| 日露戦争 | 項目ビュー | ||||
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| IV. | ポーツマス条約の締結 |
日本は、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに交渉の仲立ちをもとめ、1905年8月、アメリカのポーツマスで小村寿太郎とウィッテとの間で講和会議がひらかれ、9月に調印されて講和が成立した。ポーツマス条約で、日本は韓国に対する優越権をみとめられ、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道の利権をえたほか、樺太(サハリン)の南半分の領土、沿海州・カムチャツカ沿岸の漁業権をえた。しかし日本国内では、賠償金をえられない講和内容に対して国民の不満が爆発し、東京の日比谷公園でひらかれた講和反対国民大会では焼き打ち事件がおこった(日比谷焼打ち事件)。その後、日本は韓国併合など朝鮮への支配を強め、ロシアでは革命の気運が高まっていった。