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環境ホルモン
I. プロローグ

環境ホルモンの定義はまだ確定していないが、一般的には、人間をとりまく環境中に存在していて、ホルモンと類似の作用をしめし、それによって内分泌系を撹乱(かくらん)する人工的な化学物質をいう。正式には「外因性内分泌撹乱化学物質」とよばれる。

内分泌系とは、ホルモンとそれを分泌する内分泌腺(せん)をいう。内分泌腺は、脳下垂体や甲状腺、副腎、卵巣、精巣などに多く分布し、多様なホルモンを分泌する。ホルモンは、内分泌腺が標的細胞にはたらきかける(内分泌)際に放出されるシグナル伝達分子をいい、超微量で体の発達や成長、生殖、行動をたすける重要な働きをもつ。

II. 内分泌系撹乱のメカニズム

ホルモンは、標的細胞にある受容体(レセプター)を認識して、その受容体と結合して信号をおくるが、このプロセスを撹乱し、内分泌系を撹乱するのが環境ホルモンである。環境ホルモンによる撹乱作用には、本来はホルモンと結合すべき受容体に環境ホルモンが結合してしまうことによってホルモンと類似の作用をもたらす場合と、本来のホルモン作用を阻害する場合とが知られている。

PCBやDDT、ノニルフェノール、ビスフェノールA(樹脂の原料)などの化学物質は、女性ホルモンであるエストロゲンに類似した作用をもつといわれている。これらの物質が、エストロゲン受容体に結合することによって、エストロゲンと同じような反応が細胞にもたらされる。

一方、DDE(DDTの代謝物)やビンクロゾリン(殺菌剤)などはアンドロゲン受容体と結合し、男性ホルモンであるアンドロゲンが受容体と結合するのを阻害する抗アンドロゲン作用が知られている。

環境ホルモンによる生殖異常の問題は、1980年後半から92年にかけて、アメリカ合衆国やデンマーク、イギリスなどで同時におこり、新たな環境問題としてクローズアップされた。アメリカ合衆国の五大湖やその他の多くの地域で、野生動物に性器異常や生殖異常がみられたが、これはDDTをはじめとする農薬やPCBなどのエストロゲン様作用をもつ化学物質が原因ではないかと考えられた。

イギリスでは、河川で雌雄同体のローチ(コイ科の魚)がみつかり、エストロゲン様の作用をもつ化学物質が河川にながれこんでいるのではないかと考えられた。調査の結果、河川からエストロゲンおよび経口避妊薬のエチニールエストラジオールが検出され、ついで羊毛加工工場の排水からエストロゲン様作用をもつノニルフェノールが検出された。デンマークでは、過去50年間でヒトの精子数が半減したことが1992年に報告された。

1. あいつぐ告発

1996年3月には、アメリカ人科学者のシーア・コルボーン(WWFの科学顧問)らの「奪われし未来」(原題はOur Stolen FutureAre We Threatening Our Fertility, Intelligence, and Suvrvival )が出版され、環境ホルモンに対する関心が急速に高まった。97年にはイギリスBBCのプロデューサーのデボラ・キャドバリーが、「メス化する自然―環境ホルモン汚染の恐怖」(原題はThe Feminization of Nature Our Future at Risk)をあらわした(もとになったレポートの発表は1993年)。これらの著書は、多くの野生動物はすでに環境ホルモンの影響をうけていること、これらの化学物質は人体にも蓄積されていることを明らかにし、世界に大きな衝撃をあたえた。

III. 影響作用がうたがわれている化学物質

「奪われし未来」では、環境ホルモン作用があるとうたがわれている物質63種をリストアップしている。環境庁(現、環境省)の環境ホルモン問題に関する研究班の中間報告(1996年)では67種がリストアップされているが、これは、イボニシなど巻貝に生殖障害を生ずることが明らかにされたトリフェニルスズ(船底塗料や漁網の防腐剤)など3種をくわえたものである。環境省は2000年度(平成12)から、このうちの40種の物質についてリスク評価をはじめている。67種は、用途により以下の9つに分類できる。

1.工業活動の過程で非意図的に生産される化合物。農薬や有機塩素系化合物の製造過程やゴミの焼却、パルプの漂白などの過程で副産物として生成される。ダイオキシンやベンゾ(a)ピレンなどがその毒性や発癌性(はつがんせい)、難分解性のため、環境汚染物質として問題になっている。

2.工業的に過去に多用され、その後使用中止となったが、分解されにくいため現在でも環境中に残存しているもの。PCBなど。

3.プラスチックの材料や可塑剤として現在も使用されているもの。ビスフェノールAやノニルフェノール、フタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)など。ビスフェノールは、ヒドロキシル基(水酸基)-OHをつけたベンゼン環を1分子中に2個もつ化合物で、ポリカーボネートやエポキシ樹脂の原料として利用されている。しかし、アメリカ国立衛生研究所で、極低濃度でも生物に影響をあたえることがマウスをつかった実験から確認されている。また、DEHPなどのフタル酸エステル類は、それ自体は無害なポリ塩化ビニルの可塑剤としてつかわれている。

4.プラスチック関係以外の用途に工業的に利用されているもので、洗剤の界面活性剤や医薬品の原料、工業試薬(試薬)、合金半導体の製造などに使用されているもの。PBBやアルキルフェノールなど。

5.農薬類。現在は使用禁止になっているが、難分解性のため、環境中に現在でも残存しているもの。DDTやHCB(ヘキサクロベンゼン:殺菌剤、有機合成原料)、ディルドリン(殺虫剤)、アルドリン(殺虫剤)など。

6.現在日本で使用されている農薬類。シマジン(除草剤)やケルセン(殺ダニ剤)、アトラジン(除草剤)など。

7.現在日本で使用されていないが、外国で使用されている農薬類。DDTやアルディカーブ(殺虫剤)など。

8.過去および現在、医薬品として使用されているもの。

9.船の防腐剤として海洋汚染の原因となっているもの。有機スズのトリブチルスズやトリフェニルスズなど。

上記の分類をみると、農薬(殺虫剤、殺ダニ剤、除草剤、殺菌剤)が、67物質の中で43種と全体の64%を占めている。また現在、環境ホルモンとして新たに注目されている物質の多くは、すでに急性毒性や発癌性、催奇形性、慢性毒性などがあることが明らかにされていたが、今回、新たにホルモン撹乱作用もあることが明らかにされたものである。

このことから予想されるのは、今まで、発癌や催奇形性、慢性毒性と別々にとりあつかわれていた現象には、じつはホルモン撹乱作用が共通に関与しているのではないかということである。解明がすすまなかったこれらの現象の発現のメカニズムを、今後ホルモン撹乱作用の面からみなおすことにもなろう。

IV. ホルモン撹乱作用の特徴

環境ホルモン物質によるホルモン撹乱作用は、従来の毒性の概念ではとらえられない特異な特徴がある。それは第1に、環境ホルモンはppt(1兆分の1)といった微量でその作用があらわれることがある。たとえば、胎児の特定の時期や乳幼児、妊婦などがこれらの物質に暴露されると、通常ではおこらない生理機能、生殖機能の撹乱がおこる場合がある。

第2に、影響をうけた本人に毒性があらわれるだけでなく、世代をこえて影響があらわれることである。場合によって、胎児のときに暴露をうけた影響が成人になってから発現する場合もある。

第3に、環境ホルモンの場合、従来の化学物質の毒性評価があてはまらない可能性が高い。従来の毒性評価は、ほぼ大用量になればなるほど毒性が高くなるという考えでなされてきたが、ホルモンや微量元素などひじょうに微量で明確な作用をもつ物質の場合には、低用量や中用量、大用量といった量の変化によりその作用が質的に変化する。すなわち「逆U字型用量反応」という特性をもっている。通常の毒性試験では予測しにくく、低用量の毒性が問題になる。

V. 広がる汚染

環境ホルモンの問題は日本でも顕在化している。国立環境研究所の堀口敏宏氏の調査では、日本沿岸の94カ所において海産巻き貝のイボニシとレイシガイにメスがオスの性徴(ペニスや輸精管をもち、卵管に異変がおきる)をもつインポセックスがみつかり、この現象の原因は船底防汚塗料としてもちいられたトチリブチスズ化合物であることが明らかにされた。

また、全国各地の産業廃棄物処理場などのゴミ焼却炉の周辺では、高濃度のダイオキシン汚染がおこっていることが報告され、住民の健康障害が問題にされている。日本人の母乳中のダイオキシン濃度は世界でも高い値(成人許容量の6~7倍)をしめしている。厚生省(現、厚生労働省)も全国のゴミ焼却炉の排ガス中のダイオキシン濃度を公表した。ダイオキシンには抗エストロゲン作用などのホルモン撹乱作用があることは報告されているが、その詳細はまだ明らかではない。

ヒトの精子数の減少も報告されているが、精子数の測定法の標準化や、環境ホルモン物質の精子および精子形成への影響について因果関係を明らかにするには、今後さらに研究が必要である。

環境ホルモンは深刻な問題をはらんでいるが、日本においてはその研究や対策ははじまったばかりである。評価方法の国際標準化の試みが先進国で開始され、今後、人間をふくめた生物に対する個々の環境ホルモンの内分泌撹乱作用の有無や環境ホルモンと発癌性、環境ホルモンと慢性毒性、環境ホルモンと催奇形性との因果関係などを解明するための基礎研究が早急に必要である。

日本政府も1998年には総額180億円を環境ホルモン対策に投じることを決定した。そのうち68億円は調査・研究費にあてられる予定である。今後、大規模な環境ホルモンの実態調査や、因果関係を明らかにする基礎研究データの蓄積により、予防原則をふくめた手遅れにならない対策が講じられることが期待されている。

VI. 確認された影響

2001年8月、環境省は世界ではじめて、工業用洗剤の原料に広く利用されているノニフェノールが魚類のメス化に強い影響をあたえていることを確認した。実験では、ことなった濃度のノニルフェノールをまぜた水槽内で卵から2カ月の間メダカを飼育したところ、水1リットルに11.6µg(マイクログラムは100万分の1g)のノニルフェノールを混入した水槽のオス13匹のうち4匹にメス化が確認された。これらのオスでは精巣の一部に卵母細胞をもつ雌雄同体となっており、濃度が高いほどさらにメス化するオスの数はふえていた。さらに試験管実験では、ノニルフェノールはメダカの女性ホルモン受容体への結合性がきわめて高いことも確認された。環境省ではこれらの実験結果から魚類を中心とした生態系への影響の可能性をみとめ、生物への影響がない濃度を1リットル当たり0.6µgと算定しているが、ヒトへの影響は「ないか、あっても弱い」としている。

ノニルフェノールは1980年代にイギリスの河川で精巣に卵をもつ魚や、精巣が異常に小さなオスが発見されたことで、環境ホルモンとしての作用がうたがわれていた。そのためヨーロッパ諸国では使用削減への取り組みがおこなわれているが、日本では工業洗剤の界面活性剤の原料として2000年では1万6500t製造されている。かつては家庭用洗剤にも利用されていたが、1990年代後半から使用は中止されている。

1998~99年に環境庁(当時)が全国の河川や排水路、湖沼を対象に実施した全国調査では1574地点のうち617地点で検出されている。さらにそのうちの71地点で0.6µgの濃度をこえており、2地点では12µgをこえる濃度が検出されている。