| 検索ビュー | 有機化学 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
炭素化合物とその反応を研究する化学の一分野で、炭素酸化物や炭酸塩をのぞく物質を対象とする。医薬、ビタミン、プラスチック、天然繊維や合成繊維(→ 繊維)、また炭化水素、タンパク質、脂肪といったさまざまな物質が有機分子でできている。このような有機分子の構造を決定し、その多様な反応を研究し、有機化合物の合成方法を開発するのが有機化学である。
有機化学は、20世紀のわれわれの生活に大きな影響をあたえた。たとえば、有機化学のおかげで、天然の素材が改良され、また天然にある物質や新たな物質が人工的に合成されるようになり、その結果、生活は便利になり、快適さがました。今日生産されている便利な製品の多くは、有機化学の発展によって手にすることができるようになったのである。
| II. | 有機化学の誕生 |
有機化学の誕生は、ドイツの化学者ウェーラーが1828年に、シアン酸アンモニウムとよばれる無機物が、実験室内で尿素にかえられることを発見したことからである。尿素は多くの動物の尿中にみいだされる有機物である。
この発見がなされるまで、有機物の合成には、いわゆる生命力が必要であると考えられていた。ウェーラーの実験によって無機物と有機物の境界がとりはらわれた。現在では、有機化合物とは、炭素と1種類またはそれ以上の他の元素、多くの場合は水素、酸素、窒素、硫黄あるいはハロゲンをふくむ化合物をいうが、その他の元素をふくむものもある。

| III. | 有機化合物の化学式と化学結合 |
化合物をあらわす分子式によって、その物質の分子を構成する各種の原子の数がしめされる。たとえば、フルクトース(果糖ともいう)C6H12O6は、炭素原子6個と水素原子12個と酸素原子6個をふくむ分子からなっている。しかし、このほかに少なくとも15種類の化合物が、これとまったく同一の分子式であらわされるので、これらの化合物を区別するために原子の空間配置をしめす構造式が利用される。

分析によって炭素と水素と酸素の割合はわかっても、C6H12O6と、これと同じ1:2:1の元素比をもつもうひとつの糖であるリボースC5H10O5との区別はつけられない。
分子中の原子をたがいにむすびつけている力が化学結合であるが、これには、イオン結合、共有結合、金属結合の3種類がある(→ 化学反応:金属)。イオン結合は、プラスとマイナスの電荷がたがいにひきあう静電引力によって形成される。
共有結合は、2つの原子の間でたがいに電子を共有することによって形成される結合で、電子対結合ともよばれる。たとえば、ウェーラーの実験(図1)では、シアン酸アンモニウム中のイオン結合が、尿素では共有結合に変化している。
シアン酸アンモニウムでは、5つの原子からなるプラスの電荷をもったNH4+基と、3つの原子からなるマイナスの電荷をもったCNO-基との間にはたらく引力によって、イオン結合が形成されている。NH4+基の中では、NとHとをむすぶ4本の線が共有結合(電子対)をあらわしている。同様に、CNO-基と尿素分子の中では、原子をむすぶ線は共有結合をあらわしている。シアン酸アンモニウム分子に熱をくわえると、結合のしかたが変化する。
この例からもわかるように、炭素が共有結合を形成する能力は、1種類ではないのである。窒素と水素との間の結合も共有結合である。
しかし、炭素は他の炭素原子と、長い鎖状あるいは環状の共有結合を形成することができ、この点で他のすべての元素とことなる。炭素にはこのような性質と、またほとんどつねに他の原子と4つの結合を形成するという性質があり、これによって、炭素化合物の数がひじょうに多いことが説明される。知られている化合物の数は数百万もあるといわれているが、そのうちの少なくとも80%は炭素をふくんでいる。
| IV. | 有機化合物の分類と命名法 |
このような炭素のもつ特異な性質は、有機化合物のうちでもっとも単純な直鎖状の脂肪族炭化水素によくあらわれている。
| 1. | アルカン |
アルカンalkaneは、メタン系炭化水素、パラフィン系炭化水素ともよばれる脂肪族の鎖状飽和炭化水素であるが、この族のもとになるもっとも簡単な化合物がメタンmethane CH4である。この族の化合物には、さらにエタンethane C2H6、プロパンpropane C3H8、ブタンbutane C4H10などがふくまれるが、この族の化合物はすべて一般式CnH2n+2であらわされる。5つ以上の炭素をふくむ化合物の名称は、ふくまれている炭素原子の数をしめすギリシャ語の数詞の語尾に接尾辞-aneをつけてペンタンpentane、ヘキサンhexane、ヘプタンheptane、オクタンoctaneなどとよぶ。
しかし、ブタン、ペンタンといった名称だけではその分子の構造をあらわせない。たとえば、C4H10の分子式をもった化合物には、2つのことなる構造式が書ける。同じ分子式をもっているがたがいに構造式がことなる化合物を異性体という。ブタンの場合には、2つの異性体があり、それぞれ一般にはノルマルブタン(n–ブタンと表記する)、イソブタンとよばれる。尿素とシアン酸アンモニウムもCH4N2Oの分子式をもつ構造異性体である。

C8H18であらわされる化合物には18個の異性体があり、C20H42であらわされる化合物には、理論的には36万6319個の異性体が存在する。新しい化合物が発見されると非体系的な名称がつかわれることが多いが、すべての言語に共通する体系的な名称をつけるようにすることが必要である。国際純正・応用化学連合(IUPAC)はこのような命名体系について合意し、新しい発見にあわせて改訂をおこなってきた。
IUPACの命名体系では、側鎖の位置をしめす番号の合計が最小になるように、もっとも長い炭素鎖の炭素原子に端から順に番号をつける。図4の3つの側鎖は、2、2、4の位置の炭素原子と結合している。もし炭素鎖にこれと逆向きの番号をつけたなら、側鎖は2、4、4の位置の炭素原子と結合することになる。したがって、この場合の正しい名称は、側鎖の位置をしめす番号の合計が最小になる2,2,4–トリメチルペンタンとなる。

炭化水素の族のひとつであるシクロパラフィンは、環状の構造をもつ。もっとも小さな環は3つの炭素原子で構成される。シクロパラフィンは、一般式CnH2nであらわされ、IUPAC名はアルカンの場合と同様であるが、シクロの接頭辞をつける。

| 2. | アルケンとアルキン |
アルケンalkeneは、エチレン系炭化水素、オレフィン系炭化水素ともよばれる脂肪族の鎖状不飽和炭化水素であり、そのIUPAC名の語尾には、アルカンの-aneにかえてアルケンの-eneをつける。この族はシクロパラフィン(シクロアルカン(→ 脂環式炭化水素)とよばれることもある)の異性体であり、やはりCnH2nの一般式であらわされる。もっとも簡単なアルケンであるエチレンethane C2H4のIUPAC名はエテンetheneである。この族の炭化水素の特徴は、分子内に炭素原子間の二重結合を1つ以上もつことである。たとえば、プロペンとシクロプロパン、あるいは、3, 4–ジメチル–2–ヘキセンと1, 3–ジメチルシクロヘキサンはたがいに異性体である。二重結合の位置は、その名称中の「2–ヘキセン」の部分でしめされている。二重結合は、たとえば松脂(まつやに)の一成分であるa–ピネンやビタミンAといった環式化合物の場合にもおこりうる。


環状有機化合物の構造式はふつう簡略化して表記する。これらの構造式における頂点は炭素原子をあらわしている。それぞれの炭素原子には、他の原子(炭素であることが多い)との結合の数が2個であるか3個であるか4個であるかにしたがって、2個、1個あるいは0個の水素原子が結合している。たとえば、a–ピネンの構造式を、すべての原子をいれて表記すると図8のようになる。

アルキンalkyneは脂肪族鎖状炭化水素の第3の主要な族であり、アセチレン系炭化水素ともよばれる。そのIUPAC名の語尾には、アルカンの-ane、アルケンの-eneにかえて-yneをつける。この族の化合物は、一般式CnH2n-2であらわされ、ふくまれる水素原子の数は、同じ炭素鎖をもつアルカンやアルケンよりも少ない。もっとも簡単なアルキンであるアセチレンacetylene HC:CHのIUPAC名はエチンethyneである。
| 3. | 官能基 |
アルカンの水素原子は、塩素、酸素、窒素など他の原子で置換することができるが、このとき、それぞれの原子にゆるされる化学結合の数は厳密にまもられる。たとえば、塩素は他の原子と1つ、酸素は他の原子と2つ、窒素は他の原子と3つの結合を形成する。塩化エチル中の塩素原子、エタノール(エチルアルコール)中のOH基、エチルアミン中のNH2基のように、同じグループに属する化合物がしめす共通の反応性の原因となる原子団を官能基という。官能基によって化合物の化学的性質の多くがきまる。
| 4. | 光学異性体と幾何異性体 |
炭素原子の結合が四面体構造をとるために、空間的な位置関係によってしか説明できないような有機化合物のいくつかの性質がでてくる。中心の炭素原子にそれぞれことなる4つの基が結合すると、空間的には2つのことなる分子が構成される。たとえば、乳酸(図9参照)には2つの分子の形態が存在する。この現象を光学異性とよぶ。光学異性体は、たがいに重ねあわせることができない鏡像関係にある。乳酸の1つの分子構造を鏡にうつすと、一方のCH3基の位置はもう一方のCH3基の位置と、また一方のOH基の位置はもう一方のOH基の位置と重なるようになる。この関係はちょうど、右利き用のグローブを鏡にうつすと左利き用のグローブになるようなものである。


光学異性体どうしはまったく同じ化学的性質と、ただ1つの点をのぞいてはまったく同じ物理的性質をもっている。それぞれの異性体が直線偏光の偏光面を回転させる方向がことなるだけである(→ 光学)。右旋性の乳酸(D–乳酸)は直線偏光の偏光面を右に回転させ、左旋性の乳酸(L–乳酸)は、偏光面を左に回転させる。両者の等量混合物であるラセミ乳酸(酸乳にふくまれる)は、右旋性と左旋性とがうちけしあうために偏光面を回転させない。
炭素化合物中の二重結合にことなる基が結合している場合には、この二重結合によって幾何異性が生じる。これは光学異性との関連性はない。二重結合の部分では分子は回転できない。そのため、たとえば2–ヘプテン分子の場合、空間的に配列のことなる2種類の分子が存在する。同一の基、たとえば2–ヘプテンでは水素原子が、二重結合している炭素原子の反対側にあるときの異性をトランスとよび、水素原子が同じ側にあるときの異性をシスとよぶ。

| 5. | 飽和 |
化合物中に二重結合あるいは三重結合がある場合、この化合物は不飽和であるという。不飽和化合物はさまざまな試薬と付加反応をおこし、その二重結合あるいは三重結合は単結合にかわることができる。
付加反応によって不飽和化合物は飽和化合物になる。一般的に飽和化合物は不飽和化合物より安定であるが、同一分子内に単結合をはさんで二重結合が2つあると安定性は大きくなる。このような構造を共役二重結合とよぶ。天然ゴムの主成分であるイソプレンやビタミンAはこのような構造をもっている。

6つの炭素原子が共役二重結合によって環状に結合すると、もはや不飽和化合物とはいえなくなるほどその安定性が増大する。ベンゼンC6H6や芳香族炭化水素とよばれる環式化合物では、イソプレンやアルカン、アルケンとは反応するような試薬との付加反応がおこらない。
このように、芳香族化合物はひじょうに特異な性質をもっており、ベンゼンの特徴をもっともよくあらわす記号は、図13の左側と中央のような6角形ではなく、むしろいちばん右側にしめすような6角形となる。6角形の内側の円は、3つの共役二重結合を形成している6つの電子が、6角形を構成する個々の炭素原子に属するのではなく、6角形全体に属していることをあらわしている。その他の芳香族化合物の例を図14にあげる。


分子の環状構造に炭素以外の原子をふくむものもある。硫黄S、窒素N、酸素Oをふくむものが多いが、このほかにも、たとえばホウ素B、リンP、セレンSeなどをふくむものも知られている。このような化合物を複素環式化合物という。

| V. | 有機化合物の供給源 |
かつてはコールタールだけが、芳香族化合物や複素環式化合物の原料であった。石油は、ガソリン、灯油、潤滑油などとして使用される物質を構成する脂肪族化合物の供給源であった。天然ガスからはメタンやエタンがえられた。これらの3種類の天然物質は、現在でもほとんどの国で、有機化合物の主要供給源となっている。しかし、まだ石油が利用されなかったころは、アセチレンを原料として化学工業がなりたっていたが、やがて、石灰岩や石炭を原料として合成がおこなわれるようになった。第2次世界大戦中に石油や天然ガスの供給をたたれたドイツで、このような道がひらかれたのである。
サトウキビやサトウダイコンからえられる砂糖は、植物資源からえられるもっとも豊富な純粋化学物質である。植物からえられるおもな物質としては、このほかに、デンプンやセルロースといった炭水化物、アルカロイド、カフェイン(→ 興奮薬)、アミノ酸などがある。動物は、植物や他の動物を摂取して体内でアミノ酸、タンパク質、脂肪および炭水化物を合成している。
| VI. | 構造の決定 |
かつては、有機化合物の構造を決定するのに化学反応が利用されていたが、1940年以降、そのほとんどが機械的な方法にとってかわられた。赤外線スペクトルは官能基の同定に利用され、紫外線分光は芳香性や分子中のある種の不飽和性の判定に利用される。核磁気共鳴(NMR)スペクトルからは、化合物の構造についての情報がもっとも多くえられる。赤外線スペクトルや紫外線スペクトルは、どちらかといえばこのNMRのデータを補完するものとして利用される。陽子共鳴(プロトンNMR)は、分子中の水素原子の局所的な環境についての性質を決定するために利用されるもので、タイプのことなる水素の比率が判定できる。
さらに1960年代には、陽子に関する補完的なデータをえるために炭素13核磁気共鳴(C-13NMR)も利用されるようになった。また、X線分光は、複雑な有機化合物の構造についての三次元的な特徴を決定するのに不可欠な手段である。→ 化学分析
| VII. | 有機化合物の物理的性質 |
一般に、共有結合をもつ有機化合物は、イオン結合の無機化合物と比較すると、融点や沸点が低い。たとえば、イオン結合化合物である塩化ナトリウムNaClは、約800°Cで融解するが、完全な共有結合化合物である四塩化炭素CCl4は76.7°Cで沸騰する。もっとも共有結合性の強い化合物ともっともイオン結合性の強い化合物とをわける境界線を、この2つの温度の間、約300°Cのあたりにひくことができる。有機化合物の多くは300°C以下で融解あるいは沸騰するが、例外もある。有機化合物は一般に、ガソリンや四塩化炭素などの無極性溶媒(分子内で両電荷が局在化していない液体)、アルコール、酢酸、アセトンなど極性の低い溶媒にとけるが、極性がひじょうに強い水にはとけないものが多い。
炭化水素の密度は、多くの場合0.8程度で、水の1.0よりも小さい。しかし、官能基がつくと有機化合物の密度は大きくなり、1.0程度になる。1.2よりも大きな密度をもつ有機化合物はほんのわずかしか存在せず、これらの多くは分子中にハロゲン原子や金属原子をふくんでいる。
分子内に水素結合を形成する官能基があると、粘性(流れにくさ)が大きくなる。たとえば、エタノール(エチルアルコール)、エチレングリコール、グリセリンの粘性は、この順に大きくなる。これらの化合物には、もっとも強い水素結合を形成するOH基がそれぞれ1個、2個、および3個ふくまれている。
| VIII. | 化学反応 |
有機化合物を合成するとき、その収率が最大になるような最適条件で反応がおこるように設計する。そのためには、最適な触媒は何か、その反応が可逆反応であるか不可逆反応であるか、化学平衡をいかにうまく利用するか、などについてよく知っていることが必要である。たとえば、ナフタレンをスルホン化、つまりナフタレン分子の水素原子をスルホン酸基–SO3Hで置換するとき、2種類の生成物がえられるが、この反応の可逆性をどう利用するかによってそれぞれの収率がかわってくる(図16)。

80°Cでは、a–位の反応速度のほうが、β–位の反応速度より大きくなる。そのため、80°Cでえられる生成物の91%はa–ナフタレンスルホン酸となる。これよりも高い温度では、β–異性体のほうが支配的になる。160°Cになると、a–異性体の脱スルホン化速度が、β–異性体よりも大きくなり、より安定なβ–ナフタレンスルホン酸が85%の収率でえられる。

多くの場合、迅速な化学反応をおこすために触媒が必要になる。たとえば、水は、少量の強酸(図17ではH+であらわされている)が存在しないかぎり、不飽和化合物に付加されない。→ 酸と塩基:化学反応
| IX. | 有機化学の歴史 |
ラボワジェは、さまざまな物質について、厳密な実験によって、組成元素を明らかにし、分類していった。こうした研究は、有機物が、生命活動から分離されてあつかわれる契機となった。1819年には、ベルセリウスが、有機化合物も無機化合物と同じく、電気親和力によって、原子が結合しているということを発表した。30年代には、リービヒ、ウェーラーらによって、有機化合物中の原子団や基の理論がまとめられていく。
しかし、デュマの置換理論と、それを実証する実験とによって、電気親和力での説明は限界をみせる。フランスの化学者からは、結晶の理論を、有機化合物に適用する試みがおこなわれ、ケクレは、炭素原子が4価の原子価をもつことと、芳香族化合物の構造を明らかにし、有機化学に大きな進歩をもたらした。1870年代に、ファント・ホフとル・ベルは、光学異性体や幾何異性体の研究から、有機物のモデルとして立体構造を考えだす。
| 1. | コンピューター化学 |
20世紀になって、量子論が確立すると、有機化合物の構造や反応が、原子や電子の配置とともに、精密に解析されるようになった。さらに、コンピューターに膨大な化合物のデータが蓄積されてくると、かつてのように、有用な化合物を探索するのに、実際に多数の化合物を合成して実験をくりかえさなくても、シミュレーションによって、ある程度は、目的とする物質の構造を特定できるようになってきている。さらに、分子として存在できるものであれば、コンピューターにデータを入力して、自動的に合成する装置もある。