協奏曲
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協奏曲
II. コンチェルト・グロッソとその派生形式

17世紀末にイタリアで、きまった形式をもつコンチェルトが出現した。当時、北イタリアは世界的なバイオリン音楽の中心地だったが、その代表的なバイオリニストで作曲家でもあったコレリが、12曲からなる器楽曲集作品6(1680~85年ごろに書かれ、没後の1714年ごろに出版されたとみられる)のタイトルに、「コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)」という新語をもちいた。

曲はいずれも、弦楽オーケストラと少人数の独奏グループとが競合したり、協調したりする形式で書かれている。弦楽オーケストラは、コンチェルト・グロッソ(大編成部)、リピエーノ、トゥッティとよばれ、独奏グループはコンチェルティーノ(小編成部)とよばれる。ちなみにコレリの作品では、わずか3人の奏者だけがコンチェルティーノにわりあてられた。

コレリのコンチェルト・グロッソは短い楽章を楽章ごとに拍子とテンポを対比させて並べただけであり、様式や形式は、当時の室内楽曲の主要ジャンルであったトリオ・ソナタ(ソナタ)と実質的には変わりがなかった。やがてコンチェルト・グロッソ様式は、イタリアのトレリなどの作曲家によって発展し、独自のジャンルとして確立する。

この様式の特徴は、分散和音による冒頭主題、推進力にみちた反復リズム、主調を明確にする和声パターンなどである。このジャンルはバロック時代を通じて人気を博し、バッハの6曲からなる「ブランデンブルク協奏曲」(1721)で後期バロックの金字塔をうちたてる。独奏楽器群(管もしくは弦、またはその両方)を弦楽オーケストラと競合させるという基本的性格は、ここにものこされている。

コンチェルト・グロッソからは、複数の楽器で構成されるコンチェルティーノの代わりに、独奏者を1人とするソロ・コンチェルト(独奏協奏曲)が派生した。この形式では、独奏とオーケストラとの音色的対比がいっそうはっきりする。トレリ、アルビノーニらによる初期のソロ・コンチェルトは、バイオリン、トランペット、オーボエを独奏楽器としたが、まもなくさまざまな楽器が独奏につかわれるようになった。

イタリアのビバルディが書いた多数のソロ・コンチェルトは、とりわけ注目に値する。おりからイタリアでは器楽の名演奏家、とくに名バイオリニストが輩出し、名人芸をふるう格好の作品としてソロ・コンチェルトを活用した。演奏の場は教会のこともあれば、しだいにふえつつあった個人の邸宅でひらかれる私的音楽会やコンサートのこともあった。

バロック時代のソロ・コンチェルトは急-緩-急の3楽章構成であり、第1楽章と終楽章で主調、中間楽章ではちがう調をとる。このパターンは19世紀末まで、協奏曲の基本的な枠組みであった。急速楽章では独奏部分が長く拡大されて、しばしばひじょうにテンポのはやい技巧的なフレーズをともなった。独奏部分はオーケストラが総奏するリトルネロ(同じ旋律を演奏する部分)と交互にあらわれ、その交替は4~5回くりかえされる。

独奏者は、楽曲の中の少なくとも1つの楽章で、即興的な音楽(カデンツァ)を演奏し、高度のテクニックと音楽性を発揮することがもとめられた。カデンツァは、最後のリトルネロの前におかれるのが通常で、古典派、ロマン派時代を通じて協奏曲に不可欠の要素であった。しかしそれ以後の作品では、演奏者の即興能力と気分に音楽が左右されることを作曲者がきらうようになり、作曲者自身があらかじめカデンツァ部分も作曲することが多くなった。