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| V. | ルネサンス時代 |
15世紀初期はアルス・ノバの複雑さに対する反動で、よりシンプルな音楽がこのまれる。ながれるような旋律と耳に心地よくひびく和声が尊重され、対位法に依存しない傾向がみられた。このようなシンプルな音楽を書いた最初の大作曲家は、イギリスのジョン・ダンスタブルである。彼の優雅な様式は間もなくヨーロッパ大陸の作曲家たち、とくにフランス北西部のブルゴーニュ公の宮廷につかえる音楽家たちにとりいれられた。ブルゴーニュ楽派は、すぐれたシャンソンを生みだしたことで知られる。彼らのシャンソンでは、1声が主旋律をにない、ほかの1声ないし2声が伴奏の役割をになう。
ブルゴーニュ楽派はまた、ミサ通常文を一貫して作曲するマショーの手法をさらに発展させた。その結果、ミサ曲は長さにおいて19世紀の交響曲に匹敵する大曲ジャンルとなる。ミサ曲のカントゥス・フィルムスとしては、しばしばグレゴリオ聖歌よりもシャンソンや世俗音楽の旋律が借用された。このことは、ルネサンス社会が現世と俗事に関心を向けるようになっていったことを物語っている。
ルネサンス期の対位法音楽は、模倣技法を多用した。音楽でいう模倣とは、1つの楽想を1部ないし複数の声部が時間をおいてまねる、つまりくりかえすことをさす。この技法は14世紀末からつかわれていたが、ルネサンス期にいたって音楽を構成するための主要な要素となった。ある声部がかなり長くほかの声部をそっくりそのまま模倣しつづけると、これら2声部はカノンを形成する。ルネサンス音楽には、主要2声部が全曲にわたってカノンをなし、その間、ほかの声部が短めの模倣をくりかえす曲がある。
ルネサンス初期のもっとも多彩な作曲家は、ギヨーム・デュファイである。アルス・ノバ様式の複雑な構造のモテットを書く一方、より新しい手法で軽やかなシャンソンも書いた。ジル・バンショワも、すぐれたシャンソンをのこしている。
ブルゴーニュ楽派は15世紀半ばに衰退し、1450~1550年ごろに、現在のオランダ、ベルギー、フランス北部地域の音楽家たちがヨーロッパ音楽の中心勢力となる。彼らはその地名にちなんでネーデルラント楽派、もしくはフランドル楽派とよばれる。フランドル楽派の代表的作曲家はヨハネス・オケヘム(オケゲム)、ヤコブ・オブレヒト、ジョスカン・デ・プレ、オルランドゥス・ラッススである。
フランドル楽派は総じて、無伴奏合唱など均質な響きの音楽をこのんだ。対位法が大勢を占め、全声部に均等の重要性をになわせた。このような特徴は、ブルゴーニュ楽派のそれと対照的である。ブルゴーニュ楽派の音楽では、各声部がそれぞれ独自の音色をもち、歌が主旋律の声部をうたう場合は、ほかの2声部は別々の楽器による伴奏の声部となっていた。
フランドル楽派もブルゴーニュ楽派の伝統をひきついで、シャンソン、モテット、ミサ曲を作曲した。15世紀末~16世紀にかけて、すぐれたミサ曲が多数作曲されたが、もはやこのジャンルは作曲家にとって魅力ある挑戦対象ではなくなっていた。ミサ通常文の5つの部分を統合的に一貫して作曲する技法はすでに周知の方法となり、昔から一字一句かわらないテキストに新しい音楽をつける余地は少なかったからである。このような事情から、創作意欲をかきたてる対象として、新たにモテットが浮上する。歌詞が聖書だけでなく、さまざまなものから採られたため、作曲家はテキストから多くの楽想をえることができた。16世紀にはシャンソンも、かならずしもブルゴーニュ楽派のような素朴で魅力的な恋の歌ではなくなった。技巧をこらした対位法音楽であったり、鳥の鳴き声や街の物売りの呼び声を描写する機知にとんだ歌であったり、多様な歌になった。パリ楽派のクロダン・ド・セルミジやクレマン・ジャヌカンらが、後者の描写的シャンソンをのこしている。
後期ルネサンスの代表的作曲家に、イタリアのパレストリーナがいる。彼の作品はルネサンス音楽が理想とした様式、すなわちスムースにながれる合唱ポリフォニーの典型をしめす。イギリスのウィリアム・バード、スペインのトマス・ルイス・デ・ビクトリアも、このころの重要な作曲家としてわすれてはならない。楽譜印刷技術の発達も、音楽の発展にとって大きな意味をもった。楽譜印刷は1500年ごろ、ベネツィアの印刷職人オッタビアーノ・デイ・ペトルッチがはじめてこころみ、すぐにアントワープ、ニュルンベルク、パリ、ローマでもおこなわれるようになった。