| 検索ビュー | 認知心理学 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
知覚、記憶、学習、思考などを研究対象とする心理学の一分野。認知科学は近年めざましい発展をとげつつある。そこには心理学をはじめ、コンピューター科学、脳神経科学、言語学、哲学などの多様な領域がふくまれ、大きな分野を形成しているが、認知心理学はその1分野である。つまり認知心理学とは、情報処理を基礎とした認知主義的なアプローチをとる心理学のことで、ひろい意味ではたんに認知の領域ばかりでなく、社会心理学や発達心理学など、心理学の他の分野をもこの「認知主義」という大きな枠組みの中にとりこんであつかっていこうとする心理学のひとつの立場をあらわすものだといえる。
またせまい意味では、それは多様な心理学の領域の中でも、とくに認知の領域をあつかう心理学、つまり人間の認知の働きを研究対象としてとりあげ、それを上記のコンピューター科学をはじめとする認知科学の枠組みのもとで解明していこうという心理学の一領域をさす。ここでは後者をとりあげる。
| II. | 認知革命 |
後者のせまい意味においてさえ、現代の認知心理学は、旧来の認知研究の直接の延長線にあるとはいいがたい。現代の認知心理学は、その新しいパラダイム(取り組み方の基本的な枠組み)において、かつての行動主義心理学(→ 行動主義)と明確に区別され、さまざまな新機軸をふくむ新しい心理学をつくりあげ、しかもその枠組みのもとに、心理学全体をつつみこもうという意気込みをもった心理学だ、という認識があるからである。ガードナーはこれを、端的に「認知革命」とよんだ。
その「認知革命」は、第1に、従来の厳格な行動主義が、外的刺激環境とそれに対する生活体の反応だけに関心をかぎったのに対し、今日の認知心理学は、その行動主義心理学が否定し、とりあつかうのをさけた「心」や「意識」あるいは「心的表象」といった、脳の中で生起していると考えられる過程に、積極的にとりくもうとしていることである。
第2に、それにとりくむときの基本的な枠組みは、「情報処理」というコンピューター科学の基本概念にそったものであり、人間の認知の働きをコンピューターの機能と重ねあわせながら理解しようとする姿勢をもっていることである。
そして第3に、従来の心理学が個々の事実を集積して、そこからボトムアップ的に理論や仮説を構築していく姿勢が強かったのにくらべ、今日の認知心理学は、これまでの姿勢にくわえて、多数の「認知モデル」をまず構築し、そのモデルの妥当性をトップダウン的に検討するという方法でも、研究を展開するようになったことである。
このような「認知革命」をもたらした要因を考えてみよう。
| 1. | 行動主義の行き詰まり |
第1は、端的にいって従来の行動主義の行き詰まりである。
ワトソンの先鋭な行動主義宣言にはじまり、スキナーのオペラント条件付け理論によって発展をみた行動主義心理学は、およそ半世紀の間、心理学の世界に君臨したが、1950年代末になって言語学者のチョムスキーから批判をあび、それへのスキナーの反論が、どうみても有効な反論ではなかったところから、多くの心理学者が明らかな行き詰まりを感じはじめ、心理学の内部で「行動主義の限界」が指摘されるようになった。先のガードナーの「革命」という言葉にかけていえば、チョムスキーの行動主義批判は、いわば人心の動揺という「革命前夜」のエピソードだったといえる。
| 2. | 認知過程への関心 |
第2に、行動主義が支配的だったとはいえ、知覚や思考の領域は行動主義と対立していたゲシュタルト心理学の影響が強く、その伝統の中で、すでに刺激と反応を媒介する過程への関心がひそんでいた。
知覚は、刺激に対するたんなる反応ではない。バッターの打ったファウル・ボールがこちらにむかってとんでくるとき、とっさにそれをさけようとする。外部からの観察だけなら、ボールの進行方向と人間のさける反応との関係しか問題にならないようにみえる。しかし、さけようとする当事者にとっては、ボールがこちらへとむかってくるようにみえる、その「見え」と、ボールがあたりそうだという一瞬の判断が、さけるという最終反応の手前ではたらいている。知覚とは、まさにその「見え」や判断など、さけるという最終反応にいたる、認知の過程を問題にすることのはずである。
あるいは、ヌホ、キハ、チトのような1系列になった十数個の無意味つづりを1つずつ何回もくりかえし提示されるのを記憶し、その提示順に1つ手前を予言するという典型的な記憶実験を考えてみよう。
そのような刺激リストを何回もみせられた被験者は、いずれは十数個からなるその系列全体を記憶し、正しく1つ手前を予言することができるようになる。このときの被験者の行動を、外部からだけしか見なければ、刺激の特徴(無意味つづりの有意味度、刺激の系列位置、刺激の個数、刺激の提示回数など)と、個々の提示位置における反応の正誤、およびその頻度との関係しか問題にならない。
しかし実際に被験者になってみると、最初のうちは頭の中が混乱して、系列の最初と最後しかおぼえられないが、何度もくりかえして無意味つづりをみている間に、語呂合わせなど、なんとか前後の無意味つづりどうしの間に関連をつける試みが思いうかび、そのような努力をしているうちに、急にその1系列が頭の中にしっかりやきついた感じがしてくる、といった経験がえられる。この被験者の内観にみられるような過程こそ、人の認知の働きにほかならない。
厳格な行動主義はこのような刺激とそれへの反応を媒介する過程を、原理的には問題にしなかった(新行動主義はこの媒介過程を問題にしようとした)。しかし、実際に実験にとりくむ心理学者は、そのデータを解釈する際に、自分が被験者になったときの経験や被験者の頭の中に生じているであろう認知のさまざまな働きを推測して、「そのような認知の過程を無視することはできない」、「その過程の働きこそが当該の現象を理解する鍵になるのだ」と感じはじめていた。
つまり、ミラーのチャンク(情報のまとまり)という考え方やブルーナーの情報処理的な概念学習の考え方、さらに知覚学習の問題などに代表されるように、1950年代の心理学自身のうちに人間の内部で進行中の過程を問題にする土壌があり、これが認知革命にいたる準備段階となっていた。これはいわば、革命前夜における旧体制の内部崩壊の兆しということができる。
| 3. | コンピューター・アナロジー |
第3は、コンピューターの登場である。かつてフロイトは、人間の心的活動のイメージを、当時の代表的な機械であった蒸気機関車にもとめたといわれるが、今日の認知心理学は人間をコンピューターになぞらえることによってなりたつといっても過言ではない。その理由は、まずコンピューターは入力情報を処理する情報処理機械であり、しかもその出力情報の精度や価値が、その処理手続き(過程)に依存するような処理機械だという点で、処理過程と人間の知の働きの過程との間に、密接なアナロジー(類比)がなりたつことである。
1956年にニューウェルとサイモンが発表した人工知能プログラムは、人間の認知とコンピューターの働きとの関係を考えるうえで、ガードナーのいう「認知革命」の始まりをつげる意味をもっていた。もちろん、人間の認知の働きとコンピューターの働きは完全に、一致するわけではない。しかし、認知心理学は、ある点で「人間をコンピューターのようにみなす心理学」なのである。
このアナロジーによって、「心的表象」という、行動主義においてタブー視された、人間の内部過程にアプローチすることが可能になった。
コンピューターの場合、入力された情報はその処理過程においてなんらかの記号(たとえば2進法の数字の組み合わせ)で表現されていなければならない。人間を情報処理システムとみなすとき、処理過程におけるその内部情報の表現は、心的表象mental representationとよばれる。それが「心」や「意識」とぴったり対応するかどうかはともかく、まず人間の内部過程に入力情報が、なんらかの変形をうけた「頭の中の記号」があるという考えがみちびかれ、それへのアプローチがはかられるようになった。
他方、コンピューターは記憶されたプログラムにそって入力情報を処理する機械であると同時に、その途中の処理過程つまり情報処理の手続きが、多数の記憶回路を利用して記憶を変換する複雑な記憶装置でもある。コンピューターと人間とのアナロジーはここにもおよんでくる。つまり、人間の知覚や思考などの認知の働きにおいても、記憶の働きが重要な意味をもち、したがって認知心理学は、ある意味で記憶を重視する心理学だという点を示唆することである。認知革命は、皮肉なことに、行動主義が主力をそそいだ学習の、裏側にある記憶の問題にその革命の突破口をみいだしたのである。
| 4. | 脳神経科学の影響 |
第4は、脳神経科学など隣接領域の新しい知見が、情報処理過程の考えを助長したことである。人間の認知が脳の神経細胞間の複雑なネットワークの活動によるということは、今やだれもうたがわない。もちろん、神経細胞の働きが解明されれば心理学の問題は解決するわけではなく、そこには明らかに領界の次元の違いがある。しかし、認知の働きは、脳内過程に依存するのであるから、そのメカニズムがわかることによって、人間の認知の働きの理解がすすむことは大いに考えられる。
さまざまな認知モデルの妥当性は、脳の働きとの関連において考えられることがしばしばある。また知覚情報処理モデル自体に、認知革命の前後にヒューベルとウィーゼルが、ネコの脳の視覚受容野の研究から明らかにした、個々の神経細胞がもつ特定の形態分析機構の考え方が、とりこまれていたりするのである。
| 5. | 認知心理学の確立 |
そして最後に、認知心理学の名称の出所となったナイサーの「認知心理学」(1967)の出版である。この記念碑的な本の出版は、認知革命がいつおきても不思議ではない当時の状況下において、その革命を現にひきおこし、いまだあいまいなその動きにはっきりとした方向性をあたえ、それを具体的にリードする指導的意味をもつものであった。ニューウェルとサイモンの人工知能プログラム「ロジック・セオリスト」が認知科学の幕開けをつげるものだったとすれば、上述のミラーやブルーナーの研究や、ナイサーの本の基になったスパーリングの研究などがその先駆けになったとはいえ、幕を切っておとしたのはやはりナイサーのこの著書にあったといってよい。
心理学の歴史をふりかえれば、19世紀末から20世紀にかけて活躍したブントの内観中心の心理学から、20世紀にはいると、一方には行動主義による「学習」の領域が、もう一方にはゲシュタルト心理学による「知覚」の領域が、そしてもう一方には無意味つづりをもちいたエビングハウスの「記憶」の領域が枝わかれし、それぞれ相対的に独立して研究されてきたことがわかる。ところが今やこれらの領域は、それぞれの歴史の独自性をのこしながらも、より大きな「認知」という枠組みの中で、情報処理、内的表象、コンピューター、モデルというような合言葉によってかたられる、大きな分野の一領域として位置づけられるようになった。そして、ある意味ではブントの内観的心理学が、装いを新たに復権したとさえいえる。
こうして、従来の狭義の認知研究(知覚、記憶、言語、思考など)は、隣接するコンピューター科学、人工知能研究、神経科学などとの対話を強めながら、しだいにその影響を心理学全体へとおよぼすようになり、今や心理学全体に認知主義的アプローチを根づかせつつあるようにもみえる。それにともなって、それぞれの領域においては、過去につみあげられてきた知見を情報処理的観点からとらえなおしたり、新たに構築されたモデルにしたがってこれまでのデータを解釈したりする動きもあらわれてきた。
| III. | 感覚・知覚の過程 |
今、音楽会で、オーケストラの演奏をきいている場面を考えてみよう。大勢の楽団員や多種多様な楽器がみえ、また彼らがその楽器を演奏している様子がみえる。楽団員は、左右と奥行き方向にひろがって配置され、その手前の中央には後ろ向きの指揮者がタクトをふりながら指揮をしている。奥にいる楽団員の中には前の人にかくれて見えにくい人もいる。つややかな茶色にぬられた弦楽器は、床の木部とはその質感が明らかにちがい、また金管楽器も形状や色の違いばかりでなく、つやの違いがあるのに気づく。ききなれた旋律の中に、むかって右側のチェロやコントラバスからは腹をゆさぶるような低音が、また第1バイオリンのパートからはなめらかな弦の高音が、そして中央後部のトロンボーンからはつんざくような金属音がきこえてくる。
コフカは名著「ゲシュタルト心理学の諸原理」の中で、「なぜ物は現に見えるとおりに見えるのか」と問いをたて、これにこたえるのがゲシュタルト心理学の課題だとのべた。認知心理学もまさにそのように問いをたて、それにこたえようとする。つまり認知心理学は、現に目の前にくりひろげられる知覚風景を、現象学的に記述するよりは、むしろ現に知覚されていることが、なぜそのように知覚されるのかを知る(説明する)試みなのである。
そこで先の音楽会の知覚風景を念頭におきながら、認知心理学では、これをどのように理解しようとし、その際、何が問題になるのかを考えてみることにしよう。認知心理学のモデルでは、まず外界の多様な情報が人間の感覚器官に入力情報として摂取されるところから出発する。ここでは視覚と聴覚に話を限定しよう。
| 1. | 感覚過程 |
視覚の水準では、たとえばある弦楽器から反射された光(視覚情報)が網膜の明暗をとらえる視細胞や、それぞれ赤色、緑色、青色をとらえる視細胞によって並列的にとりこまれ、その後、3次元的なその楽器の面を構成するように、とりこまれた視覚情報の輝度とスペクトルがその目的に応じて並列に分散処理される。聴覚の水準では、さまざまな楽器から発せられた音波が鼓膜につたえられ、そこで鼓膜の機械的振動に変換され、次にそれが耳小骨を経由して蝸牛(かぎゅう)管につたえられ、その基底膜を振動させる。そして、この基底膜にある内有毛細胞や外有毛細胞の働きによってその音波の周波数分析がおこなわれる。→ 眼球運動:耳
| 2. | 感覚器における情報処理 |
感覚器における細胞レベルの処理や分析は、感覚器に固有の制約をもち、視覚の場合は、光エネルギー(電磁波)だけが処理され、聴覚の場合には、音波だけが処理される(これを感覚器に対する適刺激という)。また古典的研究が明らかにしてきたように、適刺激であっても、それが処理可能となるためには、一定の範囲内の強度であることが必要である。処理されて知覚をもたらすのに必要な下限の強度の刺激を刺激閾(しげきいき)または絶対閾、上限の強度の刺激を刺激頂といい、また知覚可能な最小の刺激間強度を弁別閾という。刺激閾と刺激頂については、人間の耳に聞こえる音波は16~20000Hz(ヘルツ)の間であって、それを下まわるかあるいは上まわる振動数の音はきこえないという例がわかりやすい。また、弁別閾はそれぞれの感覚の様相によってことなるが、一般に基準となる刺激をS、弁別閾をΔSとするとき、ΔS/Sの比は一定であることが知られており、これはウェーバー比とよばれている。
| 3. | 感覚記憶 |
さて、このように末梢器官で処理され、心的表象(頭の中の記号)に書きかえられた多様な情報は、感覚記憶とよばれる機構に短時間保持され、そこでどの情報をより高次の処理にかけるか選択される。選択され処理された情報は、次の短期記憶に貯蔵され、それ以外の情報はそこで消失する。このことは、情報はたんに感覚過程から知覚過程へと、一方通行にながれるものではなく、すでに稼働している知覚過程から感覚過程の情報が、逆向きの影響をうけることがあること、したがって両過程は、相互作用することが示唆される。
視覚の場合の感覚記憶をアイコニック・メモリーiconic memoryとよび、そこに保存される情報をアイコンiconとよぶ。この記憶容量はきわめて大きく、またその保持時間はスパーリングの実験から、およそ0.2秒前後といわれている。また、聴覚の場合の感覚記憶をエコイック・メモリーechoic memoryとよび、そこに保存される情報をエコーechoとよぶ。エコーはアイコンよりもかなり保持時間が長いことが知られている。
| 4. | 知覚過程 |
先の音楽会風景で、今、指揮者の向かい側にいるビオラ奏者のビオラに注意をむけるとしよう。視覚の場合、まず網膜において処理された輝度とスペクトルから、どのようにしてビオラという物体の認識が、可能になるかが問題になる。ビオラは奏者の動きによって、あるいは聴衆である自分のちょっとした姿勢の変化によって、その形態のさまざまな側面をみせる。それは奥行きのある特有の形をもった3次元の物体としてみえ、こい茶色のつやのある肌理(きめ:テクスチャー)をもつものとみえる。
今日の認知心理学では、まずこれを「面」の再構成の問題と考える。3次元の面は形、両眼視差、陰影、肌理、色、明るさ、動きなどの次元をもっているが、網膜で処理された段階の情報では、これらの次元に関する情報が一体になっており、次の処理段階でこれらの次元(視覚モジュールという)がある程度独立して並列処理され、それらが最終的に統合されて、ビオラの知覚をもたらすと考えられている。
| 5. | 視覚的パターン認知 |
第1に、古くはゲシュタルト心理学が明らかにした図と地の分化である。選択的注意がビオラにむけられるとき、それが図になって前景にでて、その周辺の人や楽器は背景となって後景にしりぞく。最近の研究によれば、図の処理には解像度の高い低速処理がおこなわれる視覚チャンネルがつかわれ、地の処理には解像度の低い、しかし高速処理が可能な視覚チャンネルがつかわれるという。もちろん図と地の処理は、図の領域を図として明確に分化させるばかりでなく、輪郭や奥行き(→ 奥行き知覚)の情報処理など、ほかの処理過程と密接にむすびついている。
第2は欠落情報の補完の問題である。網膜の乳頭(いわゆる盲点)には光に反応する視細胞がないので、外界刺激がそこを横切って像をむすぶ場合には、われわれは途中でとぎれた形を知覚するはずであるが、実際にはそうはならない。そこから、視覚には欠如した情報を視野のほかの情報から補完するような働きがあることが予想される。
補完には断続した線分を1本の連続した線分にする完結化、欠落した色の部分をうめあわせる充填(じゅうてん)化があることが知られている。今、円形の一部に正方形をのせるとき、そこにできる図形は、正方形全体と円の一部が切れた図形とが、ぴったり隣接してできた図形とはみえない。むしろ正方形の背後に円図形があるとみるほうが自然である。欠落した部分を補完してその「固有輪郭」を構成することは、パターン認知には欠かせない働きである。
ある刺激パターンがあるとき、そのパターンが外的対象の何に対応するか、いいかえれば、そのパターンの意味は何かを知る働きをパターン認知という。これは、脳内あるいはコンピューターの場合は、システム内に書きこまれている概念(ある対象についての内的表象、コンピューターの場合はその対象についての知識表現)と、入力情報とをマッチングさせる過程でもある。
| 5.A. | 鋳型照合モデル |
その中でも、もっとも単純で以前から考えられてきたのは、頭の中にいくつもの鋳型があらかじめあって、それと入力情報とが照合されるという鋳型照合template matchingの考えである。実際、カエルの網膜には、虫の像(あるいはそれに似た形)がうつったときに応答する細胞があることが知られている。また、初期のコンピューターの図形認識は、この鋳型照合のモデルにもとづいておこなわれるものが多かった。
このモデルは、刺激パターンの大きさや傾きなどが鋳型とずれた場合にどうするかに問題をのこしている。すなわち、ことなる条件それぞれに対応する鋳型を考えるのは、鋳型の数が膨大にならざるをえない点で問題であり、また刺激パターンのほうをあらかじめ正規化するように前処理がほどこされるのだと考えるのも、その正規化の複雑な処理を考えなければならない点が問題である。
こうして、鋳型照合モデルはさまざまな難点をもつと当初から考えられてきたが、最近では鋳型を実空間の中で考えない、新しい鋳型照合モデルも提出されている。
| 5.B. | 特徴抽出 |
次に考えられるのは、ある図形を他から区別してとらえるうえに有効な複数の示差的特徴(distinctive features=水平・垂直・斜めの線分、閉曲線、交点など)を抽出してリストをつくり、個々の示差的特徴の有無によって、その形を代表させる(内的表現とする)というモデルである。このような特徴分析的な認知モデルとしては、セルフリッジのアルファベット文字を識別するためのパンデモニアム・モデルが有名である。
たとえば文字Rの識別は、その刺激パターンがまず「イメージ・デーモン」の層において内的表象(内部表現)に変換され、次にその変換されたデータが「特徴検出デーモン」の層(これは28個の特徴のリストからなる)において、それぞれの特徴の有無に関する並列処理をうけ、その出力が「認知デーモン」の層にいれられる。この「認知デーモン」は特定のアルファベット文字をみはっていて、特徴検出デーモンからの出力に該当するものがあれば活性化する。これによっていくつか活性化する文字があるなかで、特徴検出デーモンからの入力を多数ふくむものが「決定デーモン」の層で判別されて、「R」という文字の最終認知に到達する。
この特徴検出に関しては、神経生理学的水準でもそれに類するものがあることが知られている。たとえば前出のヒューベルとウィーゼルは、ネコの視覚受容野の神経細胞には、単純細胞、複雑細胞、超複雑細胞の3種があって、それらは線分、傾き、角、境界などの刺激特性に選択的に反応することをみいだし、これらを特性検出器とよんでいる。また、視覚神経系の中には、両眼視差や刺激の動きとその方向などの特性を抽出する神経回路があることも発見されており、それらは奥行き知覚や運動知覚に関連があるといわれている。
| 5.C. | 3次元知覚モデル |
これまでみてきたのは2次元のパターン認知であったが、実際の物体の知覚は、ほとんどが3次元的である。ここで、網膜の2次元的なデータからどのようにして3次元的な特徴を再構成するのか(認知するのか)という問題が生じる。しかもその物体の同定は、観察者の移動や対象物の動きによって観察点が変化すれば、3次元の物体の2次元的像の形状がいちじるしく変化するという制約のもとでおこなわれなければならない。
とくに工学的な画像処理などでの対象の同定過程では、観察点に左右されない形状の特性抽出が必要になってくる。マーによれば、どのような物体も、長さと太さがことなる何個かの円筒形によって、内的表象(内部表現)をえがけるという。ちなみに人間は、頭部、胴体、両手、両足の合計6個の円筒形で表示される。同じくビーダーマンは、弧や線分から構成されるジオンgeonという名の36種の立体(のちには24個に縮減)を考え、これによって物体の内部表現を考えようとしている。
| 5.D. | 総合による分析モデル |
以上のモデルは対象の特徴を分析し、いわばボトムアップ型に情報処理を考えるものであった。そこでは背景や文脈効果、知覚主体の動機付けなど、周辺情報や主体的要因が顧慮されていない。これに対してナイサーは「総合による分析モデル」を提唱する。それによれば、刺激の予備的分析、背景情報や文脈情報との対照、既存の知識などにもとづいて、まず対象についての仮説が構成される(この刺激パターンはAである、という仮説的同定判断がなされる)。次に、その仮説的対象から予想される特徴が、あたえられた刺激にふくまれているかどうかの分析がおこなわれる(これが対象Aであるなら、それはその示差的特徴fをもっているはずだ)。それが検出されれば同定は確定し、仮説とことなる特徴がみいだされれば仮説が修正されて同じ処理がくりかえされる。
総合と分析が循環する情報処理がおこなわれ、最終的な認知に到達する。このモデルは、刺激の情報処理が仮説からトップダウン型に展開されるという点で、これまでのモデルとはことなり、選択的注意や刺激の特徴探索が、その暫定的仮説に規定されることを示唆している。
| 5.E. | ナイサーからの発展 |
ナイサーのこのモデルは、パターン認知における文脈効果や選択的注意の問題を喚起して、多数の研究を生みだした。一般に対象の認知は、それが文脈に適合している場合には、促進され、適合していない場合には、妨害される。また、対象があいまいであるときほど文脈効果はいちじるしいことも知られている。ここに文脈とは、ある事物がどのようなものと同時にあらわれることが多いか、という空間的文脈、ある事象は、どのような継起においてほかの事象とつながっているか、という時間的文脈にわかれ、それぞれは、後出の経験的知識(スキーマやスクリプトあるいはヒューリスティクス)に依存している(→ シェム)。
| 6. | 選択的注意 |
感覚器で処理された情報がアイコニック・メモリーにはいっているときは、まだ前注意の状態にある。そこには外界の多様な情報がはいっているはずであるが、われわれの認知はそのごく一部分にかぎられるところをみると、そこに情報の取捨選択がはたらき、それを支配しているのが選択的注意の過程であると考えられる。この選択的注意は、視覚的にはたらくばかりでなく、聴覚的にもはたらく。大勢の人の声の中から特定の人の声をききわけることができるのは、選択的聴取の働きによる。
選択的注意の働きはさまざまなメタファー(比喩)によって考えられてきた。そのひとつはスポットライト・メタファーである。これは一定の注意領域内にある情報の処理が促進され、しかもその注意領域が移動するという考えにもとづくもので、このスポットライトの大きさや移動の速さなどがしらべられている。
もうひとつはズームレンズ・メタファーである。これは注意領域の大きさは知覚事態によってかわるのではないか、との考えにたち、カメラのズームレンズは、ひろい視野をカバーするときは、その空間解像度は低下し、視野がせまく限定されるときには、その空間解像度はあがるところから、注意にもこのズームレンズの働きに相応する働きがあるのではないか、というものである。このメタファーは、いろいろな点でスポットライト・メタファーと対立するので、種々の実験によってどのような事態にどちらのメタファーがより適切かの条件がしらべられている。
| 6.A. | 眼球運動との連関 |
選択的注意と眼球運動との関係は、注視点のサッケード(飛躍運動)によってしらべられてきた。たとえば、周辺視野にある目標物がとらえられるとき、そこに注視点がさっと移動し、中心視によってそれをとらえなおすような変化がおこる。このときの注視点の移動をサッケードとよぶ。
一般に1点に凝視点が停留している時間は、およそ0.2秒、そして停留点から次の停留点までのサッケードに要する時間は、およそ0.05秒、さらにサッケードの間は、網膜情報処理が抑制されることが知られている。このようなサッケードが、選択的注意と関係があることはいうまでもない。
| 6.B. | さまざまな課題 |
これまで、認知心理学の問題の立て方や議論の仕方を駆け足で概観してきた。音楽会のシーン全体を視野にとらえた状態から、ビオラ奏者に注意をむけ、さらに楽器のビオラに注意をむけ、その3次元的な物体をビオラと同定する過程が、さまざまなモデルでどのように説明されるかをみてきた。しかし、古典的な知覚研究との関連からすれば、なお形や大きさの恒常性(→ 知覚の恒常性)という問題や、奥行き知覚の問題、奏者の運動と知覚との関係などが明らかにされなければならず、ひとつの知覚的風景の視覚面にかぎってさえ、それを今の認知心理学の枠組みのもとに完璧に理解することがいかにむずかしいかがわかるだろう。
さらに聴覚的側面についていえば、オーケストラの演奏をとおして耳にはいってくるさまざまな楽器の音が末梢感覚器において周波数分析にかけられることは、すでにみたとおりである。しかし少なくとも、わたしの耳は、楽器全体がかなでる音のハーモニーをききながら、他方でそれぞれの楽器の音をその位置に定位することができ、また注意をビオラにむけるときには、その音のハーモニーの中に、バイオリンやチェロの音とは区別してそのビオラの音をききわけることさえできる。
このような音源定位の問題や音脈分凝の問題もわれわれの聴覚的認知の基本的な問題であろう。つまり、聴覚の末梢部位でえられた情報がどのように分解されて、音源定位と音脈分凝をもたらすかという問題である。
さらに、今きこえてくる旋律は、ある作曲家のある作品のある楽章であることをわたしは知っており、次にどのような旋律がくるかを予期し、しかも、すでに何度もききなれた著名な指揮者による名盤の演奏と比較して、今耳にするその演奏がうまいのかへたなのかの審美的な判断もおこなっている。音楽会である演奏をきくということは、このように現在の聴取経験と過去の経験とが混交するなかで、審美的判断をもふくむさまざまな認知が同時進行するということなのである。このような視覚的、聴覚的な知覚過程に記憶過程がからんでくることはいうまでもない。
| IV. | 記憶過程 |
一般に記憶とは、過去におこった出来事がなんらかの形で頭の中に保持され、ある時間を経過したのちに、それが必要に応じて想起され、なんらかの形で再生される過程と定義することができる。
(1)友人とであい、1週間後に再会を約束してわかれた人が、1週間後にその約束を思いだして約束された場所にでかけるというのは、記憶の働きによる。(2)授業で学習した外国語の単語を試験にそなえておぼえ、試験の問いにこたえるというのも記憶の働きによる。(3)ある犯行を目撃した人が、かなり時間が経過したのちに、その時の出来事を証言台で証言するというのも、記憶の働きによっている。
これらの例をふりかえりながら先の記憶の定義にもどってみると、出来事がおこった過去を起点にすれば、記憶の問題は、その過去の出来事から現在の行動へ、という時間の流れに順向した過程と考えることができる。しかし、現在を起点としてこれを考えれば、記憶の問題は、今ここから時間をさかのぼり、過去の出来事にたどりつく、という想起の問題だということになる。
3つ目の証言の例などでは、過去の出来事が、客観的にどうであったかは不明であることが多いから、想起された過去の出来事にもとづく証言は、証言する主体にどれほど過去の出来事そのものの再現だと思われようとも、その主体によって「構成された」という一面をもたざるをえない。
しかしながら、エビングハウスにはじまる記憶研究の歴史は、記憶を基本的には過去の出来事を起点にした、時間に順向する過程として、研究してきたといえる。すなわち、過去の出来事(刺激)→記銘(頭にやきつける)→保持(頭の中に保持する)→想起(思いだす)→行動(反応)という時間の流れにそった過程としてである。今日の認知心理学でも、記憶の問題は、情報処理の観点から、入力(刺激)→コード化→貯蔵→検索→出力(反応)という流れで考えられている。
| 1. | コード化 |
外界の膨大な情報は、感覚器での処理を経由して、感覚記憶に一時的に保存される。その膨大な情報のうち、重要な情報だけがとりだされ、優先的に処理システムにとりこまれる。そのとりこまれた情報を、後処理が可能な表現形式に変換する過程を一般にコード化という。
| 1.A. | コード化の種類 |
今「コンピューター」という印刷された言葉をおぼえるようにいわれた人は、この刺激のどのような属性に注目して、記憶しようとするだろうか。まず第1に考えられるのは、これをよんだときの音韻の属性をそのまま頭にやきつけようとするやり方で、これは「音韻的コード化」といわれる。
次に、これを文字のかたまりとして視覚的にとらえ、それを頭にやきつけようというやり方があり、これを「視覚的コード化」という。さらにこの刺激の意味を考え、その意味として頭にやきつけるやり方があり、これを「意味的コード化」という。これらのコード化は、記憶すべき材料によって、あるいはもとめられている記憶課題によってことなることはもちろんであるが、記憶する主体のコード化の方略(ほうりゃく)や利用する文脈などによってことなってくることが知られている。
| 1.B. | 処理水準 |
クレイクとロックハートは、コード化の種類は、情報の処理の水準、ないしその深さという点で同じではなく、そのことが記憶の保持の違いになってあらわれてくると考えた。
たとえば、音韻的コード化や視覚的コード化は、刺激の属性をそのままやきつける方略であるから、「浅い」処理の水準に属し、これに対して意味的コード化は、刺激の属性ばかりでなく、その意味や文脈情報をふまえてなされるものであるから、より「深い」水準の処理に属すると考えられる。そこから彼らは、コード化における処理水準説を提唱したわけである。この仮説を支持する研究者は多く、またその裏づけとなるかにみえるデータも多数ある。しかしながら、その処理の水準ないしは「深さ」の違いを、記憶の保持の違い(テストの成績)から切りはなしてとらえることがむずかしいために、完全に確証された考えにはなっていない。
処理の「深さ」ばかりでなく、「精緻化」や「差異化」など、横の広がりにおける処理との関連も考えあわせる必要がある。さらに、コード化は、単一の次元のコード化ばかりでなく、言語的コード化とイメージ的コード化が、同時におこなわれるという二重コード化説も提唱されている。
| V. | 短期記憶(作業記憶) |
コード化された情報が、現在進行中の認知活動に利用されるために、短時間の間だけ記憶に貯蔵される事実は、比較的はやくから知られ、短期記憶とよばれてきた。手帳に書いてある電話番号をみて、そのとおりにプッシュボタンをおして電話をかけることができたのちに、たちまちその番号をわすれてしまうというようなことが、われわれの周囲には無数にあるからである。もちろんこの短期記憶という用語は、時間的に持続した認知活動に、いつでも利用できる可能性をもった、長期記憶と対比されるものである。
クラツキーは、この短期記憶の機能は、たんに情報を短時間保持するだけではなく、コード化された情報に、種々の心的操作をくわえることを可能にするところにもあるとみて、これを「作業記憶」とよんだ。いわば大工の作業台のように、あるスペースのもとでさまざまな加工が可能になるという意味である。
たとえば、音韻的にコード化された情報をリハーサルするとか、視覚的にコード化されたイメージ情報を、頭の中で空間的に回転させるとか、あるいはコード化された情報を再コード化するなどの心的作業である。これまでの研究によれば、記憶保持の容量と作業スペースという作業記憶のもつ二重の機能は、一方がふえれば、他方がへるというトレードオフの関係にあることが知られている。
| 1. | 記憶容量 |
短期記憶の記憶容量は、記憶すべき項目を提示順に、どれだけただしく記憶できるかをしらべる、「直接記憶範囲課題」によって研究されてきた。音声的に提示される数字列を復唱するような課題である。ミラーはひとまとまりになった記憶の単位を「チャンク」とよび、直接記憶範囲、つまり短期記憶の容量は7 ± 2チャンクであると主張した。11桁(けた)の数字列をそのまま記憶するのはむずかしいが、電話番号のように、地域番号、局番、戸別番号にわければ、それはチャンクにして3であり、じゅうぶんに短期記憶容量内にあるから容易におぼえられるというわけである。初期には、この短期記憶に7個の収納庫があるという考えもなされたが、今日では、記憶容量は情報処理能力とむすびつけて考えられている。
| 2. | 短期記憶の時間 |
短期記憶の存在は、前にのべた手帳をみて電話する例のように、記憶にもとづいてある行為がなされたのちに、その記憶が、短時間後にうしなわれる事実によって、確認されてきた。そしてその忘却をふせぐうえで、リハーサル(頭の中での復唱)が利用されることも、われわれの日常生活から明らかである。
短期記憶の保持時間を知るためには、このリハーサルをおこなわせないようにする必要がでてくる。この妨害手続きとして、ブラウンとピーターソン夫妻はほぼ同じころに、独立して次のような手続きを考えた。すなわち、アルファベット3文字つづりを提示して記憶させ、その直後から、被験者にはメトロノームにあわせて3桁の数字(たとえば785)から3ずつ減じた数字を順々にいわせ、ある時間経過したのちに合図をあたえて刺激の文字つづりをいわせる。これは、短期記憶の保持時間を推定する典型的な実験手続きとして、ブラウン-ピーターソン法とよばれている。
その結果、文字つづりの短期記憶は、時間経過とともにうすれ、リハーサルを妨害されれば、およそ18秒後には再生できなくなることがわかった。この実験結果から、短期記憶は、一時的な記憶の貯蔵庫であり、その保持時間は、最大18秒で、そこでリハーサルなどの処理がくわえられなければ、その情報はうしなわれると考えられた。しかしその後の研究から、保持時間そのものは、提示される刺激の情報量や、利用できる処理容量と関連していることも、明らかにされている。
| 3. | 作業記憶モデル |
上記の短期記憶研究は、リハーサルやイメージの空間的回転などの心的操作が、そこに関与してくることを示唆し、それがクレイクらの作業記憶の考えをもたらすことになった。これをうけてバッドリーは、作業記憶の機能をより明確にしめした作業記憶モデルを提唱している。これは、中央制御部に、音声ループ(聴覚バッファー)部と視・空間スクラッチ・パッド部とよばれる構成要素をくわえた、3つの部門からなりたっている。中央制御部は、限度のある情報処理容量を2つの下位部門にそれぞれに配分し、その働きを制御する注意システムである。音声ループ部は、聴覚的情報の保持のための聴覚的バッファー(漏出防止装置)で、そこでリハーサルがおこなわれる。他方の視・空間スクラッチ・パッド部は、視覚的、空間的情報を短期的に保持する視覚的バッファーで、そこでイメージを形成したり、それを回転したり、走査したり、さまざまな心的操作が可能になる。このモデルは、中央制御部の機能など、まだ解明されていない点もあるが、作業記憶の機能を考えるうえに有効なモデルとして引用されることが多い。
| 4. | 作業記憶における心的操作 |
この作業記憶にも検索過程があることが知られている。たとえば、3、8、5、7のような4つの数字を提示して、これを記憶させ(直接記憶範囲内なので容易である)、その1~2秒後に8や9のような数字1字を提示して、それが先の数字列にあったかどうかをできるだけはやくイエスかノーで判断させる。この場合、作業記憶の中に保持されている数字列を走査し、それと目標刺激が合致するかどうかによって、判断がなされると考えられる。数字列をすべて走査する場合を「悉皆(しっかい)型走査」、走査の途中で正解にであって判断がなされてしまう場合を「自動打ち切り型走査」とよぶ。この種の実験によって、被験者が、作業記憶(短期記憶)に走査をくわえていることが明らかになる。
作業記憶における重要な心的操作のひとつは、これまでにも見てきたリハーサルである。リハーサルは、作業記憶の処理容量をかなり消費するらしい。今、リハーサルの容易な記憶課題とリハーサルの困難な記憶課題をあたえる2群を用意し、一定時間持続するリハーサル中に、ブザー音をならして、できるだけはやく、キー押し反応させるという第2課題をあたえる。この2群の結果をブザー音をきいてすぐキー押し反応するだけの、対照群と比較すると、反応時間は、困難なリハーサル群ほど長く、対照群がもっとも短いことから、リハーサルが処理容量を消費していることがたしかめられる。これらのリハーサルの研究から、リハーサルには、短期記憶に情報を保持し、あとの再認課題の成績を向上させるように機能する「維持リハーサル」と、長期記憶に転送するために、さらに処理をくわえる「精緻化リハーサル」の2種類があることが知られている。
ほかにも、作業記憶においては、一度コード化されたものをふたたびコード化するような心的操作がくわえられることがある。この再コード化には、チャンクによるまとまりをさらに高次のチャンキングによって、まとめるというもの、定位法やペグワード法のようにイメージを利用するものなどがある。再コード化にイメージの利用が有効であることは、たとえば鍵と馬など2つの名詞を対連合させて学習する課題をあたえられたとき、「馬が鍵をくわえている」というように2つをむすびあわせたイメージを形づくることによって、その学習課題の成績が、飛躍的に向上する事実にみることができる。また定位法とは、既知の場所に項目のイメージをはりつけていく方法で、のちに検索するときに、既知の場所を手がかりにすることによって想起が容易になるというものである。
| VI. | 長期記憶 |
長期記憶とは、旋律の一部をきいただけで曲名や作曲者が思いだされたり、場合によっては、その曲を初めてきいた場所や状況さえも思いだされたりするような、今現在の認知活動につかわれてはいないが、必要になればいつでも検索してつかうことのできる、永続的に貯蔵された情報のことである。それは、図書館に収納された本のように、ただ検索されるのを受動的にまつような性質のものではなく、種々の形でコード化されて保存され、現在の認知活動に応じて、検索の可能性が変化していくような、力動的なシステムをなしているものと考えられている。
| 1. | 長期記憶の種類 |
長期記憶には、言語や概念や規則など、言語をとおしてその意味が一般的な知識としてたくわえられている「意味記憶」(それが記憶された場所や日時を超越した記憶)と、何月何日にある場所でかつてのクラスメートとであったというように、ある個人的な出来事が長期間にわたってたくわえられている「エピソード記憶」(場所や日時が特定される記憶)がまず区別される。
さらに、習得した技能のように、場所や日時が特定されないという点では、エピソード記憶ではなく、言語的な意味にいちいちまとめられないという点では、意味記憶でもない、むしろ体がおぼえているという比喩があてはまるような記憶がある。エンジンを始動して、ギアをローにいれ、アクセルをふむというように、一連の運転動作の手続きをいわば手や体がおぼえているような場合がそれで、これを「手続き的知識」という。前二者の記憶内容は、言語的に「これこれは何々である」と記述できるのに対して、3番目の手続き的知識は言語的に叙述することがむずかしい。そこで前二者を一括して宣言的知識とよび、後者の手続き的知識と対比することがある。
| 2. | 貯蔵容量と保持時間 |
感覚記憶や短期記憶(作業記憶)とくらべると、長期記憶における情報貯蔵量は膨大で、保持時間も感覚記憶や短期記憶が秒単位から数分の単位だったのにくらべると、数分から数時間、ときには数十年間にもおよぶ。子供のころに見たうつくしい風景がはっきり脳裏にやきついていて、30年ぶりにその風景に接したときにも、以前見たのとまったくちがっていないという印象をうけることがある。
とくに、視覚イメージの長期記憶はかなり良好であることが知られており、犯人の顔写真照合によるヒット率の高さにその一端がうかがわれる。バーリックとウィットリンガーの調査結果によれば、高校時代のクラスメートの顔写真と名前のマッチング課題では、卒業後14年までは90%前後の正答率であり、卒業後30年を経過してもなお、60%以上の正答率であったという。
| 3. | 目撃証言 |
視覚イメージの長期記憶がかなり良好だという議論に矛盾するようだが、目撃証言における記憶は、あいまいになる可能性が高く、したがって目撃証言の確度については疑問視されている。
とくに問題なのは、顔の再認は、比較的良好であるにもかかわらず、そのエピソードの場面や状況の記憶があいまいなことが多いことである。ロフタスとパーマーによれば、ある自動車事故の映像を被験者にみせたあとで、「車はどれぐらいのスピードでぶつかったか」と質問したときと、「車がぺしゃんこにつぶれたときのスピードはどれぐらいだったか」と質問したときとでは、後者のスピード見積もりが明らかにはやかった。
ロフタスはこのような研究から、出来事の細部の記憶は、あたえられる質問によって誘導されやすいことを指摘している。ここには長期記憶に保持されている情報が、検索過程と相互作用して、言語的再生に転化する事情の一端がしめされている。さらに、記憶されたイメージを言語化するときの言語による2次的加工の問題もあり、目撃証言と「客観的事実」との対応のむずかしさがいわれている。
| 4. | 長期記憶へのコード化 |
短期記憶の情報を長期記憶へ転送するうえで、精緻化リハーサルが有効である。精緻化とは、概念的に関連のあるものをまとめたり、相互の間に意味連関をうちたてたり、できあいの知識にくみこんだりする、体制化の操作のことである。たとえば、何種類かのカテゴリーからそれぞれ複数の要素をとりあげて、それをランダムに配列したリストを記憶させ、それを自由再生によって再生させると、被験者の中には提示した順にこたえる者もいるが、なかには、カテゴリーごとにクラスターにわけて、再生する者もでてくる。これは、短期記憶から長期記憶に転送される段階で、カテゴリー群化の精緻化がおこなわれたことの結果である可能性が高い。
| 4.A. | 主体的体制化 |
タルビングは、被験者は受動的に刺激をうけとるだけの存在なのではなく、情報に積極的にはたらきかけ、自分なりのなんらかの基準をつくりあげてそれを体制化していると考え、これを主体的体制化とよんだ。日本の県庁所在地にあたる都市名を20個とりだしてランダム順に1回提示し、その自由再生をもとめると、被験者の中には、頭の中で日本地図を北から南へと走査しながら、答えを再生する者がでてくる。このような再生方略も、精緻化における主体的体制化のあらわれと考えることができる。
| 4.B. | 分散か集中か |
学習の反復もリハーサルの一種と考えられる。反復学習が長期記憶を安定させ、試験などにおいてすばやく解答するうえに有効なことは、日常的にもよく知られていることである。この反復学習を集中的におこなうのが有効か分散的におこなうのが有効かについては古くから検討され、一般に分散学習のほうがより効果的であることが知られている。このような分散効果が生じるのは、集中学習ではまず最初の学習時に1回目の処理がおこなわれ、まだその処理効果が存続しているところに次の学習がくるので、この回は処理の必要がなかったり、あっても浅い処理ですむのに対し、分散学習ではインターバルがあるためにそのつど深い処理がなされなければならず、それによって記憶が確固としたものになるのだという説明がある。これを分散効果を説明するための注意仮説という。
もうひとつの説明は次のようなものである。連続して学習する場合には文脈が同じである可能性が高いのに対し、分散学習の場合には長いインターバルの間に文脈も変化する可能性があり、文脈がことなればコード化も多様になる可能性がある。コード化が多様であれば、それだけ検索の手がかりがまし、結局は検索が容易になって成績が向上する。このような説明はコード化多様性仮説とよばれる。
| 5. | 忘却 |
一般に、長期記憶の取り出し方には、再生、再認、再構成、再学習という手続きがあり、そのどれをえらぶかによって成績はことなってくる。実際、試験を例に考えれば、再生は、穴埋め問題、再認は選択問題、再構成はあたえられたいくつかの用語から意味ある文章を作成する問題である。
| 5.A. | 忘却曲線 |
ふつうはもちいられないが、もっとも敏感な記憶のテストは、再学習法である。これはエビングハウスの古典的研究にもみられる。彼は、最初の学習(原学習)に要する試行数と再学習の差の割合を「節約率」と名づけた。この節約率は、時間の経過とともに減少する。これをグラフにあらわしたものがいわゆる「忘却曲線」である。
このグラフは一見、時間とともに記憶がうすれることをしめしているようにみえるが、節約率がゼロにならないということは、いったん記憶されたものは、なかなか忘却されないことをしめしてもいる。たしかに再生や再認というとり出し方では、記憶はゼロにひとしいという結果になる場合もでてくるが、再学習をさせてみると、なんらかの「節約」がみられ、むしろ記憶をゼロにすることはむずかしいことがわかる。
| 5.B. | 忘却の仮説 |
しかし、一般に時間経過によって記憶がうすれることは常識に合致しており、これを説明するための仮説がいくつか提出されてきた。そのひとつは、記憶痕跡減衰説で、これはエビングハウスの忘却曲線を説明する理論でもあった。
これに強く反対するのが干渉説で、それによれば忘却の原因は時間ではなく、時間経過中に生じた出来事についての精神活動が記憶過程に干渉をひきおこしたというものである。
このような古典的な学説に対して、記憶過程そのものを考える立場からは、検索失敗説がある。タルビングらは、先に紹介したカテゴリー群化が、可能な刺激リストの自由再生で、カテゴリーに群化して再生するように、手がかりをあたえると(手がかり再生)、自由再生よりも全体として成績があがることから、自由再生に失敗するのは、記憶がうしなわれたからではなく、検索に失敗したからだと考えた。この考えは、記憶情報の利用可能性と記憶情報へのアクセス可能性を、区別する必要があることを示唆している。
| 6. | 検索過程 |
記憶テストにもちいられる再生と再認は、検索過程と密接につながっている。再認の場合、思いだすべき項目はそこに提示されている。それゆえ、貯蔵されている記憶表象とのマッチングを直接におこなうことができ、消去法が採用できる。再生はこれができないために、成績は一般に再認よりもわるい。
こうした検索過程に関するモデルのひとつに、生成・再認説がある。これは、再生課題の場合、まず質問を手がかりにして、2次的な検索手がかりをつくりだし(生成)、それにもとづいて記憶表象をしらべ、可能な候補を選出し、それと記憶された項目とのマッチングによる、再認段階(再認)に移行するという2段階説である。再生課題は、この2段階を経由するのに対し、再認課題はこの2段階の後段だけですむ。そこに成績の差がでる理由があるという。
この説を支持する研究者や実験結果は多いが、このほかにも、タルビングのコード化多様性説やジョーンズの二重経路説など、これとことなる理論も提出されており、検索過程については、多方面から検討がくわえられている。
| VII. | 知識の体制化 |
本来これは意味記憶や記憶表象、コンピューター科学の文脈では知識表現knowledge representationなど、長期記憶の枠組みに位置づけられるものであるが、ここでは長期記憶が、知識としてどのように体制化されているか、また知識は、現在の認知活動にどのように稼働されるかに関する研究の一端として簡単に紹介する。
| 1. | カテゴリーの体制化 |
われわれはさまざまな事物について概念を形成し、それによって事物の本質的な特徴を理解している。本質的な特徴とは、その事物を定義するものといいかえてもよい。たとえば三角形とは「内角の和が2直角となる図形」、円とは「中心からの距離が一定である点の集合」であり、逆にこの定義をみたすものはそれぞれ三角形や円という概念にふくまれるものである。
しかしながら、われわれが日常経験する自然概念(カテゴリー)は、みなこのように明確に定義されているかといえば、かならずしもそうではない。ロッシュは、自然物のカテゴリーは、それぞれ辞書的定義によって、たがいの境界を明確にする形で、体制化されているわけではないことを明らかにした。
ロッシュはまず「基礎カテゴリー」という概念を提示する。これは、三毛猫、シャム猫、ペルシャ猫、シマ猫など多様な猫が一般には「ネコ」という同一名でよばれるように、個々具体の個物が自然界でとる自然なまとまりのことをさす。鳥、魚、リンゴなども同様に基礎カテゴリーである。ロッシュによれば、それぞれの基礎カテゴリーは、複数の上位カテゴリーや下位カテゴリーをもつ。ネコの場合であれば、動物や哺乳類がその上位カテゴリーであり、上にしめした三毛猫、シャム猫、等々がその下位カテゴリーである。
| 1.A. | 属性 |
下位カテゴリーに属する個々の事物は、それぞれいくつかの属性をもっている。これらはその個物にだけある特徴もあれば、ほかの下位カテゴリーに共通するものもある。その点からすれば、基礎カテゴリーは下位カテゴリーの個物に共通する属性をもつと同時に、その属性がほかの基礎カテゴリーの属性との示差性を明らかにしているということになる。
基礎カテゴリーである「ネコ」は、特有の形、大きさ、泣き声をもち、俊敏さ、体や毛並みの柔らかさ、肉食などの特徴や属性をもち、それらの一部は基礎カテゴリーの「イヌ」と重なるにしても、ほかの多くの属性は「イヌ」のそれとことなることによって、われわれは「ネコ」を「イヌ」と見まちがえることはまずないのである。
ロッシュの考え方の特徴は、知覚世界の中の事物は属性の束によって特徴づけられ、属性の束の相違がカテゴリー間の差異を説明するとみるという点にある。
| 1.B. | 族類似性 |
ロッシュはさらに同一カテゴリー内の成員間の関係を考え、個々の成員は「族類似性」(family resemblance)によってむすばれているとみる。この考えの背後には、あるカテゴリー内の成員は、その典型性の程度において順位づけられる、という考えがある。たとえば、「鳥」というカテゴリーにおいて、スズメやウグイスは、その形状や飛翔(ひしょう)の形態などの点からして、だれもが「鳥」カテゴリーの典型的成員だと考えるが、定義の上ではたしかに鳥カテゴリーにふくまれるものであっても、フクロウやニワトリ、さらにはダチョウになると、典型性の点では、順位は明らかに低くなると考えるだろう。
典型性の高い成員どうしは、共通属性を多くもち、したがって族的類似性が高い。この原理にもとづけば、同一カテゴリー内の成員を2次元空間に配置することが可能になる。実際、ある個物があるカテゴリーの成員であるかどうかをできるだけはやく判断させるとき、その反応時間は、典型性が高いほどはやいことが知られている(典型性効果)。
| 2. | 意味(命題)ネットワーク理論 |
概念や名詞の意味を考えるときに、意味特徴semantic featureの集合によってそれを表現することが、これまで幾度となくこころみられてきた。たとえばスミス、およびショーベンとリップスは、コマドリとニワトリと鳥の意味を意味特徴によって表現することをこころみた。それによれば、そのいずれも「うごく」「翼をもつ」「羽毛がある」という共通する意味特徴をもついっぽう、「飛翔する」は、コマドリと鳥に共通するが、ニワトリは、この意味特徴をもたないこと、また「さえずる(→ 囀り)」や「小さい」という特徴もニワトリはもたないことなど、先のロッシュの属性の集合という考えに近い整理が可能になる。
彼らはさらに、それぞれの特徴に0から1の間の数値による重みづけを考えた。つまり数値の1.0は、その事物を特徴づけるうえで、その意味特徴が、本質的に重要であることを意味する。たとえばニワトリの意味の理解にとっては、それが「飛翔する」という特徴の重みづけが低いというばかりでなく、むしろ「あるく」とか「トサカをもつ」などの特徴の重みづけが高い、ということが重要だということになる。この確率論的意味特徴説は、われわれの言葉の意味理解の一端を比較的よく説明するものとうけとめられている。
意味(命題)ネットワーク・モデルを、コンピューターによる言語理解モデルとして、最初に提唱したのはキリアンで、このモデルはのちの研究に大きな影響をおよぼした。この意味(命題)ネットワーク・モデルには、いくつかの特徴がある。まず意味ネットワークの要素は、ノードとよばれる「点」でしめされ、それは上位カテゴリーや基礎カテゴリー、あるいは下位カテゴリーなど、記憶における個々の概念をあらわす。そのようなノードとノードが、矢印(方向性)をもった線でつながれて、ネットワークが構成される。まず個々の概念(ノード)は「もつ」「できる」「である」の3種類によって表示される。つまり、ある概念はいくつかの属性を「もつ」。またその概念は、いくつかの機能や働きをすることが「できる」。また、ある概念と他の概念との関係は、一方が他方の事例「である」という関係や、一方が他方の部分集合「である」という関係によってしめすことができる。
| 2.A. | 階層構造 |
こうして階層構造をなすネットワークが構成される。一例としてカナリアとダチョウ、鳥、動物の意味的ネットワークを考えてみよう。まず動物は、生物の部分集合であり、頭や足をもち、食物を食べることができ、代謝や生殖の機能をもつ。鳥は、動物の部分集合であり、羽や翼をもつが、とぶことができるものもあれば、できないものもある。カナリアは、その鳥の部分集合であり、黄色い色をもち、とぶことができ、目の前のカナリアはその事例である。他方、ダチョウは同じく鳥の部分集合であり、羽と翼をもつが、とぶことができない。
このネットワークの特徴のひとつは、カナリアの場合、食べ物を食べることが「できる」という特徴が、そのノードに直接記入されていないにもかわわらず、間接的に規定できることである。つまり、動物は、食べ物を食べる。鳥は、動物の部分集合であり、カナリアは、鳥の部分集合である。それゆえ、カナリアは、物を食べるという関係が規定されてくる。このように、部分集合の考えによって、意味が階層化されていると考えれば、コンピューターに言葉や知識を記憶させるときに好都合であることは明らかである。
| 2.B. | 活性化拡散モデル |
コリンズとロフタスは、キリアンのネットワーク・モデルにもとづいて、活性化拡散モデルを提唱した。このモデルでは意味的に類似したものが、接近して、配置され、共通特徴をより多くもつ概念ほど、多数の項目とむすびあわされている。この理論では、このようなネットワークにおいて、ある概念が活性化されれば、それがネットワークにそって拡散していくと考える。したがって、ひとつのノードが活性化されれば、その近隣にあるノードも活性化されることになる。
この理論モデルによって、「カナリアは鳥だ」と「ダチョウは鳥だ」の文章の真偽判断の速度が、前者のほうが後者よりもはやいという典型性効果など、種々の実験結果が、よりよく説明できることがしめされてきた。
この活性化拡散モデルは、文章理解にも有効である。たとえば「カナリアは鳥である」という文章を理解するときに、まず主語の「カナリア」によってカナリアの意味(ノード)が活性化し、それが鳥概念ノードに拡散する。したがって、読みが鳥のところにきたときのその処理速度は、すでに鳥の意味が活性化しはじめているので、鳥という刺激を単独であたえられたときよりもはやいと考えられる。つまり、先のカナリアが後の鳥の意味処理にある種のプライミング効果をもつわけである。
カナリアとダチョウが鳥であるかどうかの真偽判断速度の違いも、活性化拡散の度合いがカナリアとダチョウとでことなると考えれば、うまく説明がつく。同じことは、言語刺激についてもいえる。2つの言語刺激を少しの時間間隔をおいて提示し、それぞれの言語刺激が有意味であるか無意味であるかの判断をもとめる実験で、2つの言語刺激が意味的に連関していれば、2番目の刺激への反応が有意にはやくなる。このような意味的プライミング効果を説明するうえに、この活性化拡散モデルが有効であることは明らかである。
| 3. | スキーマとスクリプト |
長期記憶にたくわえられた知識や意味の情報処理を考えていくうえで、ラメルハートのスキーマ理論やシャンクのスクリプト理論はきわめて重要な意味をもち、またこれらの概念はほかの研究分野にも大きな影響をあたえてきた。とくに認知心理学においてこれらの概念が重視されるようになったのは、それがコンピューター言語で表現できる知識表現システムにおきかえられるからである。
| 3.A. | ラメルハートのスキーマの定義 |
スキーマという概念そのものは、バートレットの古典的な研究にすでにみられる。人はある事柄を記憶するときに、それを何かに関連づけて記憶しようとするが、その関係づけをもとめるときの既得の知識構造のことを、バートレットはスキーマとよんだ。それを認知心理学の枠組みの中でつかえる概念に練成したのがラメルハートやシャンクである。たとえば、「買い物をする」というのは、店にでかける、品物をさがす、どれを買うかきめる、お金をはらうという一般的な構造をもつから、ひとつのスキーマである。
一般的に何かを買うということはなく、買い物はどこかで何かを買うという行為のはずである。店はいくつもあり、買うべき品物も無数にあるから、具体的な購買行動は、この一般的スキーマの各項を変数とみて、それを一定の値(デフォルト値)でおきかえていく行為だと考えられる。
さらに、スキーマは、埋め込み構造ないし包含関係によって、いくつかのスキーマが相互に関連する形にでき、その意味で、スキーマは知識のかたまりである。これがラメルハートのスキーマの定義である。
| 3.B. | シャンクのスクリプトの定義 |
他方、シャンクは、レストランで食事をするという行為は、店にでかける、いすにすわる、メニューをみる、ウエイターにオーダーするなど、一連の連鎖した行為、つまりスキーマからなりたっており、したがって、通常のわれわれのレストランでの行為は、このレストラン・スキーマのプログラムにしたがってなされていると考え、このようなスキーマを俳優が台本にあわせて演技するときの台本になぞらえて「スクリプト」とよんだ。
われわれは世界でのさまざまな経験をスキーマやスクリプトの形に統合して長期記憶にたくわえ、また、今現在の認知や行動を、既得のそのようなスキーマやスクリプトをガイドに実行している可能性がひじょうに高い。つまり、過去の経験を知識として統合してたくわえつつ、現行の認知をそれによって枠づけるというように、スキーマやスクリプトは二重の機能をもっている。
こうして、スキーマやスクリプトに関する認知研究が多数生みだされることになった。また、文章読解など、心理学的に重要な認知研究のテーマでありながら、古典的な研究の枠組みのもとではじゅうぶんにとりくめなかった問題が、これらの概念をもちいることによって徐々に解明されつつある。
| 4. | 認知心理学の拡張 |
これまで、知覚過程や記憶過程など、今日の認知心理学研究の中でももっとも基礎的な部分について解説をこころみてきた。この領域にかぎっても、最近の新しい研究動向を詳細に紹介することはむずかしい。知覚や記憶の領域以外でも、言語心理学の領域や思考心理学の領域で数多くの認知研究がなされており、とくに近年はコンピューター・シミュレーションをもちいた研究が盛んになってきている。そのような認知心理学をその全体にわたって知ろうと思えば、いくつか出版されている認知心理学シリーズを通読する必要がある。またさらに、ここに紹介したモデルもふくめて、今日の最先端研究における認知モデルをじゅうぶんに理解するためには、狭義の認知心理学だけでなく、よりひろい認知科学の基礎知識、つまり情報処理理論(→ 情報理論)や人工知能など、コンピューター科学の基礎知識が必要になり、さらに神経生理学などの基礎知識も必要になってくるだろう。