オスマン帝国
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オスマン帝国
III. 帝国の衰退

しかし17世紀末からオスマン朝の衰退がはじまり、ハンガリーの大部分をオーストリアに、18世紀後半には黒海北岸をロシアにうばわれた(ロシア・トルコ戦争)。19世紀の前半にはタンジマートとよばれる西欧化運動がおこったが、専制政治体制はなお強力であった。被支配民族の独立運動も激化し、2世紀にわたって断続したロシア・トルコ戦争にやぶれたことによって、ヨーロッパ領をほとんどうしなった。

1908年に青年トルコ党の革命が成功し、立憲政治が成立したが、14年にはじまった第1次世界大戦でドイツの同盟国として参戦し敗北した結果、20年にセーブル条約を強いられてバルカンとアラビア半島、アナトリアの東部および南部を連合国と他の諸民族に譲渡することとなり、アナトリアだけの一小国家に転落した。