進化論
印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。
進化論
III. ダーウィン=ウォーレスの進化論

進化を裏づける証拠が蓄積されていったにもかかわらず、進化論はなかなか受容されることがなかった。その背景のひとつとして、すべてを神の創造に帰すキリスト教的な世界観、多様な生物の世界を静的な存在の連鎖とみなす中世的な世界観があった。また逆に、進化論が社会的に受容されるようになった背景には、産業資本主義の発展、自由競争による社会の進歩という時代精神があったことは事実である。しかし、ダーウィンの進化論(厳密には、アルフレッド・ラッセル・ウォーレスが同時発見者である)がそれ以前の進化論と一線を画し、最終的に社会にみとめられ、現代生物学の基盤となった最大の理由は、科学的な進化のメカニズムをはじめて提出したところにある。

有名な「種の起原」(1859)で、ダーウィンがのべている自然選択(自然淘汰)説の原理を要約すると次のようになる。あらゆる生物は、生存できる以上の子供をうむので、それらの子供どうしで必然的に生存競争が生じる。一方、子供の間には個体ごとに変異があるため、生存競争においては、より適応した性質をもつ個体が生きのこる。この過程の集積によって変種が生じ、変種が新しい種の発端になるというのである。ダーウィンの時代には、遺伝の法則はまだ発見されておらず、変異の原因も不明ではあったが、自然選択説は、生存競争と変異の組み合わせによって、神が介在しなくとも、種が自動的に進化するメカニズムを提示したのである。

ダーウィンの進化論は、社会進化論(社会ダーウィニズム)や優生学といった形で、生物学以外の世界にも多大の影響をあたえた。また、生物学の歴史においても、人間をふくめてすべての生物を神秘の座から科学の対象にひきおろし、すべての生物現象を進化的適応という観点からみることを要請した点において、決定的な重要性をもっていた。