マルクス,K.
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マルクス,K.
III. ロンドンでの亡命生活

1848年、フランス、ドイツを中心にヨーロッパ大陸を革命の嵐(あらし)がおそった。革命の波及をおそれたベルギー政府は、マルクスを国外に追放した。マルクスは、はじめはパリへ、ついでケルンにうつり「新ライン新聞」を刊行し、革命を支持する多くの論文を発表した。やがて革命が退潮期をむかえると、マルクスはドイツをのがれ、パリをへて49年8月イギリスに亡命した。

ロンドンでの生活のはじめ、「フランスにおける階級闘争」などを発表して48年革命の分析に力をそそいだが、革命を挫折させたのはイギリスを中心とする資本主義経済の発展そのものであることを認識し、本格的な経済学研究にとりくんだ。また、アメリカの新聞「ニューヨーク・トリビューン」に寄稿し、同時代の世界のできごとについて多くの論説を発表した。

1857~58年に未完の草稿「経済学批判要綱」を執筆、59年には「経済学批判」を刊行した。その序言の中で、社会の物質的生産関係こそが、人々の社会的・政治的・精神的生活を規定する土台であることを明らかにした(史的唯物論)。67年には主著「資本論」第1巻を刊行し、剰余価値の法則を通じて資本家による労働者の搾取がおこなわれる仕組みと資本主義的生産様式の全体像を解明しようとした。資本主義

1864年、ロンドンで国際労働者協会(第1インターナショナル)が設立され、マルクスはその綱領・規約を作成した。そして、ロンドンにおかれた第1インターナショナル総評議会のメンバーとして活動し、各国の労働運動・革命運動がマルクスの方針を採用するよう努力した。

1870~71年のプロイセン・フランス戦争のさなか、パリ市民は短期間、政治権力を掌握した(パリ・コミューン)。「フランスにおける内乱」は、その経験を分析したもので、第1インターナショナル総評議会の呼び掛けとして執筆された。マルクスはこの中で、コミューンを、労働者階級の政府であり、労働の経済的解放をなしとげるためのついに発見された政治形態である、と特徴づけた。

1875年、「ゴータ綱領批判」の中で、資本主義社会から共産主義社会への革命的転化の時期として政治上の過渡期が存在し、この期間は労働者階級が国家を運営し(プロレタリアートの独裁)、そのあと国家そのものが死滅していくと論じた。