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| VI. | バロック時代 |
ルネサンス・ポリフォニーの最盛期にあたる16世紀後半、音楽の響きと構造を変革しようとする新しい動きがイタリアで生まれる。イタリア人音楽家の多くは、フランドル楽派のポリフォニー様式をこのまず、古代ギリシャ音楽の理念にしたがおうとした。彼らはそれまでの複雑な音楽をこのまず、めまぐるしい感情の対比、わかりやすい歌詞、声と器楽とのさまざまなかかわりを特徴とする音楽を書いた。このような特徴は、ことにオペラで際だつようになる。オペラは16世紀末、フィレンツェではじめて上演され、17世紀にモンテベルディの活躍で急成長した。この時代にはオペラのほかに、カンタータ、オラトリオといった新しい声楽ジャンルが出現した。
17世紀には、器楽もしだいに興隆する。多くは曲の最初から最後までが切れ目なくつづくポリフォニー音楽で、楽節や楽章といった明確な段落はなかった。こうした器楽曲には、リチェルカーレ、ファンタジア、ファンシーがある。これに対して、対照的な複数の楽節から構成された器楽曲は、カンツォーナ、ソナタとよばれ、その構造はホモフォニーである場合と、対位法である場合とがあった。
器楽曲は多くが、既存の旋律や定旋律をもちいてつくられた。「主題と変奏」はそうした音楽の一種であり、パッサカリア、シャコンヌ、コラール前奏曲もこのタイプにふくまれる。第2のタイプは、種々の舞曲をまとめた組曲であり、第3のタイプは前奏曲、トッカータ、ファンタジアなどの鍵盤楽曲の即興的な様式である。第3のタイプがいちばん最後に世にでた。
17世紀には、種々の新しいジャンルが出現したことと並行して、とくにイタリアで楽曲構造の基本概念にいくつかの変化がおきた。ソプラノ、アルト、テノール、バスの全声部に均等の役割をもたせず、作曲家はソプラノとバスの外声だけを重視し、内声部には和音を充填(じゅうてん)する役割だけをあたえるようになった。和音の配置は重要ではなく、どの音を充填するかはしばしば鍵盤奏者の即興にまかされた。低音にもとづいて即興的に和音をくわえていく方法はバッソ・コンティヌオ、通奏低音、数字つき低音などとよばれ、あらゆるタイプの音楽、とくに独唱歌曲で多くもちいられた。
後期ルネサンスの滑らかにながれるような様式も、17世紀には、さまざまな要素がするどく対立する様式に変化した。新しい様式は、ラテン語のconcertare(「拮抗(きっこう)する」の意味)から派生したコンチェルタート、コンチェルターテ、コンチェルトなどの用語でしめされた。楽器の編成、音響の密度など、音楽のあらゆるレベルにわたってコントラストがつけられ、独奏と合奏を対比させたり、テンポや音の強弱を対比させるようになる。こうした種々の対比は、前の部分と後の部分に変化をもたせたり競合させたりすることに役だち、結果としてわくわくするような刺激的な音楽様式をつくりだした。この様式は声楽にも器楽にも適用され、またあらゆる形式とジャンルの音楽にもちいられた。
17~18世紀初期の主要な作曲家には、イタリアのコレリ、アレッサンドロとドメニコのスカルラッティ親子、ビバルディ、ドイツのブクステフーデとシュッツ、イギリスのパーセル、フランスのリュリとラモーがあげられる。
17世紀末になると、調性とよばれる和声秩序が音楽を支配するようになる。和声の発展は楽曲の全体に有機的な関連をあたえ、初期バロック様式の唐突でぎごちないコントラストを滑らかにする可能性をもたらした。18世紀初期には、ほとんどの作曲家が調性の複雑な機能をマスターしていた。このころにはもはや雰囲気をめまぐるしくかえる作風がすたれ、より穏やかで統一感のある曲作りがこのまれた。このため、楽曲全体もしくは楽章全体を1つの「情緒」(アフェクトとよばれる)でつらぬく作曲法が大勢を占める。後期バロックのドイツの2大作曲家、バッハとヘンデル の作品をはじめ、当時の音楽がもつ安定感と論理性は、主として徹底した調性の制御と単一情緒の強調によるところが大きい。