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| II. | 沿革 |
明治新政府の太政官制度時代、勧業(産業促進)行政は大蔵省と民部省が担当していた。のち、1873年(明治6年)に内務省が設置され、所管事務は同省にうつされた。81年の農商務省の設置にともない、殖産・勧業関係の事務は同省の所管となった。
第1次世界大戦後、商工業の発展に対応するため、商工行政の独立がさけばれ、1925年(大正14年)4月、農商務省を分割して商工省(第1次)が設置された。
しかし、太平洋戦争下の1943年(昭和18年)11月、軍需生産増強と戦時下の国家統制強化のため、農商、軍需の2省が設置されたのにともない、両省に吸収・合併された。商工省の所管事務のうち、軽工業部門が農商省に、他の部門は軍需省に移管された。
敗戦後の1945年8月、軍需省の廃止にともない、商工省(第2次)が設置された。農商省も廃止され、商工部門は商工省にうつされた。
戦後の日本経済は、インフレがすすみ、経済建て直しが急務の課題だった。その課題にとりくんだのは、GHQ(連合国総司令部)財政顧問として来日したアメリカのデトロイト銀行頭取ジョセフ・ドッジだった。ドッジは超均衡予算のデフレ政策を指導した(→ ドッジ・ライン)。
そのため、商工行政も従来の物資増産中心の政策から、産業合理化・輸出振興中心の政策に転換がはかられた。1949年5月、そうした新たな通商産業行政を担当する機関として、商工省を改組し、通商産業省が設置された。
通商産業省は、設置後、日本の通商促進と産業の振興をおもな任務とし、国内産業の保護・育成にとりくんできた。そのため、多くの規制をもうけ、さまざまな行政指導がおこなわれた。しかし、これが諸外国、とくにアメリカとの経済摩擦をひきおこし、国内産業の競争的発展をさまたげる要因ともなった。
こうした反省から、中央省庁改革にあたり、経済産業省の役割は経済構造の改革を推進することにあるとされた。そのため、個別産業の振興や産業間の所得配分的な施策から撤退し、市場原理を尊重する施策に転換することになった。また、保護行政とさまざまな規制の撤廃・縮小にとりくみ、新規産業創出のための環境整備に重点をうつすことになった。