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厚生労働省
I. プロローグ

国の行政機関のひとつ。英語名称は、Ministry of Health, Labour and Welfare。2001年(平成13年)1月6日、厚生省と労働省の2省を統廃合し、厚生労働省設置法の施行にもとづいて新発足した中央官庁。

厚生労働省のおもな任務は、(1)国民生活の保障および向上をはかること、(2)経済の発展に寄与するために、社会福祉、社会保障、公衆衛生を向上・増進させること、(3)労働条件その他労働者のはたらく環境の整備と職業の確保をはかることなどとなっている。

その機能は幅広く、多岐にわたっている。おもに以下のような所管事務をあつかう。(1)労働基準・安全衛生、(2)労使関係の調整、(3)職業安定・雇用確保、(4)男女雇用機会均等、(5)職業能力の開発、(6)医療供給体制の整備、(7)保健医療対策、(8)医薬品の安全問題、(9)麻薬対策、(10)社会福祉・公的扶助、(11)高齢者・障害者の保健福祉、(12)児童家庭対策、(13)医療保険、(14)年金、(15)社会保険・労働保険。

厚生労働省の外局として社会保険庁(2010年1月までには解体)と中央労働委員会(労働委員会)がおかれている。また、厚生労働省所管の独立行政法人に、国立病院や国立療養所から移行した国立病院機構などがある。

II. 沿革

厚生労働省の前身である、厚生省と労働省は以下のような沿革をたどっている。

1. 厚生省としての歩み

厚生省は1938年(昭和13年)1月、内務省の衛生局・社会局の全業務、文部省の国民体力、逓信省の簡易生命保険、商工省の鉱山労働衛生の部門が移管されて設置された。

厚生省の設置は陸軍の強い要望によるもので、健康な強い兵士は、健康な国民から生まれるとの意向にそったものだった。設置当時の内部部局は、大臣官房、体力局、衛生局、予防局、社会局、労務局、臨時軍事援護部で、外局として保険院がおかれた。初代厚生大臣は文部大臣木戸幸一が兼任した。

ちなみに、厚生は、中国の古典「書経」に出てくる夏王朝の創始者「禹(う)」の「正徳、利用、厚生、惟(こ)れ和せよ」の言葉からとられた。暮らしを健康で豊かにするという意味である。

2. 労働省としての歩み

労働省は、1947年9月、厚生省の労働行政部門を分離して発足した。これは、日本の労働者の基本的権利をまもり、労働行政改革をすすめるGHQ(連合国最高司令官総司令部)労働諮問委員会の意見を反映したもので、労働者の立場にたって行政をおこなうはじめての中央官庁となった。

労働省が発足した時の内閣は、日本で最初の社会党政権であった片山哲内閣で、初代労働大臣は、戦前ILO(国際労働機関)総会の労働代表もつとめた米窪満亮(よねくぼみちすけ)。内部部局は、大臣官房、労政局、労働基準局、婦人少年局、職業安定局、労働統計調査局で構成された。

婦人少年局の局長には、社会主義者山川均の妻で、婦人労働運動家の山川菊栄が就任。中央官庁に女性初の局長誕生として話題になった。