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| I. | プロローグ |
仏教絵画の略称で、広く仏教関係の絵画全般をいう。狭義には仏教彫像(仏像)に対して同様の性格をもつ画像、礼拝の対象とされる仏教諸尊の画像をさす。仏教絵画は堂塔などの仏教建造物を彩画でかざる荘厳画(しょうごんが)にはじまり、同時に教化のためにもちいられて発展した。また法会や修法の本尊として礼拝にもちいられるようになった。古い時代の作例は、インドをはじめ中央アジア、中国の仏教石窟寺院の壁画にみることができる。インド西部のアジャンタ石窟には紀元前後にさかのぼる最古の壁画があり、中国新疆(シンチアン)ウイグル自治区のキジル石窟やベゼクリク石窟、甘粛省の敦煌莫高窟(ばっこうくつ)や炳霊寺石窟などの壁画が著名である。また中国、朝鮮半島、日本では紙や麻、絹などに描かれた遺例も多く、巻子、掛幅などの形式がある。とりわけ日本では、仏教絵画は質量ともに古代、中世絵画の主要な部分を占めている。
| II. | 材質・形式 |
| 1. | 壁画・板絵 |
日本では寺院は木造建築となり、土壁や板壁、柱、扉、天井などに彩画がほどこされた。白鳳時代の法隆寺金堂の壁画や奈良時代の栄山寺八角堂の柱絵をはじめ各時代に広くおこなわれた。奈良時代には刺繍による繍像や綴織(つづれおり)による織成像が制作され、平安時代には絹地を壁や障子にはりつけた貼付絵がおこなわれたが、主として堂内を荘厳するためのものであった。また木地に描かれたものに仏像の天蓋、光背、台座や厨子(ずし)などの彩画があり、飛鳥時代の法隆寺蔵玉虫厨子の彩画は密陀絵(みつだえ)と漆絵との併用技法になる。
| 2. | 紙本 |
紙本の遺例では奈良時代の絵因果経が麻紙に描かれているほか、平安、鎌倉時代の経巻の見返し絵や白描図像、同じく巻子装の社寺縁起絵や祖師絵伝があげられる。鎌倉時代には摺仏(すりぼとけ)などの仏教版画も制作された。また禅宗絵画には紙本墨画のものが多い。
| 3. | 絹本 |
麻布は奈良時代の遺例にみられ、薬師寺蔵吉祥天像などがある。絹本は平安時代以降もっとも多くみられ、まれに紫や紺に染めた絹ももちいられた。平安前期の神護寺蔵両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)は紫綾地に金銀泥絵の技法で描かれている。密教の経軌(きょうき)には制作のための作法が説かれており、画絹の調製には清浄で穢(けが)れのないこと、画工にも斎戒沐浴(さいかいもくよく)して清浄な画材をもちいて彩画することがもとめられた。そのため御衣絹加持(みそぎぬかじ)がおこなわれた。古記録によれば、まず画絹に対して阿闍梨(あじゃり)が加持をおこない、次にその上に絵仏師が水で尊像を描き、さらに阿闍梨が加持してのち、絵仏師がその像を完成させたという。絹本には掛幅装が多いが、屏風仕立などもある。掛幅は修法の際、仏台に掛けてもちいられたが、両界曼荼羅をかける灌頂堂(かんじょうどう)には東西に特別な壁面がもうけられた。
| III. | 主題 |
顕教画と密教画とに大別される。顕教画とは密教画以外のものの総称で、仏教絵画のはじまりより盛んに描かれた仏教説話図などの変相図、また浄土教や禅宗の絵画がふくまれる。他方、密教では修法の本尊として仏像より仏画がもちいられたため、もっぱら礼拝のための曼荼羅、尊像画が制作された。なお尊像画は顕教においても少なくない。
| 1. | 顕教画 |
| 1.A. | 変相図 |
経典の所説を絵画化したものを中国で変や変相といったが、日本では平安時代以降、密教の用語をかりて曼荼羅とよばれた。小乗系の本生図(釈迦仏の前生物語であるジャータカをあつかった図)、仏伝図、譬喩説話図(ひゆせつわず)のほか、大乗経典にもとづく説話図、変相図がある。これらは主として教化のためにもちいられ、絵解きをともなうこともあった。日本では小乗系の主題はあまりおこなわれず、本生図はわずかに玉虫厨子の台座絵にのこる。仏伝図も絵因果経のほかは涅槃図や釈迦八相図にほぼかぎられ、平安後期の金剛峰寺蔵仏涅槃図や京都国立博物館蔵(長法寺伝来)釈迦金棺出現図などがある。他方、変相図は、法華経関係では奈良時代のボストン美術館蔵(東大寺伝来)釈迦霊鷲山説法図や鎌倉時代の本法寺蔵法華経変相図などがあり、経巻の見返し絵にも経意のあらわされたものが多い。華厳経関係では善財童子の求法歴参図があげられる。
| 1.B. | 浄土教画 |
浄土教とは大乗仏教に説かれる諸仏の仏国土のうち、とりわけ阿弥陀仏の極楽浄土に対する信仰をいい、中国で唐時代に大成され、日本では平安後期から鎌倉時代にかけて隆盛した。浄土教画には浄土図、来迎図、六道絵などがある。
阿弥陀浄土図では、智光曼荼羅、清海曼荼羅、当麻曼荼羅が浄土三曼荼羅と称される。智光曼荼羅は奈良時代の僧、元興寺智光の感得とされる簡略な構成の浄土変相図で、原本はうしなわれたが鎌倉時代に描かれた元興寺極楽坊の板絵などの写本がのこっている。清海曼荼羅は平安中期の僧、超昇寺清海の感得とされ、これも原本はうしなわれて近世の写本が存する。奈良時代につたわった当麻寺蔵綴織当麻曼荼羅図は観無量寿経(観経)所説の説話や十六観をともなう複雑な観経変相図である。
阿弥陀来迎図は観経所説の十六観のうち九品往生観を典拠とし、観経変相図の一部が独立して発展したものである。平安後期の平等院鳳凰堂壁扉画の九品来迎図や高野山有志八幡講十八箇院蔵阿弥陀聖衆来迎図などがある。また阿弥陀三尊来迎図、阿弥陀二十五菩薩来迎図、山越阿弥陀図など多様な展開をとげた。
六道絵は浄土と対比される六道世界(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)のあらわされたものをいう。平安後期の地獄草紙、餓鬼草紙や鎌倉時代の聖衆来迎寺蔵六道絵などがある。そのほか六道の救主として信仰された地蔵菩薩や地獄をつかさどる十王、また二河白道の譬喩にもとづく図などがある。
| 2. | 密教画 |
密教とは大日如来を教主とする大日経、金剛頂経により体系づけられた教えをいい、象徴的な世界観をもつ教義と加持祈祷をおこなう修法とに特色がある。中国で唐時代に隆盛し、弘法大師空海により日本へつたえられた。平安時代以降、曼荼羅や尊像画、また図像の伝授や収集のための白描図像が盛んに制作された。
| 2.A. | 曼荼羅 |
曼荼羅は密教で諸尊を幾何学的に配置して構成された図をいう。大日如来を主尊とする両界曼荼羅と、特定の尊像を主尊とする別尊曼荼羅とがある。両界曼荼羅は大日経による胎蔵界曼荼羅と金剛頂経による金剛界曼荼羅との二図で一具をなし、根本の教義を図示するものとしてもっとも重んじられた。空海の請来本はうしなわれたが、高雄曼荼羅をはじめその写本がつたわる。別尊曼荼羅は主尊ごとにさまざまに構成され、かつ同じ主尊でも構成のことなるものがあるなど種類が多い。また尊像のあらわし方に尊形のほか三昧耶(さんまや)、種子(しゅじ)、羯磨(かつま)の四種がある。
| 2.B. | 尊像画 |
顕教の尊像はそのまま密教にとりいれられたが、密教像には多面多臂(ひ:腕)や忿怒相(ふんぬそう)などの特色がある。尊格により仏(如来)、菩薩、明王、天の四部にわけられ、明王は密教に特有の尊像である。独尊のほか脇侍(きょうじ:わきじ)や眷属(けんぞく)とともにあらわされた。仏部では釈迦、薬師、阿弥陀や密教の大日如来などがある。菩薩部では観音、弥勒(みろく)、地蔵などがあり、観音には密教化した像が多く、十一面観音は多面、如意輪観音は多臂、馬頭観音は忿怒相(ふんぬそう)をとる。明王部では不動をはじめ五大明王などがあり、平安後期の来振寺蔵五大尊像や東寺蔵五大尊像などがある。天部では四方を守護する四天王などがあり、密教では四方四維に天地日月をくわえた十二天へ展開した。平安前期の西大寺蔵十二天像や平安後期の京都国立博物館蔵(東寺伝来)十二天像などがある。
その他、十大弟子や羅漢(→ 阿羅漢)、諸宗の祖師や高僧、禅宗の頂相などの人物画があげられる。また垂迹画(すいじゃくが)にも、本地垂迹思想により垂迹神と本地仏とをくみあわせた本迹曼荼羅、本地仏のみをあつめた本地仏曼荼羅がみられる。→ 垂迹美術