進化論
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進化論
IV. 進化の総合説

進化論そのものは、「種の起原」が出版されてから10年ほどで学界に広くうけいれられたが、自然選択説に対してはさまざまな異論が出された。19世紀末には、獲得形質の遺伝を強調するネオ・ラマルキズムや定向進化説が、アメリカの古生物学者コープやオズボーンなどによって主張され、多くの支持をえた。定向進化説は、化石の記録にもとづいて進化に方向性があるとするもので、その原因を生物の内在的な力にもとめた。オオツノジカの巨大な角、剣歯虎の長くのびすぎた犬歯は、定向進化の好例とされ、このような過度の発達は、自然選択説では説明できないとした。

また逆に、1900年におけるメンデルの法則の再発見者のひとりであるド・フリースは、突然変異こそが新しい種が生まれる原因であると主張する理論を1901年に発表した。それによって、軽微な連続的変異の集積が進化の要因であるとするダーウィンの自然選択説に異をとなえ、多くの支持者をえた。こうして、1910年代には、進化の説明理論としての自然選択説は、存続の危機に直面していた。

この危機を打開したのが、生物測定学(生物統計学:遺伝)派に起源を発する集団遺伝学(進化)の発展であった。アメリカのS.ライト、イギリスのR.A.フィッシャー、J.B.S.ホールデーンらによって、体系をととのえられた集団遺伝学は、集団の遺伝子構成(遺伝子頻度:ハーディー=ワインベルクの法則)を統計的に処理することによって、生物の形質には多数の遺伝子が関与しており、メンデル遺伝学の突然変異と連続的な変異が矛盾なく両立できることをしめした。これに、種分化(種)における隔離の重要性を指摘したT.ドブジャンスキーやE.マイヤ、そして定向進化説を実証的に否定した古生物学者G.G.シンプソンらがくわわって、1930~40年代に、進化の総合説(総合学説)が確立される。

総合説は、ネオ・ダーウィン主義とよばれることもあるように、ダーウィンの自然選択説を、現代的な科学知識の上に再構築したもので、現在における正統派進化論として大多数の生物学者によってみとめられている。総合説によれば、進化は、集団の遺伝子構成の変化として理解される。つまり、突然変異や交配の際の遺伝的組み換えによって生じた遺伝的変異の集団内における頻度が、遺伝的浮動(→進化の「種分化」)によって非適応的に変動したり、あるいは自然選択の作用によって適応的に変動したりする。そして、それが、地理的な隔離をうけることによって、ことなった遺伝子構成をもつ変種集団になり、やがて別の種となると考えるのである。

総合説とダーウィンの自然選択説のもっとも大きな相違点は、ダーウィンの場合には自然選択の単位が個体であり、生存競争を通じて適応的な個体が生きのこることによって進化がおこると考えるのに対して、総合説では、自然選択の単位は遺伝子であり、適応的な遺伝子が集団中にふえることによって進化がおこると考えるところにある。ドーキンスの利己的遺伝子説は、このことを比喩的に強調したものである。