社会心理学
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社会心理学
II. 実生活とのかかわり

たとえば、集団は個人によって構成されるものでありながら、個人の寄せ集め以上の力や機能をもち、それらがその集団のメンバーである個人にさまざまな影響をおよぼしている。大きな会社組織を考えてみれば、その集団の一員である個人は、その組織の規則や役割分担をまもってふるまわねばならず、そこにはたらいている集団規範は、個人の力ではうごかすことのできない大きな力としてその個人の行動を律している。個人の側からみるかぎり、個人の力は集団の大きな力の前ではたんなる歯車のひとつにすぎないのである。

しかし、現実の会社組織に属する個人は、集団規範にしばられてあくせくしているばかりではない。そこには上司と部下、同僚というような複雑な人間関係があり、評価する・評価されるというその対人関係力学の中で、個人は同僚とともに「わが社意識」をはぐくんだり、会社の発展をのぞんだり、同僚との競争をバネに立身出世を夢みたりする。基本的にはその会社の生産性向上に寄与する働きがもとめられながらも、個人の意識の中では、ほかの成員との関係において心理的な満足をえられるかどうかが、その集団に所属しつづけるかどうかをかなりの程度規定している。これを会社という集団の側からながめれば、各個人の働きの合力としてその会社の業績がきまるのであるから、その限りでは個人の動向はけっして無視できない。個人の能力を最大限にひきだすことが、会社という集団の発展に不可欠なのであってみれば、各個人がその集団に所属することを喜びとするような方向に集団をもっていくことも、会社経営の重要な課題になる。

このような集団力学についての考察が社会心理学のひとつの領域をなしている。これについては、のちに「集団と個人」というテーマでくわしくみることにしよう。

1. 車がほしいという心理

次に、「車がほしい」という個人の欲求を社会心理学的に考えてみよう。今日の日本では、車を所有したりそれをのりまわしたりすることは、だれしも当然のことと考えている。若者たちは、「車がほしい」という考えはだれからそそのかされたものでもなく、それはまさに自分がほしいと思ったのだというだろう。若者であれば皆そのように考えるし、「それは常識だ」と若者はいうかもしれない。しかし同じ日本でも、今から40年前を考えてみれば、当時の若者の大半は車にあこがれはもっていても、自分がそれを所有するなどとは思ってもみなかったし、したがって「ほしい」という欲求もまず生じなかった。そうしてみると、「ほしい」という個人の欲求は、この40年間の日本の社会的、文化的な変動の中で、しだいに社会や文化によって形づくられてきたものだということになる。

自動車産業の業績をみると、この40年間、ずっと右肩あがりの発展をとげてきたことがわかる。しかしそれは、個人の購買力や購買意欲の向上と密接につながっている。そしてこの購買意欲の向上は、生活水準全体の向上の結果ばかりでなく、個人の購買意欲を刺激する巧みな宣伝によって、知人や同僚がもてば自分ももたずにはおれないような、横並び志向がはたらいた結果でもある。女性の社会的自立欲求、最近のシングル志向、高学歴志向など、最近の社会的動向と個人の欲求との関係も同様で、個人のいだくこうしたいという欲求は、「だれでもないこの私がそう欲するのだ」と個人に意識されておりながら、実際には近年の大きな社会・文化的変動の中で、あるときにはオピニオン・リーダーたちの言説が社会的な影響力をもつことによって、あるときには毛細管現象のような微小な動きが蓄積されることによって、個人の意識がそのように方向づけられ、規定されるようになったという面を無視できない。

ここには、社会・文化的に形づくられた共同主観(常識)が個人の主観(意識や欲求の持ち方)を規定していくという、社会心理の重要なテーマの一端をみとめることができる。これについては以下に「社会的認知」や「社会的影響」という項目のもとにくわしくみてみよう。

2. 社会的態度

多様な価値観が存在する日本では、ある社会的事象に対して個人のとる態度もまた多様である。しかしここでも、各個人が思い思いにある態度をとっているようにみえながら、実際にはそれは社会的に規定されている場合が多い。社会心理学ではこれを「社会的態度」とよんでいる。たとえばある人は、結婚するからには豪華な披露宴をと考え、そのような態度のもとに、招待する大勢の人をきめ、豪華な披露宴の手はずをととのえるだろう。ところが、人によってはそのような華美な披露宴は無意味と考え、ほんの内輪の人だけを招待し、会費制のつつましい披露宴にとどめるかもしれない。まあ親のすることだからという人もいれば、これは自分のことだから親には口出しさせないという人もいるだろう。結婚の披露という社会的な儀式にかかわる点では共通しても、そこで個人がどのような態度をとるかは、たしかに人によってことなり、その違いはつまるところ個人の選択の違いであるかのようにみえる。

しかしながら、どのような結婚披露宴を考えるかの態度の違いは、その個人が社会的な事象に対して進歩的な態度をとるか保守的な態度をとるかという、より一般的な社会的態度に左右されることがしばしばである。つまり、伝統的な価値観遵守の社会的態度を保有する人は、結婚披露宴にかぎらず、家問題や近所付き合いはもちろん、投票行動などの社会的事象に対しても、たいていは保守的な価値観にそった選択をおこなうことが予想される。逆に進歩的な価値観をよしとする社会的態度の人は、ほかのもろもろの社会的事象に対しても、進歩的な選択をおこなう傾向にある。このように、ある人の社会的態度は、多様な社会的事象の認知の仕方、そこにおける行動の仕方を枠づけるものなのである。

個人の社会的態度は、社会的事象の判断や認知の仕方にどのような影響をおよぼすのか、どのようにして社会的態度は形成され変容するのか、このような問題をあつかうのが社会心理学における「社会的態度」の領域である。

最後に、先の阪神・淡路大震災のような大災害時には、不安や恐怖を背景に、「強い余震がくる」とか「水道に赤痢菌がまじっていてのむと危険だ」というような流言が生じやすい。流言は個人の口から口へと、いわゆる口コミをとおして伝播(でんぱ)するものでありながら、つまり流言の発生とその膨張に各個人がひと役買っていながら、個人はそのマス(集合体)の中に埋没し、マスの動きに翻弄(ほんろう)される。デマや扇動におどらされる事態、流行にふりまわされる事態、地滑り的に生じる選挙動向なども、それにまきこまれた個人には、自分の意志でそのような行動をとったかのように思われながら、実際にはマスとして生じた行動や動向にただまきこまれ、ながされたにすぎない場合がしばしばある。マスコミはこのマスの動向を促進するようにはたらく場合もあれば、沈静化するようにはたらく場合もあるだろう。このような事態は「集合行動」とよばれ、これも社会心理学の重要な領域のひとつとなっている。

3. 合意形成

社会の中に一員として生きるわれわれは、このように社会や集団の側から圧倒的な影響をうけながら、物事を認知し、判断し、対人関係を調整し、行動している。そのことはふだんの生活の中では気づかれにくいが、非日常的な事態においてはっきりとうかびあがってくることがある。一例として、阪神・淡路大地震の後に生じたマンションの建て替えに関する合意形成の問題を考えてみよう。それまではたんなる近所付き合いをするだけにすぎなかったあるマンションの住民たちが、建て替え賛成派と修繕派にまっぷたつにわかれるという事態に直面する。この場合、その合意形成はどのようにしてなされるのだろうか。大局的にみれば、個々の住民の価値観と互いの利害がぶつかり摩擦をおこしながらも、いずれかの合意点にむかって最終的には収斂(しゅうれん)していくとみることができる。

しかしその実際の過程には、リーダー的な存在の出現、両派による説得的コミュニケーション、両派の反発、和解、等々の具体的な対人関係力学がはたらき、その中で各個人の認知の変化、態度の変化が生じ、ようやく最終合意にたどりつくのである。この場合、個人は個人でありながら、自分勝手にふるまえないという点ではたんなる個人ではない。マスコミ(マス・コミュニケーション)をはじめ、周囲からの影響、自身の価値観や社会的態度、それらが赤裸々な人間関係にむすびついて個人を翻弄(ほんろう)する。ここに社会心理学の問題が端的にあらわれているといっていいだろう。要するに、冒頭にしめした個人、集団、社会・文化の3極の相互的な関係を解明することが社会心理学の課題なのである。以下、社会心理学の各領域ごとに簡単な概観をこころみよう。