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ウル

メソポタミア最南部にあった古代シュメールの都市遺跡。旧約聖書には「カルデア人のウル」と記され、古代イスラエル民族の父祖といわれるアブラハムの故郷でもあった。イラクのバグダッドの南東約300km、ユーフラテス川の南にある。現在名はテル・アルムカイヤル。古代にはユーフラテス川が城壁のそばをながれており、この川を利用して交易が発展した。

ウルはシュメールの月神ナンナ崇拝の中心地だった。ウルのジッグラト(基壇状聖塔)はウル第3王朝のときに建造されたもので、もっとも保存状態がよいことで有名である。高さが約20mあり、基壇上にナンナをまつったといわれる。

ウルの遺跡は、19世紀中ごろイギリスの領事テイラーによって発見された。本格的な発掘は1922~34年、イギリスの考古学者ウーリーが指揮して大英博物館とペンシルベニア大学博物館が共同でおこなった。

前4000年ごろ、ウルは、ウバイド人(ウバイド文化)がきずいた小集落だったが、おそくとも前2800年にはシュメールの都市国家のひとつになっていた。古代の記録によるとウルには3王朝が興亡し、シュメール全土を支配していた時代もあった。ウルの第1王朝の最初の王はメスアネパダ(在位、前2670頃)で、あわせて5王がたち170年で滅亡した。ウルの北東約8kmにあった第2王朝についてはほとんど知られていない。

前2113年ごろウルナンムがウルを首都とするシュメール人の統一王朝を樹立する。このウル第3王朝は、中央集権的な専制王国で交易を活発におこない、メソポタミアでもっとも裕福な都市だった。ジッグラトや神殿など公共建築物が数多くつくられ、都市として整備された。ウルナンムは現存最古の法典といわれるウルナンム法典を編纂し、その子シュルギは度量衡を統一するなど、王朝は繁栄した。第3王朝は5王にわたって100年以上つづいたが、滅亡するとき都市は破壊された。

前2000年以降、ウルはイシン・ラルサ王朝のもとでふたたび繁栄した。しかしバビロン第1王朝のサムスイルナ(在位、前1749~前1712)が破壊し、その後バビロニアがカッシートに支配されていた前16~前12世紀ごろに一時復興、宗教センターになった。

新バビロニアのネブカドネザル2世は、ウルのジッグラトを再建、ナボニドス(在位、前555~前539)も神殿を改装するなどウルを復興させた。その後は前4世紀ころまで都市としてのこってはいたが、政治的な重要さはなくなった。