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IV. 近代日本の製紙業

西洋式の製紙技術は、明治維新とともに導入された。新しい時代の雰囲気の中から、新聞や出版が盛んになり、需要に対応する大量生産の製紙技術が必要になった。

1. 明治から大正の製紙業

1867年(慶応3)にパリ万国博覧会に随行した渋沢栄一は、近代国家建設のために、紙幣や公債、切手などの国内生産が急務であることを政府に建議し、製紙会社設立を提唱した。73年(明治6)、抄紙会社が設立され、75年に操業を開始。その前年に、日本で最初に機械製紙をはじめた旧広島藩主浅野長勲(ながこと)は、日本橋に有恒社という会社を設立し、製紙をはじめている。同時期に、京都と神戸でも製紙工場が設立され、欧米の技術導入と外国人技術者の指導のもとで操業した。これらの製紙原料は、いずれも綿のぼろ布だった。

1881年(明治13)、抄紙会社は日本人技術者の手によって、藁をパルプにすることに成功し、日清戦争後、紙パルプ産業も発展していった。89年には、製紙会社(のちの王子製紙)の気田工場で、国産のせいろ型蒸解釜で亜硫酸パルプの製造に成功し、翌90年、富士製紙入山瀬工場では、砕木パルプ(グランドウッド・パルプ(GP))の製造に成功した。さらに1910年には王子製紙の苫小牧工場が操業を開始した。この段階で日本の近代製紙産業が確立し、25年(大正14)、富士製紙が樺太(現、サハリン)の落合工場で、クラフトパルプ(硫酸塩パルプ)の製造を開始した。

2. 昭和の製紙業

1931年(昭和6)に樺太工業泊居工場で、多段漂白法による人絹用のパルプの製造を開始した。41年には国内産パルプの生産量は127万tに達し、戦前の最高を記録したが、以後急激に減少し、45年の敗戦時には20万tにまで減少していた。

1955年ころには、段ボール箱の需要が多くなり、板紙生産が急増した。63年には、国内の紙パルプ原料が不足し、チップの輸入が増加するようになった。64年には、十條製紙(現王子製紙)がリファナー・グランドウッド・パルプ(RGP)の製造を開始し、各社が追随した。この年には、広葉樹パルプの消費量が針葉樹パルプをこえた。66年、日本加工製紙が、世界ではじめて合成紙を製造した。以後、多くの製紙会社が合成紙にとりくみ、新たな合成紙を生産したが、73年の第1次石油危機によるコストの急上昇で、多くの会社が撤退した。

1973年には、日本の紙・板紙の生産量は世界第2位となり、74年、王子製紙苫小牧工場でサーモ・メカニカル・パルプ(TMP)設備が稼働し、カラー印刷に対応した新聞紙が生産できるようになった。一方、製紙会社からの排水で河川や湾岸の汚染が問題となった。公害問題:公害対策基本法