| 検索ビュー | 象徴主義 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
19世紀後半、フランスからおこった文学、芸術運動。フランス語でサンボリスムsymbolismeとよばれる。
| II. | 文学における象徴主義 |
文学における象徴主義は、詩人や作家たちが物事を直接にのべるよりは、暗示、象徴をもちいて表現した審美的な動向をいい、おもに詩の分野を中心におこった。
| 1. | 西欧の象徴主義文学 |
| 1.A. | 象徴主義の胎動 |
フローベール、ゾラなど、19世紀半ばの写実主義、自然主義の作家たちが、実証的で正確な現実描写を方法としたのに対して、象徴主義の詩人たちは、詩の言葉の内に現実をこえた神秘的なものを暗示させることをめざした。「象徴」としての詩の言葉が、感覚できる事物と、感覚をこえたものとの媒介となるのである。このような神秘主義的な傾向は、19世紀前半のロマン主義からうけつがれたものといえる。
こうして、象徴主義の作品においては、自由でとらえどころのない音楽性や、非現実的でさまざまに解釈しうる神話性が特徴となっている。この点では、ドイツの作曲家ワーグナーの楽劇が象徴主義の詩人たちに大きな影響をあたえた。彼らはまた、厳格な韻律の規則からはなれて流れるような詩句(→ 自由詩)を生みだし、高踏派(パルナシアン)とよばれた前世代の詩人たちの型にはまった絵画的イメージをすてさった。
| 1.B. | フランス象徴主義の詩人たち |
象徴主義の先駆けは、すでに19世紀前半、アメリカの作家ポーやフランスの詩人ネルバルにみられるが、本格的な象徴主義の幕開けとなったのは、「悪の華」(1857)や「パリの憂鬱(ゆううつ)」(1869)など、当時は「デカダン(頽廃的:たいはいてき)」と形容されていたボードレールの作品である。その後、ベルレーヌの「言葉なき恋歌」(1874)、ランボーの「酔いどれ船」(1871)や「地獄の一季節」(1873)、マラルメの「半獣神の午後」(1876)などの作品によって、この動向は大きく進展していった。
神秘主義の影響を色こくうけたボードレールの「照応」(1857)は、「象徴」の原理を詩の形式でしめし、ベルレーヌの詩「詩法」(1874執筆)も、詩句の中に音楽をとりもどすという象徴主義美学の宣言である。みえないものをみる「見者」を自称したランボーは、形式の面でも大胆な革新をおこない、自由詩の先駆けをなした。マラルメの緻密で抽象的な詩は、言葉の純度を極限にまで高めている。詩、演劇、舞踊などに関する彼の評論集「ディバガシオン(逍遥遊:しょうようゆう)」(1897)は、今日の文学、思想にも大きな影響をおよぼしている。また彼の文学サロン「火曜会」は象徴主義運動の拠点となった。詩人のジャン・モレアス、J.ラフォルグや批評家のレミ・ド・グールモンなどが、自分たちのグループの名称として「象徴主義」をもちいるようになったのは1880年代後半からである。
| 1.C. | 各国への波及 |
象徴主義の動向は1890年代までつづき、バレリー、ジッド、クローデルなど、当時はまだ若かった、のちの大詩人、作家たちに大きな影響をあたえた。
まもなく象徴主義は、世紀末の頽廃的な社会風潮もあいまって、西欧各国に広がっていった。ベルギーの作家メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」(1892刊、93初演)は、数少ない象徴主義演劇の傑作である。また、とりわけ帝政末期のロシアでは、ブローク、アンドレイ・ベールイ、ビャチェスラフ・イワノフといった詩人たちが、従来のロシアの伝統のうえに象徴主義をみごとに開花させ、すぐれた詩、小説、評論を生みだした。その後のフランスのシュルレアリスムや英米のイマジズムなど、20世紀モダニズム文学の形成にも、象徴主義は大きく寄与している。
| 2. | 日本の象徴主義文学 |
日本においては明治期から、西欧の象徴主義文学が、イギリスの批評家シモンズの評論「文学における象徴主義運動」(1899)などをとおして紹介されており、蒲原有明、薄田泣菫、岩野泡鳴などによって「象徴詩」とよばれる詩が書かれていた。
しかし、もっとも影響力の大きかったのは上田敏の訳詩集「海潮音」(1905)である。これはフランス、ドイツ、イギリスなどの詩人のアンソロジーであるが、とくにフランス象徴主義の紹介に重点がおかれている。この訳詩集の影響のもとに書かれた蒲原有明の詩集「有明集」(1908)が、日本ではじめての本格的な象徴主義の作品とみなされている。その後、この系譜につらなる詩人としては、北原白秋、三木露風、萩原朔太郎、日夏耿之介などがおり、さらにくだって吉田一穂(いっすい)が象徴主義的な作風をもつ。
| III. | 美術と音楽における象徴主義 |
| 1. | 美術 |
視覚芸術における象徴主義は、一般的な表現形式をさす場合と流派をさす場合がある。前者の意味での象徴主義とは、ポーズとか動作など、図像アレゴリーをもちいて作品にかくれた意味をあたえる手法である(→ 図像学)。後者の意味での象徴主義は、ロマン主義と印象主義の写実的アプローチに対する反動として、1880年代のフランスにはじまった美術動向をさす。それは画風というよりも、具象から抽象へとむかう流れをおしすすめた国際的な思潮だった。
象徴主義の表現が最初にみられるのは、ピュビス・ド・シャバンヌ、モロー、ルドンなどのフランス画家の作品である。彼らは鮮明な色彩と表現豊かな描線をもちいて、情感のこもった夢幻的世界を描いた。それは、文学、宗教、神話にまつわる主題をもち、しばしば死のテーマにまでおよんだ。彼らの後継者には、独特の色使いで感情を表現したオランダ人画家ゴッホや、ゴーギャン、エミール・ベルナールなどのフランス人画家がいる。ゴーギャンとベルナールは、1888年から90年にかけてブルターニュ地方のポンタベンでいっしょに制作をおこなった。鮮やかな原色をつかって、太く輪郭を描くという手法で、構図は平面的、装飾的である。その好例が、ゴーギャンの「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の争い)」である。彼らはこうした表現法を、印象主義の分析的アプローチに対して、「総合主義」あるいは「象徴主義」とよんだ。象徴主義の最初の展覧会は、89~90年のパリ万博の際に、ゴーギャンによって組織された。
フランス象徴詩の影響のもとで、絵画における象徴主義は1889年から1900年にかけて、セリュジエ、ドニ、ボナール、ビュイヤールらにうけつがれる。彼らはナビ派と自称、装飾としての芸術を強調して、主観的な色使いをおこなった。スイスのホドラー、ベルギーのアンソール、ノルウェーのムンク、イギリスのビアズリーなどの画風はひじょうにことなっているが、その基礎に象徴主義がある。ビアズリーの作品では、象徴主義的な妖艶(ようえん)さと、アール・ヌーボー風のくねくねしたフォルムがむすびついている。象徴主義は、色彩とフォルムを主観的で暗示的にもちいたという意味で、フォービスム、表現主義、シュルレアリスムなど、20世紀につづいておこった流派の基礎となった。
| 2. | 音楽 |
ワーグナーが象徴主義に影響をあたえたのとは逆に、象徴主義から影響をうけた音楽家としては、マラルメの「半獣神の午後」のための前奏曲や、ボードレールやベルレーヌの詩による歌曲を書いたフランスの作曲家ドビュッシーや、象徴主義詩人とまじわりながら、特異な美学にしたがって作曲をおこなったロシアの作曲家スクリャービンなどがいる。