| 検索ビュー | 進化 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
進化という言葉そのものは、たとえば宇宙の進化というように、生命現象以外にもしばしばつかわれる。生物学でいう進化とは、地球上に誕生した生物が、その形と機能の変化を経験することによって多様化し、修正されてきた過程全体のことである。もっとも初期の生物化石として知られているのは、現在のバクテリアによく似た形の単細胞のものであり、35億年前のものとされている。進化は結果的に新しいタイプの生物を放出しつづけ、その多くは絶滅したが、あるものは現在の動物相と植物相に発展した。絶滅と多様化は今日もつづいている。
| II. | 初期の研究 |
生物に多様性をみとめ、そこに系統をみいだすことは、古代ギリシャの哲学者たちもおこなってきたが、進化の過程について科学的に説明しようとこころみる者があらわれるのは、18世紀になってからのことだった。博物学が発展して、現生生物や化石生物について、よりくわしく理解されるようになると、熱心な研究者たちが進化の概念に関心をもつようになった。19世紀初期の代表的な進化論者はラマルクで、さまざまな生物に類似性がみられるのは、ある共通の血統が進化によって形をかえたためであるとした。たとえばライオン、トラそのほかのネコ科動物は、ネコに似た共通の祖先からわかれたものであるという説をとなえた。すでに博物学者たちの間では、ことなった動物はことなった生活様式と環境に適応するという考えが定着していた。ラマルクは、個体は環境の変化によって直接適応をうながされ、その結果が、遺伝する特性(遺伝形質)として、子につたわると考えた。しかし、ラマルクの時代には、この獲得形質による進化の一般的な仮説を、科学的に実証しようとこころみる者はいなかった。
| III. | ダーウィン理論 |
進化の過程をうまく説明したのは、ダーウィンだった。彼のもっとも有名な著書「種の起原」(1859)は、人類の自然に対する理解という点で、画期的なものである。ダーウィンは種の変異性に注目して、子は両親の外見をうけつぐが、まったく同一ではないということをのべた。また子と親の間の違いのうちには、環境だけが原因ではなくて遺伝しうるものがあるということをのべた。育種家は競走馬のスピード、雌牛の産乳量、狩猟犬の追跡能力といった、このましい品質の個体をえらび繁殖させることによって、しばしば家畜の形質をかえることができるということを、彼は観察した。これは、人の手による人為選択である。
ダーウィンは、自然界では環境によりよく適応する資質、またはよりすぐれた繁殖能力をもった個体は、より多くの子孫をのこせると推論し、そのような個体はより高い適応性があるとした。子をうめるようになるまで生きのびる数よりも多く個体が生まれるので、適応性におとるものはつねにふるいわけられて(→ 自然選択)、脱落しているにちがいなく、そうやって生息環境によりよく適応する個体群がのこるのである。環境が変化すると、個体群は適応性を維持する新しい特質が必要となる。適切な特質をもった個体がじゅうぶんな数だけ生きのこって、結果的に個体群全体の適応をみちびくか、あるいはその個体群が絶滅するかのどちらかなのである。それゆえ、ダーウィンの理論によれば、進化は適応にすぐれた個体が何世代にもわたって自然選択されていくことによっておこることになる。
ダーウィンの理論の中で、科学的な立証がもっともむずかしかった点は、生物の特徴、すなわち形質の遺伝についての推論だった。当時まだ、遺伝については理解されていなかったからである。遺伝の基本法則が学問的に知られるようになったのは、1860年代におこなわれていたメンデルの遺伝の研究が、20世紀になって明るみにでてからである。
メンデルは、形質が世代をこえて、別々の単位でつたわることを発見した。今日では、その単位は、統計的に予言できる方式で子孫にうけつがれる遺伝子(→ 遺伝学)として知られている。さらに、突然変異とよばれる遺伝可能な変化が、環境に関係なく遺伝子において偶然おこることも発見された。そして突然変異だけが、新しい遺伝子の供給源とみられたので、多くの遺伝学者は、進化が、有利な突然変異の偶然の蓄積によってのみ進行していくものと考えた。自然選択説、すなわち進化は適応によって進行するという説は、ド・フリース、モーガン、ベイトソンなどの突然変異論者の学説の影響もあって、1930年代に一時影がうすくなった。
| IV. | 集団遺伝学 |
突然変異説がダーウィン説にとってかわったちょうどそのころ、先駆的な進化論である集団遺伝学の理論が、ライト、ホールデーン、そのほかの遺伝学者らの研究によって発展してきた。彼らは、たとえ突然変異がおきたとしても、その変異が個体群の間にひろまっていくには、(1)集団の大きさ、(2)世代の長さ、(3)変異の有利さの程度、(4)同じ変異が子孫に再現する割合によって左右されることを論じている。
さらにまた、うけつがれた遺伝子は、一定の環境においてのみ有利である。もし環境が場所によって変化しているなら、その遺伝子は局地的な一部の集団においてのみ有利であろう。また、もし環境が時間とともに変化するのであれば、その遺伝子は一般に有利でなくなることもある。
個々の個体は、それぞれことなった遺伝子の組み合せをもっていて、人間でも、一卵性双生児は別として、遺伝学的にまったく同じ人が2人存在することはありえないので、次の世代がうけついで利用できる遺伝子の総数は膨大で、遺伝的変異性の広大な倉庫を構成しているだろう。この倉庫を遺伝子プールとよぶ。有性生殖には、遺伝子がそれぞれの世代で再配列される、遺伝的組み換えとよばれる過程がある。個体群が安定しているときは、たとえ遺伝子が各個体でことなる組み合せになっていても、遺伝子頻度(遺伝子プールの中にある遺伝子の総数に対する、各遺伝子の出現度)は変化しない。もし、遺伝子プールの中で遺伝子頻度が変化しつづけると、進化がおこる。
進化をこうした観点から考えるために数学的手法を開発し、それをもちいて証拠を論じたにもかかわらず、多くの進化論者たちは1930年代後半まで、偶然おこる突然変異説に固執していた。そのころドブジャンスキーは、著書「遺伝学と種の起源」で、広範囲にわたる実験と観察の結果によって数学的論拠を補充した。たとえばショウジョウバエの大きな個体群に人為的に変化させた環境をあたえると、それに適応した遺伝的変化が生じることをしめした。ドブジャンスキーは、遺伝学の諸事実がダーウィンの自然選択説と矛盾しないことを証明してみせたのである。自然選択は遺伝子頻度に永続的な変化をもたらす主原因であり、これによって集団の形質が進化的な変化をおこすのである。その後の数十年間に、生物学および古生物学のほとんどすべての分野の研究の成果によって、ダーウィンの進化論はよみがえることになった。
| V. | 総合学説 |
新しい進化論はこうしてさまざまな分野から強化され、やがて総合学説(進化の総合説)として知られるようになった。とくにアメリカの3人の科学者が重要な貢献をした。ドイツ生まれの動物学者、エルンスト・マイヤは、「新種はたいてい地理的隔離であらわれ、しばしばそれにつづいて、その遺伝子プールの構成が急速にかわる遺伝学的な『革命』がおこる」ことをしめした(→ 種)。古生物学者のジョージ・シンプソンは、「進化の速度と形式は相関関係にある。すなわち生物の新種は、新しい適応帯への侵入によって生じ、しばしば急速に進化する」ことを、化石の記録からしめした。植物学者のジョージ・ステビンスは、「植物の進化のパターンは動物のそれとよく似ており、とくに植物の進化は、環境からの圧力や機会に応じてさまざまな適応の仕方をしめしている」と論じた。
これらの生物学者たちは広範囲にわたる遺伝学、生態学、分類学の事例をみわたして、総合学説が観察と実験にしっかりと裏づけられていることをしめした。この学説は、1950年代より進化を説明する教科書の基礎となっている。また、種の分類方法を一新し、種をその進化の歴史にもとづいて分類する方向にみちびいた。→ 分類
進化の総合学説が確立される間に、遺伝学は重大な変換をむかえた。1953年、ワトソンとクリックが、遺伝物質はデオキシリボ核酸(DNA)という核酸で構成されていることを証明した。すぐひきつづいて、他の種類の核酸であるリボ核酸(RNA)もそれをおぎなう重要な働きをしていることがわかった。核酸分子のもつ遺伝暗号はタンパク質の製造を命令し、このタンパク質が生物の発育と代謝に生化学的に関与する。
突然変異は、遺伝子の塩基配列、つまり遺伝暗号の変化であって、これらの変化が関与するタンパク質の機能に影響をあたえることが知られている。自然選択は、特定のある遺伝子によって指定されるタンパク質の生産が、その生物の繁殖成功にどのくらい貢献するかによって、その遺伝子を有利にみちびくか、抑制するかの働きかけをしていることになる。これらの発見によって、特定の遺伝子や遺伝子の組織構成の変化の過程が、分子レベルで追跡できるようになった。
今日の進化の研究は、生物学のあらゆる分野にひろがっている。バクテリアから人間まで、すべての生命体の現在の姿は、進化によって達成されたのであり、ヒルの生理機能、海岸生物群集の生態学、あるいはハチドリの行動を研究することは、進化的な変化によってつくりあげられた特徴を研究することなのである。ドブジャンスキーがいったように、生物学では進化の説明なしに意味をなすものは、ひとつもない。
| VI. | 種分化 |
現代における自然選択の明らかな例は、イギリスで発見されたシャクガ(尺蛾)の1種、オオシモフリエダシャクにみることができる。この個体群を注意深く研究した結果、次のような遺伝子頻度の変化がみとめられた。
このガの普通型は明るい灰色をしているが、わずかな割合で暗色型の個体もあり、後者は視覚でこのガをみつける鳥に捕食されやすい。イギリスの工業地帯周辺が工場などからでる煤煙で黒ずんできたとき、以前は樹木の明るい色の幹に、うまくとけこんで身をかくしていた明色型のガが、鳥にみつかりやすくなり、そのため環境に適合しなくなって数がへった。いっぽう、暗色型のガは、黒っぽい背景では鳥にみつかりにくいので、普通型になった。明色よりも暗色の暗号をもった遺伝子が自然選択によって普及し、工業地帯に高い頻度で出現するようになったのである。その後、公害規制の法律によって煤煙汚染が減少すると、暗色型はふたたび減少した。
暗色型も明色型も同じ種であり、自由に交尾して繁殖する。もし汚染がつづいていたら田園地帯の個体群はすべて明色型となり、工業地帯のものはすべて暗色型になっていたかもしれない。それぞれの個体群はことなる環境にいるため、多少ともことなる選択圧をうける。やがて暗色型と明色型は、それぞれの地域で有利な遺伝子群をもつ、ことなった個体群となるかもしれない。そして最後には、双方の個体群はたがいに交雑ができなくなるだろう。もしそうなったとすれば、その時点で、自然選択は、このガを共通の祖先から2つの種へと分化させたことになる。
いろいろな種の個体群が、さまざまな島のことなった生息地で容易に隔離され、新しい種に分化してきた。鎖状につらなる島々ではとくに、種分化のありさまをよくみることができる。ダーウィン自身は、ガラパゴス諸島の小鳥であるフィンチ類にヒントをえた。アメリカ本土からこれらの島々に到着したある1つの種が、それぞれ形も習性もことなる、14の種にわかれていた。ハワイ諸島では1種か2種のショウジョウバエが、1000万年もしないうちに約500種に分化した。この背景には個体群の隔離が進行する過程で、移住や再移入をくりかえした複雑な歴史があり、これが新種形成のきっかけとなったのである。
自然選択だけが、種の進化の過程で遺伝子を変化させる原因となるわけではない。子孫にあたる生物が親たちの遺伝子の割合を、たまたまそのとおりに反映していない場合にも、遺伝子頻度は変化する。これは遺伝的浮動とよばれる。小さな個体群では、たんに次の世代で繁殖しなかったというだけの理由で、本来の遺伝子プールに存在していた遺伝子がうしなわれてしまうこともあるので、重大である。また少数の個体が移住して新たに孤立した集団を形成したとき、母集団にあった遺伝子の一部をうけつぎそこねる場合があり、そうなると最初から、ことなった孤立集団が生じることになる。これを創始者効果とよぶ。突然変異も遺伝子頻度をかえることがあるが、そのような変化のおきる割合は、子の世代で遺伝子が再結合することによっておきる変化にくらべて低い。
ある個体群に定着しているすべての遺伝子は、すでに選択(淘汰)によって環境への適合性を調整ずみなので、新たに突然変異がおきても、適合度が高められることは、たとえばオオシモフリエダシャクの暗色型をつくる遺伝子のように、新しい遺伝子の活動に好都合なように環境が変化しないかぎり、おこりそうもない。大きな変異をおこす新しい遺伝子が適合度を高めることはまれであり、たいていは死をひきおこす。選択によって定着した遺伝子は、たがいに生化学的な作用が整合するように周到に調整されている。大きな作用をもつ新しい遺伝子は、精密にセットされたひとつの命令系統に、いきあたりばったりの命令をさしこむか、命令をセットしなおすようなものである。わずかな作用しかおこさない突然変異は、実験室の環境の中で適合度を高めるのがみられたように、遺伝的変化の基盤になる。実際、一連の突然変異が自然選択されてゆくというのが、進化の主要因と思われる。
| VII. | 大進化 |
生物は、進化を背景とする類縁にそって階級をもうけ、分類されている。近縁な種は属にまとめられ、近縁な属は科にまとめられ、目、綱、門、界という順でしだいに高い階級になる。高い階級の分類群が誕生する発端は大進化とよばれる。これらの分類群は生殖的隔離という点は別にしても、たがいに多くの点でことなっている。門では体の基本的な構造にも違いがある。一時、何人かの進化学者は、種分化のおこる過程をこうした大きな違いにあてはめることはできないと考えていたが、今日では一般に、種分化と大進化は根本的に違うものではないとされている。
生物の環境は連続しておらず、しかも、さまざまにことなるので、ことなった生息地では別の生活方法が必要となる。海底の泥の中、ひろい海洋、陸地、さらに大気中では、それぞれちがった解決法で適応しなければならない。穴をほる、およぐ、あるく、とぶといった移動様式はこのような環境で生活するための解決策である。こうした大きくことなる解決策のためには、これまでとはちがう体の構造が必要となる。
これら体構造の発達で重要な点は、まず必要にせまられた革新が祖先の生活様式のある局面に適応する形でおき、その後新しい生活様式の中でその革新が有用と証明されることである。それゆえ大規模な変更は長い時間をかけた前適応によって進化してきたものである。たとえば空気呼吸をする動物の肺は、酸素にとぼしい環境にすむある種の魚が、水の表面から酸素をとりこむために発達させた、原始的な肺のようなものから進化してきたものである。陸上生活のための四肢は、魚が岸にはいあがるのにもっと都合よく適応した、かたいひれから進化した。鳥類も同様に、樹間を長い距離で滑空するために進化させた前肢が、のちに飛行のための翼の発達に有利であることを証明した。革新に成功した血統から、いくとおりもの血統にわかれた子孫が、それぞれみごとに適応した体型で、それぞれ新しい生物群となって勢ぞろいした。両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類に区別された脊椎動物のそれぞれの綱は、それらの祖先の進化的適応を種のレベルまでたどることができるのである。
| VIII. | 最近の進化論争 |
進化の事実は、基礎的な現代生物学として学問的にうけいれられたが、進化の過程についてはひきつづき論議され、洗練されつつある。この研究の大部分では、遺伝子の突然変異から集団遺伝学まで、そして地質時代をこえた大きなスケールでの環境相互作用にいたるまで、近代総合学説のさまざまな要素が複雑に作用しあっているため、かなり複雑な数学的研究が必要である。長い地球の歴史上におこった実際の進化の足どりは、大部分が化石にのこされた不完全な記録から知られるため、そこから得られる解釈にはいろいろな違いの生じる余地が大きい。
最近、化石の記録にみとめられる、注目すべきひとつの事実が進化論者の間で論争になっている。それは、新しい種が記録からみつかるとき、いつも突然にあらわれ、この種が記録にあらわれつづける間は、安定した形にとどまっているようにみえる、という事実である。化石からは、近代総合学説から予測されるような、ゆっくりとした段階的な変化がみとめにくい。これを根拠のひとつとして、何人かの進化学者たち、なかでも目だつところではハーバード大学のグールド、アメリカ自然史博物館のナイルズ・エルドリッジなどが、種の進化に対して「断続平衡説」という概念を提出した。それによれば、種は長期間にわたって安定をたもちつづけたのちに、急激な変化というより、突然によりよく適応した新しい形におきかわる。こうした突然の変化は、平衡状態の断続であるということから、この概念を断続平衡説とよぶ。
この急速な変化のおこる期間は、地質時代の時間の物差しからみて「突然」であって、実際には数千年にわたる出来事である。ほとんどの進化学者は、断続平衡説の概念を、近代総合学説で説明可能な過程にそっておきる進化的な変化として、このような様式もありうると位置づけており、進化の理論におけるまったく別のモデルとはみなしていない。化石にのこる不完全な記録からは、そのような明確な判断はできない。化石にのこるほとんどすべての種の記録は、長い地質時代の間からとびとびに選択されたものだからである。
さらに、近代総合学説でいう、ゆるやかにすすむ進化をおこす小さな変化そのものは、化石にしるされた種の歴史に明確にあらわれる性質のものとはかぎらない。化石はおもに形態の変化をしめしているので、その種の集団の中で体の構造全体がはっきり変化をとげていなくても、遺伝子構成におこる変化は広範囲なものでもありうる。実際、小さなスケールでの進化的変化は、その性質からして、長い時間の間におきた進化現象が近代総合学説によるモデルか、断続平衡説が提唱しているものか、どちらかはっきりさせてくれるとはかぎらない。進化は案外、その両方のルートをたどってきたのかもしれない。
| IX. | 進化の歩み |
生命が誕生したのは、地球の環境が今日とはいちじるしくことなっていた、35億年以上も前である。とくに重要なのは、大気中の遊離酸素の量が極端に少なかったことである。アミノ酸などのやや複雑な有機分子は、原始の地球環境に似せた状況のもとで、生物によらずにつくりだせることは実験でわかっている。このような分子が濃縮すると、分子の活発な化学反応からタンパク質のような合成物ができ、しまいには化合物の間で相互作用がおこったにちがいない。その結果、初歩的な遺伝機構があらわれ、さらに自然選択によって今日知られているような、遺伝形質の複雑な仕組みへとつくりあげられていく。
もっとも初期の生命体は、生命のない有機体から栄養をえていたのだろうが、やがて化学エネルギーや太陽熱を摂取するようになった。光合成によって、生命体は有機化合物に依存する生活から解放され、また酸素が放出されたことから、大気と海は、さらに進歩した生物がすみやすいものとなった。
初期の生命体は、すでに今日のバクテリアとよく似た細胞だった。この簡単な単細胞生物(原核細胞)は、初めは嫌気性(酸素なしで生きる)だったが、やがて好気性の光合成細菌もふくむ、さまざまに適応したタイプへと多様化した。藍藻植物は、これらに由来している。さらに進歩した細胞(真核細胞)は、それぞれ別個の単細胞のものがいくつか融合して進化したものらしい。食物をとりこむ大型の細胞が、葉緑体(光合成をおこなう細胞小器官)に発展することになる、小さな藍色細胞、およびミトコンドリア(呼吸によってエネルギーを放出する細胞小器官)に発展する微細な好気性菌と合体して、これらを共生者(→ 共生)としたのだろう。大量のDNAをふくむことなど、進歩した細胞にみられるそのほかの特色も、やはり原核細胞の共生体から生じてきたものだろう。
単細胞の真核細胞は、やがて複雑な生活様式とすすんだ生殖形態を発達させ、それが多細胞の動植物の出現をうながした。知られている最古の動物は約7億年前のものであるが、彼らの出現は、少なくとも大気中には適量の酸素があり、食物となる植物の供給が期待できるまでになっていたことを意味している(→ エディアカラ動物群)。最古の体化石(遺骸)には、おもに原始的なクラゲやその仲間のものの押しあとが雌型としてのこされている。また、ほぼ同じ時代に巣穴の生痕(せいこん:生きて活動したあと)化石も登場し、かなり進歩した体構造をそなえた、穴をほって海底にもぐる虫の進化の前触れをしめしている。
カンブリア紀になって、生物の爆発的な多様化がおきたとき、現代の動物の体構造の基礎ができあがった。体骨格は、さまざまな動物の系統で独自に発達した。およぐ生活様式をえらんだ虫のような体をもったある系統は、かたい脊索をもつようになり、ついに関節でつながった内部骨格に進化させて、泳ぎの能率を高めた。こうして初期の無脊椎動物から魚が出現した。
複雑な動物群が発達するためには、植物が発達しなければならなかった。草食動物の集団をやしなうためにも、その草食動物をねらう肉食動物をやしなうためにも、じゅうぶんな植物が必要である。陸生植物はおよそ5億年前に出現し、低地の沼からひろがって緑地帯を拡張していった。やがては昆虫へと進化していく節足動物や、そのほかの無脊椎動物がそれにつづいて上陸し、最後に陸生脊椎動物が、はじめは両生類として、およそ3億7000万年前に淡水の魚から出現した。全般的には、その後つづいた陸生脊椎動物の適応放散で、彼らはしだいに水にたよらずにすむようになり、ますます活動的になった。
恐竜と哺乳類は1億4700万年の間、陸上の環境を共有していた。恐竜たちは、体も小さく夜行性だったと思われる同時代の哺乳類にくらべて、はるかに大型で活発だったようである。しかし、哺乳類は、恐竜を一掃したおよそ6500万年前の大量絶滅の波ものりきり、その後は次々に多様化して、それまで恐竜が占めていた、さまざまな生息環境や生活様式に適応していった。今日の動物相では、脊椎動物のうちでは哺乳類が、無脊椎動物では昆虫が優勢である。→ 動物の分布:植物分布
| X. | ヒトの進化 |
ヒトは、恐竜が絶滅する前から存在しはじめていた哺乳類の中のサル目(霊長目)に属する。初期の霊長類は樹上にすみ、習性はリスに似ていたらしい。多くの霊長類にそなわった特質(短い顔、両眼視のできる目、物をつかむことのできる手、大きな脳、そしておそらく、敏捷さと好奇心)も、樹上生活に適応して獲得したものだろう。木の上から地上におり、最後にはもっとひらけた平野にでてくらすようになったことは、直立した姿勢や、新しく獲得した食性を示唆する犬歯の退化など、猿人にみられる多くのユニークな特徴の発達と関連している。
約200万年前にヒトが出現し、協力して狩りや採集をおこなうようになり、やがてそれに付随して高い知能と社会組織をもつようになった。
| XI. | 進化のパターン |
化石の記録が暗示する生命の歴史には、変化にとんださまざまな傾向とパターンがある。種の系統はあるときはゆっくりと、あるときは急激に進化し、変化にいたるひとつの小道を、ときにはただ次の変化の小道へまがるだけのためにたどることもある。あるときは急激に多様化し、広範囲な絶滅で減少する。
こうしたパターンのいくつかを解明する手がかりは、環境の変化の程度や性質にある。種は、あるさだめられた時期に存在する環境条件に適応し、環境の変化で新しい条件がもたらされると、新たに適応するように進化をするか、絶滅してしまう。環境が急激に、または広範囲に変化すると大絶滅がおき、そののちには新しい種の大発展がおこる。大量絶滅が何度おきたかは、今のところよくわかっていない。もっともよく知られているのは、約6500万年前におきた恐竜の大量絶滅であるが、そうした出来事は、それよりはるか以前の、生命がはじめて出現した先カンブリア時代の化石記録にあらわれている。実際、恐竜時代の終わりにおきた規模に匹敵する大量絶滅が、6億年の間に5回おきたことがわかっている。一部の研究者は、小規模の大量絶滅には一定の周期性があらわれており、とくに過去2億5000万年の間に2600万年周期の絶滅が8回あったと主張している。
地質学者たちが、こういった大量絶滅は、地球の表面に大きな彗星か小惑星が衝突するなど周期的な大災害に関係がある、との説を発表して論争がおきた。古生物学者や進化学者の多くはこのような仮説を、証拠がないと否定している。彼らは、大量絶滅の周期も、進化の過程、あるいは気候の変動周期や火山活動のような地球内の出来事で説明できるのではないかと考えている。しかしながら、どの仮説がただしいとしても、大量絶滅の周期的な波があることはたしかなようである。
短期間で変化しやすい環境に適応している種は、大規模な環境変化にも生きのこることができるひろい範囲の耐性をそなえている。くわえて人類は、道具や装置をつくり、環境を大がかりに支配する手段を発明し、ひろめることによって、独自の適応をとげている。とはいえ、そのことにより、人間は環境に重大な変化をもたらしつつある。その影響は複雑で予測できないが、将来的には進化のパターンも、おそらく人類の影響を反映するものとなっていくだろう。
→ 適応:自然選択:雌雄選択:進化論