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| II. | 南北に分裂したベトナム |
ベトナム戦争は、第2次世界大戦前にインドシナの統治者だったフランスと、ホー・チ・ミンが創設したベトミン(ベトナム独立同盟会)との戦い(1946~54)をひきつぎ拡大した。
1945年に日本が連合国に降伏すると、ベトミンは首都ハノイを掌握し、バオダイ皇帝を退位させた。そして、9月2日に、ホー・チ・ミンを国家主席(大統領)とするベトナム民主共和国、一般に北ベトナムとよばれる国家の成立を宣言した。フランスは連合内での独立はみとめたが、全ベトナムの統一については拒否し、46年12月に軍事衝突がはじまった。フランスは49年6月にバオダイをベトナム国、一般に南ベトナムとよばれる国家の元首とし、新しく首都サイゴン市(現ホーチミン市)をつくった。翌年、アメリカはサイゴン政府を承認し、トルーマン大統領は南ベトナム軍をアメリカ軍兵器で訓練するための軍事顧問団を派遣した。
フランスと北ベトナムは、その後数年間たたかったが、1954年の春、ベトナム北部のフランス要塞(ようさい)ディエンビエンフーでの55日間にわたる戦闘の結果、5月7日にフランスは致命的な敗北を喫した。この年の1~2月にひらかれたアメリカ、イギリス、フランス、ソ連4国外相会談は、インドシナに関する国際会議の開催をきめていたが、ディエンビエンフーの戦が終結した翌5月8日、その4カ国に南と北のそれぞれの代表、および中国、ラオス、カンボジアの代表が参加してジュネーブで会談が開始された。そして7月21日に成立した協定によって、北ベトナムとフランスは停戦に合意したが、その内容は、北緯17度線を境としてそれぞれの軍を南と北に集結させ、いっさいの軍事行動を停止すること、また国の統一のための選挙を56年7月におこなう、というものだった。南のバオダイは、この休戦条約に反対した。
ジュネーブ協定によってフランスがベトナムから撤退すると、最終的な協定への参加を拒否したアメリカがサイゴン政府を軍事的に支援しはじめた。1954年10月、アイゼンハワー大統領は南ベトナムに直接的な経済援助を約束、翌年2月には軍事顧問団が南ベトナム軍の訓練に派遣された。アメリカの援助は、バオダイが55年10月の国民投票にやぶれて退位し、ゴ・ディン・ジェムを大統領とする共和国が誕生してからもつづけられた。ゴ・ディン・ジェムは、この支援をバックにジュネーブ協定でさだめられていた南北の統一選挙の実施を拒否し、同時に独裁を強めて、反対派を弾圧した。