| 検索ビュー | アメリカ・メキシコ戦争 | 項目ビュー |
1846~48年のアメリカ合衆国とメキシコの戦争。米墨戦争ともいう。戦争のおもな原因は、(1)アメリカがテキサスを併合したこと、(2)メキシコのアメリカ人入植者が頻発するメキシコの政変によって負傷し、財産に損害をうけたとしてメキシコ政府に賠償請求をしたこと、(3)アメリカがカリフォルニアを獲得しようとしたこと、などである。当時カリフォルニアはメキシコの一州だったが、多数のアメリカ人が入植しており、アメリカはここがイギリスかフランスの支配下にはいるのを懸念していた。
1845年11月、アメリカのポーク大統領はスライデルを特使としてメキシコに派遣、アメリカ人入植者の賠償請求をとりさげる見返りとして国境問題に決着をつけ、カリフォルニアとニューメキシコを買収しようとした。しかし、メキシコ政府はスライデルとの交渉を拒否。特使派遣が失敗すると、テーラー将軍ひきいる合衆国陸軍はリオグランデ川の河口に進軍した。テキサス州はリオグランデ川が国境であると主張していたが、メキシコはリオグランデ川の北東をながれるニューエーシス川を国境としており、テーラー軍の進軍は侵略行為であるとして、46年4月に派兵、軍はリオグランデ川をこえて進軍した。これに対し、ポーク大統領はメキシコの進軍は領土の侵犯であると宣言、46年5月13日、連邦議会はメキシコに宣戦布告した。
アメリカ軍の作戦は3方面で展開された。テーラー軍はメキシコ北部に侵攻し、カーニー大佐ひきいる軍はニューメキシコとカリフォルニアを占領、さらにメキシコの東西沿岸を封鎖した。正式に宣戦布告をする前に、テーラー軍はすでにパロアルトの戦(1846年5月8日)とレサカ・デ・ラ・パルマの戦(5月9日)で勝利しており、メキシコ軍をリオグランデ川の対岸まで撤退させていた。その後テーラー軍はメキシコに侵攻。5月18日に現在のタマウリパスにあるマタモロスを、9月24日にモンテレーを占領、さらにブエナ・ビスタの戦(1847年2月22~23日)では大激戦の末にサンタ・アナ将軍ひきいるメキシコ軍をやぶり、北部メキシコで抗戦するメキシコ軍の息の根をとめた。
カーニー軍は現在のニューメキシコにあたる地方を占領したのちカリフォルニアに侵攻、同地の獲得に貢献した。アメリカ海軍提督スロートとフレモン大佐の指導のもと、カリフォルニアはメキシコからの独立を宣言していたが、1846年7月、正式にアメリカ合衆国の領土であると宣言された。
アメリカ軍が各地でメキシコ軍をやぶり、海岸を封鎖したにもかかわらず、メキシコは敗北をみとめなかった。アメリカは地上と海上から遠征軍をおくり、首都メキシコシティを占領して戦争にけりをつけようとした。スコット将軍ひきいるアメリカ軍がベラクルスに上陸、各地で勝利をおさめ1847年9月14日にメキシコシティを陥落させた。
1848年2月2日、グアダルーペ・イダルゴ条約が締結され、和平がなった。これによって、リオグランデ川がテキサス南端の国境とされ、カリフォルニアとニューメキシコはアメリカに割譲された。アメリカは総額1500万ドルをメキシコにはらい、アメリカ人入植者の賠償請求をとりさげることに合意した。