| プラスチック | 項目ビュー | ||||
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| II. | 歴史 |
人類が開発した最初のプラスチックはセルロイドである。
| 1. | セルロイド |
1863年、象牙をつかってビリヤードの球を製造していたアメリカの会社が、象牙にかわる人造の代替品の開発に対して1万ドルの懸賞金をかけた。これに挑戦したアメリカの発明家ジョン・ハイアットは、窒素含有量の少ないニトロセルロース(別名パイロキシリン)をショウノウと少量のアルコールで可塑化した化合物とその加圧成形法を開発することに成功した。ジョンの兄イサイアがこれをセルロイドと名づけた。セルロイドという商標で特許がとられ、兄弟は72年にセルロイド・マニュファクチャリング社を設立、生産が開始された。
セルロイドは発火しやすく、光にあたると劣化しやすいという難点もあったが、玩具(がんぐ)、文房具、写真フィルム、入れ歯、ワイシャツのカラー(襟)など、さまざまな製品がつくられるようになり、商業的には大きな成功をおさめた。セルロイドは第2次世界大戦後、より安価ですぐれたプラスチックが開発されるまで、大量に利用されつづけた。
| 2. | 人造繊維 |
セルロイドの発明の後には、同様に天然のセルロースを原料にもちいた半合成繊維レーヨンが発明された。レーヨンは天然セルロースを分解したのち、人工的に重合させた繊維で、現在でも大規模に生産されている(→ ポリマー)。
| 3. | ベークライト |
1906年にはベルギー系アメリカ人の化学者レオ・ベークランドが、フェノール樹脂を開発し、のちに「ベークライト」の商標名で商品化した。フェノール樹脂はフェノール(石炭酸)とホルムアルデヒドを原料とするプラスチックで、人造の化学物質から合成された最初の完全な合成プラスチックとなった。
| 4. | 高分子化学の進歩 |
プラスチックの開発がはじまった当時、プラスチックの分子構造は、じゅうぶんに解明されておらず、もっぱら「多数の分子が分子間力によってひきあい、緩やかな集合体を形成している」とする会合体説が有力だった。しかし1920年になって、ドイツの化学者ヘルマン・シュタウディンガーが、「プラスチックは多数の分子が化学結合によってつながり、鎖状の巨大分子を形成している」とする高分子説を発表した。高分子説は学界に論争をまきおこしたが、30年代にその正しさがみとめられ、「高分子化学」という新しい科学の分野が成立することになった。
プラスチック開発もこれに刺激され、新しいプラスチックが次々と生みだされていった。1920~30年代にかけて開発されたプラスチックには、成形品と繊維にもちいられた酢酸セルロース、プラスチックパイプやコーティング、電線被覆にもちいられるポリ塩化ビニル、食器類や電気部品に使用される尿素樹脂、ラミネートガラスのバインダー用に開発されたアクリル樹脂などがある。
この時期に開発されたなじみ深いものとして透明なアクリル樹脂の一種であるメタクリル酸メチル樹脂がある。1937年に登場し、ルーサイト、プレキシグラスという商品名で市場にでた。これは非常にすぐれた光学的性質をもつ材料で、第2次世界大戦中は軍用機の風防ガラスとして利用された。現在でも航空機や車両の窓につかわれるほか、眼鏡やカメラのレンズに好適であり、さらにハイウェーの照明、広告のイルミネーションなどにすばらしい効果を発揮した。
同じ年に商品化されたポリスチレンは、電化製品、台所用品、自動車部品などにひろく利用されている。ポリスチレンは、高い耐薬品性、低温でのすぐれた機械的性質、非常に低い水分吸収率などの特徴をもっているため、高周波電磁波の絶縁体や、冷蔵庫の部品、高空を飛行する飛行機部品のように低温で使用されるものにとくに適した材料になった。
1938年に発見され、戦中耐熱性、耐薬品性にすぐれたポリテトラフルオロエチレン(四フッ化樹脂)が開発されたが、このフッ素樹脂が「テフロン」の商標名で生産されるようになったのは、50年になってからである(→フッ素の「用途」)。また30年代には、最初の合成繊維であるナイロンが開発された。
| 5. | 第2次世界大戦 |
第2次世界大戦(1939~45年)が勃発(ぼっぱつ)すると、枢軸諸国(日本・ドイツ・イタリアなど)、連合諸国(アメリカ・イギリス・ソ連・フランスなど)ともに天然原料の深刻な欠乏になやまされ、その解決のためにプラスチック工業が大きく発展することになった。
たとえばドイツは、はやくから天然ラテックスの輸入をたたれたので、その代替品となる合成ゴムの開発を強力におしすすめた。同様にアメリカでも、日本の参戦によって、天然ゴム(→ ゴム)や絹、多くの金属などの天然資源を極東地域から輸入することが不可能になった。そのためアメリカはプラスチックによる代替品の開発と量産化をおしすすめた。その結果、ナイロン製の繊維製品が大量にでまわり、ポリエステルが装甲用途そのほかの軍需用途にもちいられた。また合成ゴムの生産量も、大戦の間に飛躍的に増大した。
| 6. | 戦後の発展 |
第2次世界大戦で加速されたプラスチック産業の研究・開発は戦後もつづいた。とくに戦後、急速に発達した石油化学工業によって大量の原料が供給されたため、量産された安価なプラスチック製品が産業、家庭の各方面にひろまった。
研究面でプラスチック工業の発達に大きく貢献したのは、1952年、ドイツの化学者カール・チーグラーによるチーグラー触媒(トリエチルアルミニウム・四塩化チタン系の触媒)の発見である。それまで高温高圧下で低密度ポリエチレン(LDPE)が生産されていたが、チーグラー触媒をもちいて常温常圧でも合成が可能な高密度ポリエチレン(HDPE)がつくられるようになり、ポリエチレンの生産量は飛躍的に増加した。さらに、イタリアの化学者G.ナッタはチーグラーの研究を発展させ、54年にポリプロピレンの合成に成功した。この業績によってチーグラーとナッタは、63年にノーベル化学賞をともに受賞した。ポリエチレンとポリプロピレンは、現在でも大量に生産されている。→ポリエチレンの「合成法の歴史」
エンジニアリングプラスチック(略してエンプラとよばれることが多い)の発達は、戦後のプラスチックの発達の中でもとくに重要である。ポリカーボネート、ポリアセタール、ポリアミドなど、強靭(きょうじん)で、耐熱性・耐薬品性にすぐれたエンジニアリングプラスチックの登場によって、プラスチックの利用は機械部品や耐熱部品にまでひろがった。また、プラスチック製の安全ヘルメットや電子機器部品なども、さらに強度が高く性能のすぐれたものが製造可能となった。
新しいプラスチックの開発はさらにつづいたが、なかでも繊維強化プラスチック(FRP)は注目すべきものである。FRPはガラス繊維(→ ガラス)や炭素繊維などの強化材をプラスチックにくみこんだもので、軽量だが強度は鉄やアルミニウムに匹敵する。近年では航空機、自動車、スポーツ用品など、多くの分野でFRPが使用されている。