厚生労働省
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厚生労働省
II. 沿革

厚生労働省の前身である、厚生省と労働省は以下のような沿革をたどっている。

1. 厚生省としての歩み

厚生省は1938年(昭和13年)1月、内務省の衛生局・社会局の全業務、文部省の国民体力、逓信省の簡易生命保険、商工省の鉱山労働衛生の部門が移管されて設置された。

厚生省の設置は陸軍の強い要望によるもので、健康な強い兵士は、健康な国民から生まれるとの意向にそったものだった。設置当時の内部部局は、大臣官房、体力局、衛生局、予防局、社会局、労務局、臨時軍事援護部で、外局として保険院がおかれた。初代厚生大臣は文部大臣木戸幸一が兼任した。

ちなみに、厚生は、中国の古典「書経」に出てくる夏王朝の創始者「禹(う)」の「正徳、利用、厚生、惟(こ)れ和せよ」の言葉からとられた。暮らしを健康で豊かにするという意味である。

2. 労働省としての歩み

労働省は、1947年9月、厚生省の労働行政部門を分離して発足した。これは、日本の労働者の基本的権利をまもり、労働行政改革をすすめるGHQ(連合国最高司令官総司令部)労働諮問委員会の意見を反映したもので、労働者の立場にたって行政をおこなうはじめての中央官庁となった。

労働省が発足した時の内閣は、日本で最初の社会党政権であった片山哲内閣で、初代労働大臣は、戦前ILO(国際労働機関)総会の労働代表もつとめた米窪満亮(よねくぼみちすけ)。内部部局は、大臣官房、労政局、労働基準局、婦人少年局、職業安定局、労働統計調査局で構成された。

婦人少年局の局長には、社会主義者山川均の妻で、婦人労働運動家の山川菊栄が就任。中央官庁に女性初の局長誕生として話題になった。