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| III. | 古典派時代 |
18世紀中ごろに、バロックから古典派様式への決定的な変化がおこる。この変化は、協奏曲にも影響をあたえずにいなかった。コンチェルト・グロッソは交響曲の隆盛に人気をうばわれて衰退し、この時代にはフランスで派生形式のサンフォニー・コンセルタント(協奏交響曲)が一時的に人気をえただけにとどまる。しかし、コンチェルト・グロッソの特徴は、多くが交響曲にうけつがれた。
いっぽう、ソロ・コンチェルトは、とりわけ自作自演型の演奏家にとって名人芸を発揮するまたとない曲種だったため、生きのこった。独奏楽器としては、新たに開発されたピアノが人気を獲得し、モーツァルトやベートーベンも、ピアノ協奏曲をこのんで作曲した。モーツァルトは18世紀後半における主要な協奏曲(大半がピアノ協奏曲)を書き、ベートーベンは5曲のピアノ協奏曲と1曲のバイオリン協奏曲(1798~1809)によって協奏曲の形式を頂点にみちびいた。
古典派時代の協奏曲は、伝統的なリトルネロ形式、名人芸を発揮するためのカデンツァ、交響曲でもちいられつつあった新しい形式や様式など、さまざまな要素をとりいれ、曲の規模も長大になった。第1楽章のリトルネロ形式は変形され、最初のリトルネロと最初の独奏部をあわせた部分が、交響曲における第1楽章の提示部に相当する役割をはたすように構成され、つづく部分も、独奏とオーケストラが交互に演奏したり協奏したりはするものの、形式的には交響曲の第1楽章と同じ構成をとる。終楽章はふつうロンド形式をとり、独奏部で同一主題が反復演奏される。中間の緩徐楽章には、それほど厳密な形式の規定はなかった。
交響曲と同様、協奏曲もしだいに大規模化し、さらには曲ごとに個性が明確に表現されるようになった。また、バロック時代には私的な音楽会で演奏されていた作品が、大人数の聴衆を前提とするコンサート・ホールで演奏する音楽として作曲されるようになる。