毛沢東
印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。
毛沢東
II. 生誕から井岡山時代

湖南省湘潭県(湘潭)の農村に生まれ、長沙の師範学校でまなんだ。師範在学中に新文化運動に接し、「新民学会」を組織、1918年に卒業すると北京に出、マルクス主義、無政府主義にふれ、19年の五・四運動の際には長沙にあって学生運動を指導、その中でマルクス主義に対する確信をふかめていった。20年に師範学校付属小学校の主事(校長)となり、校内に「新民学会」員を中心に共産主義グループを組織、翌21年7月の共産党創立大会に同グループを代表して出席した。

1922年に、党務に専念するため学校を辞職、しだいに党内での地位を確立していった。第1次国共合作が分裂したあとの27年9月、湖南省秋収の反国民党武装蜂起を指導したが失敗、湖南・江西省境の井岡(せいこう)山に撤退して翌年、朱徳の軍と合流、最初の紅軍、工農紅軍第4軍を組織した。