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運河
I. プロローグ

灌漑、排水、治水、用水、交通・運輸などを目的として、人工的にほられた水路のこと。この項目では交通・運輸につかわれる運河だけをとりあげた。

II. 構造

運河は、古くから内陸の交通手段のひとつとして、小舟をとおすためにつくられたが、土木技術の進歩とともに、19世紀の後半ごろから、大型船がとおれるような運河の建設が盛んにおこなわれた。欧米では、前者をはしけ運河barg canal、後者を船舶用運河ship canalとよんで区別している。また、海洋と海洋をむすぶ海洋運河、内陸の河川と河川をむすぶ内陸運河と分類することもある。構造上では、スエズ運河にみられる水路の勾配(こうばい)が緩やかな水平式と、両端に高度差や水位差がある場合や、パナマ運河のように、中央部に高い地域がある場合に採用される閘門式(こうもんしき)がある。

1. 閘門式運河

初期の運河は、閘門式の一種ともいえる洗い堰式(あらいぜきしき)を採用している。洗い堰式は、水路の数カ所に階段状に堰をつくって流速を小さく、水深を大きくし、上流にむかう船はウインチでひきあげ、下流にむかう船は、堰につくられた斜路からたまった水でおしながす方式である。水路の勾配が急な中国の大運河は、洗い堰式によって建設された。

パナマ運河にみられる閘門式は、14~15世紀ごろ、ヨーロッパで開発されたといわれる。運河の数カ所にもうけられた閘門(水門)の開閉によって水位を調節し、船の運航を可能にするもので、日本では1731年(享保16年)、利根川から取水する見沼代用水(みぬまだいようすい)と芝川を連絡する通船堀に、木造の閘門がつくられた。

閘門式は、建設費、運営費がかかりすぎる、船の航行がはげしいと水の確保がむずかしい、などの欠点がある。

2. 標高差のある運河を通過する船舶の昇降

標高差のある運河を通過する船舶を昇降する方法には、インクラインと昇降機(ボート・リフト)がある。インクラインは、傾斜面にレールをしいて台車をはしらせ、船を台車にのせてその台車をロープで上げ下げする一種のケーブルカーで、日本では琵琶湖疏水(そすい)の京都市蹴上(けあげ)でつかわれていた。図にしめすように、ボート・リフトは、下流(上流)で船が移動式のタンクにうかぶと水門が閉じられ、タンクが船とともに上下して上流(下流)に移動するもので、ドイツを東西に貫通するミッテルラント運河で使用されている。

III. 歴史

運河の歴史は古く、すでに紀元前にはアッシリア人(アッシリア)、エジプト人、インド人、中国人によって、交通・運輸の手段として運河がもちいられていた。イラクの運河の遺跡は、前4世紀のものといわれ、中国の天津市と杭州市の1782kmをむすぶ大運河は、前6世紀に着工し1327年に完成、現在もなお使用されている。

17世紀になると、フランスからベネルクス三国、北ドイツへいたる低地帯では、盛んに運河建設がおこなわれた。1681年に完成したフランスのトゥールーズから地中海に通じるミディ運河は、当時の土木技術の粋をあつめたもので、その後の運河建設の手本となった。

帝政ロシア時代にピョートル1世は、首都サンクトペテルブルクとボルガ川河畔のルイビンスクをむすぶ、マリインスカヤ水路(現、ボルガバルト水路)の建設を開始し、19世紀はじめに完成した。

1832年にスウェーデンでは、イエータ川上流のベーネン湖からバルト海まで190kmのイエータ運河が完成した。イエータ運河を経由して、バルト海に面したストックホルムと北海側のイエーテボリがむすばれている。

ドイツのドナウ川とライン川をむすぶルートウィヒ運河177kmは、1832年に建設された。また、69年にはスエズ運河によって地中海と紅海がつながり、1914年にはパナマ運河の開通によって、はじめて太平洋と大西洋がむすばれて大幅に航路を短縮し、産業の発展に大きく貢献した。その後ドイツでは、ライン川東のドルトムント・エムス運河から、マグデブルク北のエルベ川までのミッテルラント運河(467km)が完成し、1万1265kmにおよぶ東西の交通の大動脈となっている。

IV. イギリスとアイルランドの運河

イギリスにおける最初の運河は、トレント川とウィザム川をむすぶフォスダイク・アンド・ウィザム水路で、ヘンリー1世統治下の1134年に完成した。18世紀後半から19世紀の初頭にかけて、アイルランドとイギリスでは活発に運河建設がおこなわれた。その時期のもっとも有名なものは、アイルランドの首都ダブリンとシャノン川を東西にむすぶ、134kmのグランド運河(1756年完成)と、スコットランド地方を横断する97.3kmのカレドニアン運河(1847年完成)である。また1894年には、マンチェスター運河が完成している。

V. 北アメリカの運河

カナダにはセントローレンス水路、オタワ川運河、シャンブリ運河、リドー運河(オタワ)、トレント運河などがある。これらの中でセントローレンス水路は、五大湖のひとつのスペリオル湖からセントローレンス湾まで、4.3mの深さの水路をそなえていたが、セントローレンス水路計画の一環として、喫水線が7.8mもある外洋船が、大西洋から五大湖畔のシカゴやツールーズまで航行できるように、1959年に8.2mまでほりさげられた。

アメリカでは、18世紀の末ごろから、東部の沿岸地域を中心に小規模な運河がつくられたが、内陸部の開発に寄与したのはエリー運河(1825年完成。現在はニューヨーク州運河システムの一部)である。この運河によって五大湖からハドソン川を経由して、ニューヨークまでの航路が開発された。以後、スー運河、沿海大水路、ヒューストン運河(ヒューストン)、チェサピーク・デラウェア運河(チェサピーク湾:デラウェア川)などが次々につくられ、大西洋航路は五大湖まで延長された。

VI. 日本の運河

日本では、17世紀ごろから運河の建設が盛んになった。17世紀前半のものとしては、角倉了以による高瀬川(京都中心部と伏見をむすぶ運河)の開削が知られるが、江戸時代には利根川、江戸川、淀川、大和川、北上川などでも水路がつくられ、交通や運輸、灌漑などに利用された。遠賀川と洞海湾をむすぶ筑前(現在の福岡県北部)の堀川もこのころつくられたもので、明治時代には、筑豊炭田から産出する石炭の輸送につかわれた。また、1890年(明治23年)には田辺朔郎(たなべさくろう)によって、大津市と鴨川をむすぶ琵琶湖疏水(びわこそすい:疏水)が建設され、のちに京都の伏見まで延長されて、昭和初期まで小型船の交通に利用されたが、大部分の運河は、陸上交通の発達とともにその機能をうしなっていった。