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マケドニア(歴史)

バルカン半島の中南部を占めた歴史的な地域・王国名。現在では、半分以上の地域がギリシャの北東部を占めるマケドニア州に属し、残りはマケドニアとブルガリアにまたがっている。

マケドニア人はギリシャ人と同民族らしいが、南下しなかったため、ポリス社会からは異民族とされていた。ポリス社会の衰退期に台頭し、前359~前336年にマケドニア王だったフィリッポス2世は、前338年にカイロネイアの戦に勝ってスパルタをのぞくギリシャを征服し、マケドニアに併合した。

フィリッポスの息子アレクサンドロス大王は、前336年にフィリッポスが暗殺されると王位を継承し、父の遺志をついで、南はエジプトから東はペルシャをこえてインド北西部にいたる広大な帝国をきずいた。マケドニアの文化と芸術は、アレクサンドロスの治世に開花した。

アレクサンドロスが帝国の後継者を明確にしないまま前323年に死去すると、王位をめぐる内紛がおきた。帝国は解体し、前3世紀にはいると、マケドニア、シリア、エジプトの3国が成立した。この間ローマが勢力をのばし、前215~前168年に、マケドニアは3回にわたってローマとたたかってやぶれ、前148年にローマの属州となった。初期キリスト教の時代、マケドニアはパウロによってキリスト教伝道がおこなわれた。

後395年にローマ帝国が東西に分割されると、マケドニアは東ローマ、すなわちビザンティン帝国領となった。6~7世紀にスラブ民族が大量に移動してきて定住し、その後、1392年ないし95年からオスマン帝国の支配下にはいり、1912~13年の2度にわたるバルカン戦争をへて、ギリシャとブルガリア、セルビアの3つに分割された。