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| VIII. | ロマン派時代 |
19世紀初めのヨーロッパ音楽界は、あいかわらずハイドン、モーツァルト、ベートーベンのウィーン古典派様式に支配されていた。この様式は、当時の音楽がもとめていた理念をじゅうぶん実現できたことから、ほとんどすべての作曲家がこの様式を下敷きにして作曲をおこなった。そのため、この形式は二級の作曲家の音楽のお手本になりさがった感があった。それに対する反発もあって、1810~20年に新しい方向を模索する気運が生じた。
野心的な作曲家は古典派の明晰(めいせき)な形式概念にしたがわなくなる。その代わりに、衝動的感情や目新しさに価値をおくようになる。具体的には、楽曲全体の和声進行に影響をおよぼすものとはいえないながらも、異例の和音進行を導入したり、ある楽器の音色に特別の魅力をおぼえれば、交響曲全体のバランスをそこなうほど長い独奏パッセージをその楽器のためにもうけたりすることがおこなわれた。このような試みを通じて、19世紀音楽は古典派と対照的なロマン主義的な芸術観をしめしはじめる。ロマン主義美学は、ドイツと中央ヨーロッパでとくに尊重された。音楽におけるロマン主義運動の先駆的な作品に、オーストリアのシューベルトによる器楽作品、ドイツのウェーバーによるピアノ曲とオペラがあげられる。
ロマン派の作曲家は、文学、絵画など音楽以外のものにしばしば題材をもとめた。こうして音楽以外に構想をえた音楽、すなわち標題音楽が各地で開拓され、交響詩の発展をみちびく。交響詩のジャンルではベルリオーズとリストが活躍した。芸術歌曲は18~19世紀の文学詩をテキストとして、その詩のイメージと雰囲気を音楽で表現した。19世紀にはシューベルト、シューマン、ブラームス、ウォルフ、世紀末のリヒャルト・シュトラウスらがドイツの独唱用歌曲リートの名作を多数のこした。
19世紀の芸術理念をもっとも顕著にしたジャンルはオペラである。この時代のオペラには、音楽のほか美術、文学をはじめ、あらゆるジャンルの芸術がむすびつけられ、舞台上に壮麗なスペクタクルを現出し、心に強くうったえかけるような情感をみなぎらせ、超人的な歌唱技巧をきかせる場をつくりだした。フランスでは、スポンティーニとマイヤーベーアがグランド・オペラとよばれる様式を確立し、オッフェンバックが「オペラ・ブッファ」とよばれる喜歌劇の様式を発展させた。フランスの重要なオペラ作曲家には、ほかにグノーとビゼーがいる。
19世紀前半のイタリアでは、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベルリーニが18世紀のうつくしく滑らかなベル・カント唱法の伝統を継承していたが、世紀後半にはベルディがベル・カントをひかえて人間関係のドラマを鋭角的に表現した。世紀末のプッチーニは、感傷的な愛やはげしい人間感情に焦点をあてた。ドイツでは、ワーグナーが「楽劇」とよばれる様式を創始する。楽劇では劇のあらゆる要素がドラマの中心主題たる哲学的テーマに収斂(しゅうれん)させられる。人間性を重視したベルディとは対照的に、ワーグナーはしばしば伝説や神話に題材をとり、贖罪、魂の救済といった哲学的概念を主題にした。ワーグナーが開発した手法に人物、事物、概念などを特定の旋律や和声をもちいて象徴的にしめすライトモティーフ(示導動機)の技法がある。ライトモティーフは、それが象徴する人物や事物、あるいは概念がドラマの進行にかかわるたびに、歌やオーケストラでくりかえし奏される。
具象性のない純音楽の伝統は、19世紀にも交響曲と室内楽曲によって維持された。これらのジャンルでは、シューベルト、シューマン、ブラームス、メンデルスゾーン、ブルックナーの作品が重要である。ロシアのチャイコフスキーも、オペラや標題音楽とならんで交響曲、室内楽曲を書いた。ポーランドのショパンは、標題音楽ではないものの、自由に形式をつくりだしてピアノのための音楽を書きのこした。
19世紀にはどのジャンルでも、表現の独自性に高い価値がおかれた。こうした価値観は、多くの個人的な音楽様式をみちびきだしただけでなく、演奏者や指揮者の名人芸的な技巧を称賛する気運を生んだ。こうしたビルトゥオーソとしては、ピアニストとしてのリストや、イタリアのバイオリニスト、パガニーニが有名である。また、オーストリアの指揮者・作曲家のマーラーは、実生活と密接にむすびついた交響曲を作曲した。
19世紀末までにロマン主義様式は、いくつかの点でそれまでの音楽語法を変質させた。まず、個性的な和音進行をはかる傾向が高じたあげく、調性体系に崩壊をきたし、ワーグナーをはじめとする作曲家たちが、半音階や非和声音(その調にふくまれない音)を大量に使用する和声様式を多用するようになる。また、民族音楽の語法が大幅にとりいれられ、ロシアのグリンカ、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、チェコのドボルザークとスメタナ、ノルウェーのグリーグ、さらにはのちの時代のゴットショーク(アメリカ)、ニールセン(デンマーク)、シベリウス(フィンランド)、ファリャ(スペイン)が民族音楽の要素を利用した。
民族音楽の語法は、20世紀初頭に再発見されたほかの音楽語法とあいまって、過去の和声概念やリズムの概念を芸術音楽の中に復活させた。19世紀にはじまった音楽史の体系的研究も、同様の効果をもたらした。しかし一方では調性の解体とともに、和声進行ではなく、響きの密度、緊張と弛緩(しかん)によって曲全体の統一をはかる楽曲もしだいにふえる。ドビュッシーとラベルが開拓したロマン派末期のフランス印象派音楽は、音の響きそのものを音楽の構成原理にしていることが特徴である。また、プーランク、サティなどのフランス人作曲家は、風刺的小品に才能を発揮した。