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| III. | 中世初期 |
中世の職業音楽家は、ほとんど全員がキリスト教会につかえていた。教会は古代ギリシャや古代ローマの宗教を異教とみなして排斥したため、それらの音楽は演奏されなくなり、ギリシャ、ローマの音楽は衰退した。
初期キリスト教会の典礼にもちいられた無伴奏の聖歌については、ほとんどわかっていないが、キリスト教の聖歌がユダヤ教会の典礼音楽や当時の世俗音楽から生まれたことは明らかである。5~7世紀に、ローマ・カトリック教会で発展した聖歌の旋律が目録化され、典礼儀式の中の特定の場所にわりあてられた。ローマの聖歌はやがて、教皇グレゴリウス1世にちなんで「グレゴリオ聖歌」とよばれるようになる。グレゴリウス1世は、教会の儀式の中で音楽を秩序だてて使用することを奨励し、みずからも何曲かの聖歌を作曲した可能性がある。グレゴリウス1世のみならず、のちの教皇もヨーロッパのあちこちでうたわれていた聖歌よりグレゴリオ聖歌をこのんだため、ついにはこの聖歌がほかのほとんどの聖歌を駆逐した。グレゴリオ聖歌やほかの聖歌は、多くの写本によって今日までつたえられている。これらの写本はネウマとよばれる記号で書かれており、ネウマ記譜法は現代の記譜法の始祖となっている。
はやくも9世紀には、無伴奏の旋律ではなく、もっと手のこんだ音楽をもとめる気運が、生じていた。聖歌の声部と別の声部を同時にうたう試みが、このころはじまった。こうしてできた音楽様式が、オルガヌムである。初期のオルガヌムは、聖歌の旋律と、それをただ4度ないし5度上にうつしただけの旋律が同時にうたわれるだけであったが、のちに付加された声部は独自の対旋律をもつようになった。オルガヌムは、ポリフォニー(多声音楽)とよばれる音楽構造への第一歩であり、その意味で音楽史上できわめて重要なものである。ポリフォニー原理の広範な使用こそ、西洋音楽の際だった特徴にほかならない。
演奏家が同時に演奏される別々の声部をすぐによみとって演奏するためには、正確な記譜法の開発が不可欠であった。ピッチ(音高)を明確にしめすために、4線、5線、それ以上の数の譜線がもちいられるようになり、現在の五線譜と同様にそれぞれの譜線と譜間が特定のピッチをあらわした。この記譜法を完成した人物は、11世紀イタリアのベネディクト会修道士グイード・ダレッツォといわれる。
音価(音の長さ)は、ピッチよりも記譜が困難であった。11~12世紀には、短いリズム・パターン(リズム・モードとよばれる)をしめす「モーダル記譜法」が考案される。1つのリズム・パターンは、別のリズム・パターンが指示されるまで、何度となく反復された。モーダル記譜法をもちいると、同時に演奏される各声部にことなったリズム・パターンを導入したり、曲の途中でパターンをかえたりすることが可能になり、リズムの動きに多彩な変化をくわえることができた。13世紀末になるとモーダル記譜法はすたれて、音価の長い音符と音価の短い音符をくみあわせる方法がもちいられるようになり、現代記譜法の原型ができる。
オルガヌムは教養ある聖職者が中心となってそだて、発展させたが、教会の外には、もっと単純な構造の世俗音楽があった。これは、フランスのジョングルール、後代のトルバドゥールやトルベール、あるいはドイツのミンネジンガーなど、旅回りの楽師たちが演奏したモノフォニー音楽である。
教会音楽も世俗音楽も、さまざまな楽器を使用した。弦楽器ではリラ、プサルテリウム(チター型の楽器)、ビエル(中世のビオラ)、鍵盤楽器ではオルガン、打楽器では小さな太鼓や鈴がもちいられた。