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| III. | ダーウィン理論 |
進化の過程をうまく説明したのは、ダーウィンだった。彼のもっとも有名な著書「種の起原」(1859)は、人類の自然に対する理解という点で、画期的なものである。ダーウィンは種の変異性に注目して、子は両親の外見をうけつぐが、まったく同一ではないということをのべた。また子と親の間の違いのうちには、環境だけが原因ではなくて遺伝しうるものがあるということをのべた。育種家は競走馬のスピード、雌牛の産乳量、狩猟犬の追跡能力といった、このましい品質の個体をえらび繁殖させることによって、しばしば家畜の形質をかえることができるということを、彼は観察した。これは、人の手による人為選択である。
ダーウィンは、自然界では環境によりよく適応する資質、またはよりすぐれた繁殖能力をもった個体は、より多くの子孫をのこせると推論し、そのような個体はより高い適応性があるとした。子をうめるようになるまで生きのびる数よりも多く個体が生まれるので、適応性におとるものはつねにふるいわけられて(→ 自然選択)、脱落しているにちがいなく、そうやって生息環境によりよく適応する個体群がのこるのである。環境が変化すると、個体群は適応性を維持する新しい特質が必要となる。適切な特質をもった個体がじゅうぶんな数だけ生きのこって、結果的に個体群全体の適応をみちびくか、あるいはその個体群が絶滅するかのどちらかなのである。それゆえ、ダーウィンの理論によれば、進化は適応にすぐれた個体が何世代にもわたって自然選択されていくことによっておこることになる。
ダーウィンの理論の中で、科学的な立証がもっともむずかしかった点は、生物の特徴、すなわち形質の遺伝についての推論だった。当時まだ、遺伝については理解されていなかったからである。遺伝の基本法則が学問的に知られるようになったのは、1860年代におこなわれていたメンデルの遺伝の研究が、20世紀になって明るみにでてからである。
メンデルは、形質が世代をこえて、別々の単位でつたわることを発見した。今日では、その単位は、統計的に予言できる方式で子孫にうけつがれる遺伝子(→ 遺伝学)として知られている。さらに、突然変異とよばれる遺伝可能な変化が、環境に関係なく遺伝子において偶然おこることも発見された。そして突然変異だけが、新しい遺伝子の供給源とみられたので、多くの遺伝学者は、進化が、有利な突然変異の偶然の蓄積によってのみ進行していくものと考えた。自然選択説、すなわち進化は適応によって進行するという説は、ド・フリース、モーガン、ベイトソンなどの突然変異論者の学説の影響もあって、1930年代に一時影がうすくなった。