| 日露戦争 | 項目ビュー | ||||
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| III. | 戦争の経過 |
1904年2月8日、日本の陸海軍による奇襲作戦で戦争がはじまる。連合艦隊主力は8日夜旅順のロシア艦隊を攻撃、陸軍先遣部隊も仁川に上陸作戦を開始し、これを機に両国は宣戦を布告した。奇襲によってはじめは日本優位にすすんだが、戦局はしだいにきびしくなり、8月末から9月初めの遼陽の戦では苦戦のすえ勝利。また、乃木希典のひきいる第3軍はロシア艦隊の基地である旅順の包囲戦を5カ月にわたって展開し、二〇三高地の激戦をへて05年1月に6万人の死傷者をだしてようやく陥落させた。ついで奉天(現在の瀋陽)を占領し(奉天会戦)、同年5月には、東郷平八郎のひきいる連合艦隊が日本海でロシアのほこるバルチック艦隊に壊滅的打撃をあたえた(日本海海戦)。
このころ日本の戦力は限界に達していた。戦死者約8万4000人で戦傷者も14万人以上という犠牲をだしたほか、軍事費は国家予算の7年分にあたる約20億円にのぼり、国民生活はくるしくなっていた。ロシアでも革命運動がおこり、両国とも戦争の継続は困難になっていた。→ ロシア革命