを効果的につかって表情が出せるようになり、ビング・クロスビーなどによってソフトにささやくようにうたうクルーン唱法(クルーンには感傷的にうたうという意味もある)が広まった。日本では藤山一郎がその唱法の影響をうけて、32年に「影を慕いて」をふきこんだ。

1.C. ラジオ・映画タイアップの開始

1920年代にアメリカでラジオ放送がはじまるが、当初はレコードと競合すると思われていた。しかしレコードはラジオの番組制作簡略化に貢献しただけでなく、音楽が放送されることによって、多くの新たな聞き手を獲得した。20年代後半にトーキー映画が、40年代以降にテレビが登場したときも、歌手や演奏者の出演がレコードの売れ行きを左右することから、主題歌や挿入歌のタイアップがすすんだ。

1.D. 音楽と聴衆の関係も変化

レコードの普及により、世界各地の音楽は時間や場所をこえてより多くの聴衆に聞かれるようになった。ニューヨークのブロードウェーの劇場、ロンドンのミュージック・ホール、パリのカフェ・コンセールなどでうたわれた歌や、コンサート・ホールで演奏されていた交響曲が街にながれ、家庭に入りこんできた。それは音楽のあり方の大きな変化を意味した。

生演奏や楽譜で音楽が流通していた時代とことなり、都市部で商業的に制作される音楽と地域に密着した民謡などとの分離がすすんだ。また、レコードやラジオや映画を通じて特定の演奏者や歌手とむすびついた曲がくりかえしながれることで、音楽家がスター化していく。新しいスターをつくりだそうとする音楽産業と聞き手の好みの移り変わりを反映して、流行のサイクルやスターの寿命がちぢまった。さらに、音楽が大量生産向けに均質化する傾向や、聞き手が受動的な消費者になる傾向も出てきた。レコードが音楽家と聞き手の健全な関係を破壊するという批判がなされる一方、ピアニストのグレン・グールドのように演奏会をおこなわずにレコードだけ発表する演奏家も登場した。

2. 技術の進化と新しい音楽の誕生
2.A. 1950~60年代

レコードの技術史は、音楽をできるかぎり生演奏に近いかたちで記録し、臨場感のある再現をめざす歴史だった。その中で、ハイファイやステレオ録音の技術が工夫され、発展していく。1950~60年代に日本で人気があったレコード・コンサートや音楽喫茶は、再現性の高さを売り物にしていた。その技術の追求は、おもにクラシックやジャズの分野で、今も盛んにおこなわれている。

1950年代に普及した磁気テープ録音でも、もちろん音質が重要視された。しかしテープ録音が画期的だったのは、生演奏だけによらない音楽づくりに道を開いたことにある。テープレコーダーの登場以後、現代音楽では録音素材をコラージュしたミュジーク・コンクレート(具体音楽)の作品やテープ・ループでくみたてた実験的な作品が次々に生まれた。ポピュラー音楽では、当初は演奏のやり直しや、出来のいい録音をつなげるのに利用される程度だった。しかしマルチトラック・テープレコーダーが登場すると、一人二重奏など生演奏では不可能だった多重録音への道が開かれ、数多くのトラックに録音した演奏を加工しながらミキシングする技術が重要視されるようになった。

2.B. 1970~90年代

1970年代のカセットテープの普及も、音楽や社会に大きな影響をあたえた。開発途上国では、比較的安価なカセットテープレコーダーが高価なレコードを駆逐し、各地で新しいポピュラー音楽の誕生をうながした。79年のイランでは、パリに亡命中のホメイニー師のメッセージがカセットテープで次々にダビングされて広がり、イスラム革命に影響をあたえた。また、同じ年に商品化されたウォークマン(ソニー)などのヘッドホン・ステレオは、都市景観や人間関係にまで影響をあたえると話題をよんだ。

1980年代に入ると記録装置のデジタル化がすすみ、CD、LD、DAT、MD、DVDなどが次々に商品化された。SP時代に片面数分だった収録時間が、LPでは片面24分両面50分程度に、82年のCDでは60~70分にまで拡大された。収録時間の拡大はポピュラー音楽では収録曲数や曲の演奏時間への制限を大幅に減少させ、アルバムの構成にも大きな影響をもたらした。

1980年代以降、ポピュラー音楽の世界では、人間が直接楽器を演奏しないで録音されるテクノのような音楽がふえていく。ヒップホップではレコードとレコード・プレーヤーがブレーク・ビーツを生みだす楽器としてあつかわれるようになった。マルチトラック・テープレコーダーやサンプラーなどスタジオの機材を楽器のようにつかい、一度録音された音楽をリミックスしてまったく別の音楽につくりかえることも多い。これはミュジーク・コンクレートやテープ・ループの手法の普及版ともいえる。

2.C. 新たな音楽ジャンルの登場

国際的な音楽産業の系列化は戦前の大恐慌時代(恐慌)にはじまったが、戦後のベビーブーマーにささえられてロック市場が巨大化した1970年代以降は、多国籍大手レコード会社による寡占化がさらにすすんだ。しかし欧米や日本では、80年代以降の安価なデジタル楽器や録音装置の普及が、無数の自宅録音アーティストの誕生をうながし、多国籍大手レコード会社が生みだすスーパースターの音楽とは別に、アンダーグラウンドなインディーズのネットワークをつくりだしている。その中からは、ジャズや現代音楽のリミックス、聞き手が演奏と映像の組み合わせを選択できるCD-ROMなど、旧来のジャンルではとらえきれない作品も次々に登場した。

最近では、パソコンなど通信網の端末でごく容易に音楽をダウンロードできるなど、聞き手にとっての利便性はより高くなってきている。しかしその一方で、著作権管理などの新しい問題が発生している。→データ圧縮の「MP3」