| 日露戦争 | 項目ビュー | ||||
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| II. | 開戦までの経緯 |
19世紀末、資本主義の発達したヨーロッパの強国が武力によってアジア・アフリカなどへの進出をはじめ、世界は帝国主義の時代にはいった。東アジアでは、日清戦争にやぶれた清国(中国)に列強諸国が進出。ロシアは1891年(明治24)、シベリア鉄道の建設に着工して満州進出への足がかりにするとともに南下政策をすすめ、日本への三国干渉ののちは、遼東半島の旅順と大連を租借して朝鮮への進出をねらっていた。ドイツ・フランス・イギリスもそれぞれ重要な租借地を手にいれたほか、アメリカは機会均等などを列強にもとめて清国に進出する機会をうかがっていた。いっぽう、日本は福建省を他国にあたえないことを清国に約束させ、ロシアとの交渉を重ねた。
こうした列強の進出に対して清国では外国人の排斥運動が高まり、1900年には義和団が勢力をまして北京の列国公使館を包囲する事件がおこった。この義和団事件を契機に、ロシアは鉄道利権などの保護を名目に大軍をおくって満州を占領し、事件が終息したのちも占領状態をつづけた。これに対抗して、日本は日英同盟をむすんでロシア軍の撤兵を要求したが、ロシアは撤兵を一部実行しただけで、逆に韓国(1897年10月に朝鮮から大韓帝国に改称)への勢力拡大をはかった。日露両国の交渉が妥結しないまま推移する中で日本政府は開戦準備をすすめ、両国に戦争の危機がせまった。国内では内村鑑三や幸徳秋水らが戦争反対を主張したが、世論の大勢は開戦にかたむいていった。