| 検索ビュー | ウォストーク | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
旧ソビエト連邦において初期の有人宇宙飛行をになった宇宙船で、1号から6号まである。ウォストーク(Vostok)は「東方」の意味で、日本ではボストークともいう。ウォストーク宇宙船は、ソ連航空宇宙技術の先駆者であるセルゲイ・コロレフが設計主任をつとめた。高圧酸素と窒素ボンベや逆推進および姿勢制御ロケットなどを搭載する直径3.1m、長さ3.1mの円筒形をした機械船と直径2.3mの球形をした再突入カプセルからなり、乗員は耐熱シールドでおおわれた再突入カプセルにのりこんでいた。ウォストークはすべてカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から直径10.3m、全長38.4m、重量287tのA-1ロケットによりうちあげられた。
| II. | 史上初の有人宇宙船 |
ソ連は初期の宇宙開発において、1957年10月4日に史上初の人工衛星スプートニク1号を成功させたのちも動物をのせた人工衛星の成功など、アメリカを大きくリードしていた。さらにその差を広げるように61年4月12日、史上初の有人宇宙船ウォストーク1号の打ち上げに成功した。
宇宙飛行士はユーリー・ガガーリンで、高度327kmの大気圏外で地球周回軌道にのり、1時間48分の軌道飛行をおこなったのち機械船を分離、大気圏に再突入した。高度約7kmで射出座席によりカプセルから脱出し、パラシュートを開いてソ連領内に降下した。一方のカプセルは高度約4kmで補助パラシュート、そののちメインパラシュートを開き着地した。アメリカの宇宙船のように海に着水できないソ連の宇宙船は、落下の衝撃から宇宙飛行士をまもるため、当時は宇宙飛行士とカプセルが別々に着地していた。地球に帰還したのち、ガガーリンは有名な「地球は青かった」というスピーチをおこなった。
| III. | そのほかのウォストーク |
1961年8月6日、ゲルマン・チトフをのせたウォストーク2号はほぼ1日間の宇宙飛行をおこない、ウォストーク3号(1962年8月11日、アンドリアン・ニコラエフ)とウォストーク4号(1962年8月12日、バベル・ポポビッチ)は初の編隊飛行に成功した。また63年6月14日にうちあげられたウォストーク5号(バレリー・ブイコフスキー)は119時間6分という宇宙での長期滞在記録をつくり、同年6月16日にうちあげられたウォストーク6号には史上初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワが搭乗し、5号との編隊飛行をおこなった。
→宇宙探査の「有人宇宙計画」