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文部科学省
I. プロローグ

国の行政機関のひとつ。英語名称は、Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology。2001年(平成13年)1月6日、文部省と科学技術庁の2省庁を統廃合し、文部科学省設置法の施行にもとづいて新発足した中央官庁。

文部科学省の任務は、創造的な人材の健全な育成、学術・文化の振興、科学技術の総合的な振興などとなっている。おもな行政機能としては、(1)生涯学習、(2)初等・中等・高等教育、(3)体育・スポーツ、(4)文化、(5)科学技術などの企画・立案、評価があげられる。

文部科学省には、外局として文化庁がおかれている。また、国立大学法人や、宇宙航空研究開発機構や国立青少年教育振興機構などの独立行政法人を所管する。

II. 沿革

文部科学省の前身である、文部省と科学技術庁は以下のような沿革をたどっている。

1. 文部省としての歩み

文部省の歴史は、明治新政府が昌平坂学問所を接収し、1869年(明治2年)に昌平学校として新開校したことにはじまる。同年12月、昌平学校を大学校とあらため、高等教育と教育行政の2つの機能をもたせた。

1871年、大学校を廃止し、太政官制度の二官六省の制により文部省を設置した。これが、中央省庁再編前の文部省の直接の前身となる。初代文部卿は、大木喬任(たかとう)だった。

翌1872年、近代学校制度をさだめた、109章からなる学制が頒布された。その第1章で「全国ノ学政ハ之(これ)ヲ文部省ニ統(す)フ」と文部省の役割が規定された。同時に「学事奨励に関する被仰出書(おおせいだされしょ)」が布達され、立身、治産、昌業の実学主義と国民皆学が明示された。

1879年には学制を廃止して教育令が制定され、以後中央教育行政機関として、学校教育、社会教育の国家統制を、教育内容と監督行政との両面からおしすすめた。85年には、内閣制度の発足にともない、内閣の1省となり、初代文部大臣は森有礼がつとめた。翌86年には教育令を廃して学校令(帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令)を公布、これにより、戦前の学校体制の基礎がつくられた。

ついで1890年に、「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)を発布。これにより「忠君愛国」の教育規範を確立、以後、教育・国民道徳の支柱となった。さらに、1913年(大正2年)には宗教局、34年(昭和9年)には思想局が設置され、宗教・思想の統制機関としての役割もになった。

1937年には「国体ノ本義」を刊行・配布して、天皇中心の国家体制と軍国主義的教育政策をすすめた。このため、第2次世界大戦後、文部省廃止論などが出されたが、戦前の中央集権的な色彩を一掃し、教育・学術・文化などの専門的指導助言機関として再出発した。

2. 科学技術庁としての歩み

科学技術庁は、1956年5月、科学技術の振興をはかり、それに必要な行政機能を総合的に推進する機関として、総理府の外局に設置された。初代科学技術庁長官は、正力松太郎がつとめた。

そのおもな所管事務は、航空宇宙技術、放射線医学、原子力研究などであったが、2001年(平成13年)の中央省庁再編で、原子力やエネルギー関係の機能は、内閣府や経済産業省などにうつり、科学技術の学術政策と研究開発部門が文部科学省にのこされた。