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| IV. | 古代ギリシャ・ローマ |
ミノス期のトロイアやクレタでは、ギリシャで前2500年ごろからクラシック時代(前475頃~前323頃)の初頭までつづいた型と同型のイヤリング、ブレスレット、ネックレスが制作されていた。細い金属線の鎖や環、金属の薄板を花弁やロゼット(円形花文)の形にしたものなどがこれらの装身具の典型的要素だった。刻印とエマイユは一般的で、金の細粒装飾や細線細工の技法も自在につかわれていた。石はほとんどはめこまれていない。モティーフには、螺旋(らせん)形およびイカ、ヒトデ、蝶などの自然物をかたどったものなどがあった。→ エーゲ文明
前700年から前500年のアルカイク時代のギリシャと、エトルリアなどのイタリアの装身具は、ほぼ完全にフェニキアの商人によってもたらされたエジプトとアッシリアの装身具の影響下にあった(→ エトルリア文明)。技術は基本的にそれ以前のものと同じだった。圧印(エンボス)か刻印がほどこされた延べ板が基本材料となった。細粒装飾もひきつづきおこなわれ、エトルリアで極度に洗練された。
古典期のギリシャでは、細粒装飾はすたれて、エマイユがふたたびあらわれ、細線細工がひろくもちいられた。この時期の作品は、繊細優美な作風を特徴としている。金を編んだネックレスは、花や房状のものでかざられ、イヤリングは、環状の部分に、細線細工がほどこされた小円盤やロゼットがつくのが一般的だった。つづくヘレニズム時代(前4~前1世紀)には、鎖のついたアンフォラ、有翼の勝利の女神、ハトなどのモティーフがよくつかわれるようになった。同時に、重要な変化として、ガーネットをはじめとする大きな色石がデザインの中心におかれるようになった。
このタイプはローマ時代にさらに洗練され、さまざまな種類の石がつかわれるようになった。ローマではエマイユがひろく普及し、カメオの彫刻技術も頂点に達した。安全ピンに似た留め金のフィブラも流行した。指輪もひじょうに一般的で、ローマ帝国の全盛期には、10本の指全部につけることもよくあった。異国風のコハク製の装飾品も高い需要があった。→ ギリシャ美術:ローマ美術