宇宙探査
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宇宙探査
VI. 無人宇宙計画

宇宙をとぶ神話、夢、小説や科学技術の長い歴史は、1957年10月4日、ソ連による最初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げで頂点に達した。この人工衛星につけられたロシア語名は「世界の旅行仲間」を意味するスプートニク・ゼミリで、その名のとおり太陽の周りをまわる地球の仲間となった。

1. 初期の人工衛星

スプートニク1号は直径58cm、重さ83kgのアルミニウム製の球形で、地球の周りを96.2分で1周した。この人工衛星は楕円軌道をとり、遠地点は946km、近地点は227kmである。また、この球の中につみこまれた装置は、21日間、宇宙線、流星体、上層大気の密度と温度についてのデータを送信してきた。57日目にスプートニク1号は地球大気に再突入し、空力熱のためにもえてしまった。

第2の人工衛星もまたソ連製で、スプートニク2号である。1957年11月3日にライカ犬をのせてうちあげられ、宇宙医学に重要な情報をおくってきた。スプートニク2号は打ち上げから162日後に地球の大気に再突入し、破壊された。

スプートニク2号がまだ軌道上にあった1958年1月31日、フロリダ州ケープカナベラル(1963~73年はケープ・ケネディとよばれた)からアメリカ初の人工衛星エクスプローラ1号がうちあげられた。重さ14kg、直径15cm、長さ203cmの円筒形の人工衛星は112日間、宇宙線と微小隕石の測定結果を送信してきたが、その中にはバン・アレン帯の発見へとつながるデータもふくまれていた。

1958年3月17日、アメリカ第2の人工衛星バンガード2号がうちあげられた。その軌道がどのように変化したかを正確にしらべることにより、地球がわずかに洋ナシの形をしていることがわかった。この衛星は太陽エネルギーをつかって6年以上も信号をおくりつづけた。つづいて58年3月26日にはエクスプローラ3号が、5月15日にはスプートニク3号がうちあげられた。1327kgのスプートニク3号は、60年4月に軌道が低下するまで太陽放射、宇宙線、磁場などを測定しつづけた。

2. 無人月探査

地球にもっとも近い天体である月は、多くの宇宙計画の対象となってきた。1959年9月12日にうちあげられたソ連のルナ2号は36時間後に月に衝突した。月の科学的探査はこのときからはじまった。月面裏側の最初の写真は59年10月4日にうちあげられたルナ3号によって撮影された。64年7月28日にアメリカがうちあげたレインジャー7号は、月に衝突する直前に高度が約1800kmから約300kmにさがるまで、月面のテレビ画像を4306枚送信してきた。地球にいるわたしたちにはじめての月のクローズアップ写真を提供したのである。

2.A. サーベイヤー

1966年1月31日、ソ連のルナ9号は、月面へのはじめての軟着陸に成功した。軟着陸とは、破壊されることなく着陸することをいう。5月30日、アメリカのサーベイヤー1号もこれにつづいて軟着陸に成功し、1万1237枚の月のクローズアップ写真を地球におくってきた。

月探査への興味は、月に人間を着陸させる計画にあつまっていた。これにむけてさらに多くの無人月飛行がおこなわれ、1967年にはサーベイヤー3号と5号も月に軟着陸し、多くの月面のテレビ画像を地球におくってきた。サーベイヤー3号は月の土壌のサンプルを採取し、テレビカメラでそれらをしらべた。サーベイヤー5号はアルファ粒子散乱法をつかって月面を化学的に分析した。これは地球外の天体をその場で分析したはじめてのケースである。

2.B. ルナ・オービター

月着陸のための調査では、もうひとつのアメリカの宇宙船ルナ・オービターが活躍した。1966年と67年に5機のルナ・オービターが月をまわった。そして、1~3号は月面から数十キロメートルの低高度で、4号は高高度から月面全体を、5号は月の裏側の写真をそれぞれ何千枚も撮影し、データを地球におくってきた。これらの写真をもとに、アポロ計画のための着陸地点がえらばれたのである。

2.C. ルナ

ソ連がおこなったほかの2つの無人自動月計画も注目に値する。1970年9月12日にうちあげたルナ16号は月に着陸し、約113gの月の土壌を密封した容器にいれ、地球にもどった。同年11月10日にうちあげられたルナ17号は、自動月面車ルノホート1号を軟着陸させた。この月面車にはテレビカメラと太陽電池が装備されており、地球から遠隔操作されながら10日間、10.5kmをはしり、テレビ映像と科学データをおくってきた。73年、ルナ21号により月面の別の地点に着地したルノホート2号は35kmをはしって、1号と同じことをくりかえした。ルナ計画は76年のルナ24号で終了した。日本でも90年(平成2)1月に宇宙科学研究所(現、宇宙航空研究開発機構)が「ひてん」をうちあげ、3月には「ひてん」から分離した「はごろも」を月の周回軌道に投入することに成功した。なお、「ひてん」自身も月をつかったスイングバイの実験などをおこなったのち92年に月の周回軌道にのり、93年に月面に落下した。

3. 科学衛星

打ち上げ用ロケットと科学衛星(人工衛星)に搭載された装置の信頼性がますにつれて、さまざまな人工衛星が開発された。人工衛星は、太陽とほかの星、地球、宇宙空間そのものについてデータをえる新しい方法だった。地表からこのようなデータをえようとしても、大気が地球をおおっているため、ラジオゾンデをつかうといったかぎられた方法しかなかったのである。

3.A. ハッブル宇宙望遠鏡など天文衛星

アメリカでも1962年から多くの天文衛星がうちあげられた。たとえば、軌道太陽天文台(OSO)は太陽の紫外線、X線、ガンマ線をしらべた。パイオニア衛星は宇宙線、太陽風、宇宙空間の電磁気をしらべた。軌道天文台(OAO)は星の放射を観測し、軌道地球物理学天文台(OGO)は太陽、地球、そして宇宙環境の関係を調査した。83年にうちあげられたイギリス・アメリカ共同の赤外線天文衛星(IRAS:アイラス)は、銀河系(天の川)のかくされた部分を探査した。

1990年、スペースシャトル「ディスカバリー」から軌道に投入されたハッブル宇宙望遠鏡は、さらに多くの科学的データをもたらしている。宇宙望遠鏡の運用をはじめてすぐに望遠鏡の主鏡に欠陥があることが発見されたが、スペースシャトル「エンデバー」にのりこんだ宇宙飛行士が、93年12月にハッブル宇宙望遠鏡の修理をおこなった。しかし、修理前でさえこの望遠鏡は地上にいる天文学者に、これまでに観測されたことのない現象をふくむ貴重な映像をおくることができた。

4. 実用衛星

実用衛星は、通信、環境、航行の3つに分類される。この種の実用衛星もまた、地球外からの観測に重要な機能を発揮する。

環境衛星は地球と大気を観測し、さまざまな目的のために映像をおくってくる。気象衛星は毎日、温度と雲のようすを知らせてくる。静止気象衛星(GMS)は、静止軌道から30分間隔で地表の広い面積の画像をおくってくる。2機のSMSでアメリカ全土および付近の海洋域を網羅することができる。日本のひまわりも静止気象衛星である。→気象学の「高層気象観測」

4.A. ランドサット

アメリカのランドサットは、地球を多波長のスキャナーで観測し、データを地上局におくってくる。カラー画像に処理されたこれらのデータの映像から、土壌の特徴、水と氷の量、沿岸の水の汚染、塩分濃度、農作物や森林の虫害に関する情報をえることができる。森林火災も地球の軌道上から発見することができるのである。また、地質学者が石油や鉱床のある場所を確認するために、地殻の褶曲や割れ目の調査もおこなわれる。1986年にうちあげられたフランスのSPOT衛星は、ランドサットよりもはるかにくわしい地球の映像をおくってくる。リモートセンシング

4.B. 軍事偵察衛星

アメリカなどでは軍事偵察衛星(軍事衛星)をつかって、大気中と宇宙空間での核爆発を検出したり、弾道ミサイル発射場、軍艦や軍隊の移動といった軍事目的の写真を撮影したりしている。1980年代にはアメリカがレーザー技術をつかった対弾道ミサイル防衛システムの開発を提案したことで論争がおこった。宇宙兵器

4.C. 航行衛星

航行衛星を利用すると、船や潜水艦はみずからの位置を数の誤差で知ることができる。現在では、人工衛星からの信号のドップラー偏移(赤方偏移)を測定することのできる商船であれば、アメリカ海軍のトランシット衛星を利用することができる。また、複数のGPS衛星をつかう航行システムが、軍事と産業目的のために運用されている。1967年には宇宙空間の利用に関する宇宙条約が締結された。宇宙通信:GPS

5. 惑星調査

月よりも遠い天体では、惑星探査機が着陸した火星と金星、接近した水星、木星、土星、天王星、海王星が調査され、彗星についても調査がおこなわれた。

5.A. 火星

旧ソ連は1971年5月に火星2号と3号をうちあげた。この2機の惑星探査機は火星に到達したが、わずかなデータをおくってきただけだった。73年7~8月には火星4~7号をうちあげたが、技術的な不調がついてまわった。88年、旧ソ連は火星の衛星であるフォボスに着陸させるフォボス1号と2号の探査機をおくったが、どちらも電波による連絡がとれなくなった。

アメリカでは1971年5月にマリナー9号がうちあげられ、11月から72年10月まで火星の周りをまわって、火星のほぼ完全な地図をつくるのにじゅうぶんな写真を送信してきた。75年の8月と9月にはバイキング1号と2号が火星への11カ月におよぶ旅を開始した。それぞれの惑星探査機には、生命の検出と化学分析をおこなうための実験室、2台のカラーテレビカメラ、気象と地震の測定装置のほか、着陸船が搭載され、地球から操作できるように設計された3mの長さの格納式の採取道具を装備していた。両機とも数年間うまく機能し、火星の地図をつくるデータをえることができた。

1990年代に入ってNASAでは、将来の有人火星探査を念頭において、いくつかの火星探査衛星をおくりこんでいる。マーズ・グローバル・サーベイヤーは97年9月に火星周回軌道にのり、99年3月から火星の地形や磁場の本格的な観測をおこなった。2002年4月までの観測によって高解像度の火星の地形図などがえられた。また1997年7月にはマーズ・パスファインダーが火星への軟着陸に成功し、地表の各種データや映像をおくることに成功した。2001年10月に火星の周回軌道にのったマーズ・オデッセイは、火星の南極近くの地層に水があることをつきとめるなど、多くの成果をあげている。

宇宙科学研究所(現、宇宙航空研究開発機構)が開発した日本初の火星探査機(惑星探査機)「のぞみ」は1998年(平成10)7月にうちあげられた。しかし、たび重なる計器の故障などにより、2003年12月に火星の周回軌道にのせることが断念された。

2004年1月には、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)の探査機マーズ・エクスプレスが火星の周回軌道にのったが、搭載していたビーグル2の火星軟着陸には失敗した。一方、03年6月にうちあげられたNASAの無人探査車「スピリット」は、04年1月4日に火星の赤道南側にあるグセフ・クレーターへの軟着陸に成功した。また同月25日には姉妹車の「オポチュニティ」が、ほとんど反対側にあたるメリディアニ平原に軟着陸をした。

5.B. 金星

旧ソ連は金星の濃厚な雲でおおわれた大気をとおりぬけるという計画をたて、大成功をおさめた。1970年8月にうちあげられたベネラ7号は、高温・高圧にたえて温度のデータを23分間送信してきた。72年にうちあげられたベネラ8号は土壌の分析をふくむ表面のデータをおくってきた。75年10月には、ベネラ9号と10号が表面に着陸船をおろし、両探査機とも1時間にわたって、金星表面のはじめての写真をおくってきた。

1978年、ベネラ11号と12号はプローブ(探査装置)を放出し、それぞれ12月25日と21日に金星に着陸した。両探査装置とも、大気が88気圧で表面温度が460°Cであることを記録した。82年3月1日と5日にベネラ13号と14号が金星に着陸した。2機は地表の写真を送信し、大気と土壌にふくまれる化学元素を分析した。83年10月10日と14日、ベネラ15号と16号は金星をまわる軌道に入り、レーダーによる像をおくってきた。85年6月、ハレー彗星へとむかう途中のベガ1号と2号が、金星の大気中に4機の探査装置を放出した。

アメリカでは、パイオニア・ビーナス1号(オービター)と、4機の大気探査装置をつんだ2号が1978年5月20日と8月8日にうちあげられ、それぞれ12月6日と10日に金星に到着した。オービターは金星のほぼ全表面の地図を作成し、探査装置は大気の組成と運動、太陽風の影響を分析した。マゼラン探査機が89年にスペースシャトルから放出され、90年8月から金星の映像の送信をはじめ、94年10月に大気に突入した。

5.C. 水星

太陽にもっとも近い水星のくわしい調査は、1973年10月アメリカがうちあげたマリナー10号による。マリナー10号は74年2月に金星のそばをとおり、その重力をつかって太陽軌道に入ったあと、3月には水星から692kmの距離まで近づき、この惑星が月のようにクレーターでおおわれているようすをはじめて送信してきた。9月におこなわれた水星との2度目の接近で、存在がまったく予想されていなかった水星の磁場を検出した。75年3月、最後の接近では、マリナー10号は325kmまで近づくことに成功した。

5.D. 木星と土星

1972年3月と73年4月にうちあげられたアメリカのパイオニア10号と11号は、火星軌道の先の未踏であった小惑星帯(小惑星)を無事にとおりすぎ、73年12月と74年12月に木星のそばを通過した。258kgの2機の探査機は、木星から13万1500kmと4万1000kmのところを通過した。パイオニア10号はさらに太陽系の外へと旅をつづけ、太陽系外におくられた最初の人工物体となった。約8万年後に最初の星と遭遇する予定である。パイオニア11号は79年9月に土星から2万1400kmまで接近した。

ジェット推進研究所で開発され、1977年にうちあげられたボイジャー1号と2号は、79年の3月と7月に木星系およびその衛星のいくつかにも接近し、さまざまな測定をおこない、写真を撮影した。その後、これらの探査機は80年11月と81年8月に土星系のそばをとおりすぎた。両探査機とも現在も活動中で、データ収集をつづけながら、太陽系の外側に広がる深宇宙をめざして飛行中である。

1989年10月にスペースシャトル「アトランティス」から放出された惑星探査機ガリレオは、95年12月に木星の大気圏内に7個のプローブ(探査装置)を投下し、58分間観測データを送信した。その後、ガリレオの本体は、木星とその衛星の観測をおこなっていたが、2003年9月に木星の大気圏に突入し、消滅した。

NASAの惑星探査機カッシーニ=ホイヘンスはアメリカとヨーロッパ13カ国共同の土星探査計画で、1997年10月にうちあげられ、2004年7月に土星の周回軌道にのった。08年まで土星系の観測をおこなう予定となっている。探査機にはヨーロッパ宇宙機関(ESA)が製作した小型探査機のホイヘンスが搭載されていて、05年1月には衛星のひとつであるティタンに軟着陸した。その飛行中には大気圏の組成などが観測された。

5.E. 天王星と海王星

土星のそばをとおりすぎたあと、ボイジャー2号は天王星へとむかった。1986年1月、雲でおおわれた天王星から約7万km以内のところをとおりすぎ、新しく4本の環と10個の新しい衛星を発見した。さらにこの探査機は衛星のひとつミランダにも接近し、氷でできたミランダの写真をおくってきた。それからボイジャー2号は海王星へとむかい、89年8月に5000km以内のところを通過し、太陽系を最終的にはなれる前に海王星の新しい衛星を6個発見した。