毛沢東
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毛沢東
IV. 中華人民共和国の成立以後

1945年8月の日本の降伏により第2次世界大戦は終結するが、中国では再び共産党と国民党が内戦(国共内戦)に突入、共産党はこれに勝利し、内戦終了直前の49年10月、毛沢東は北京で中華人民共和国の成立を宣言して政府主席(1954年から国家主席)に就任、中国の社会主義的改革を指導することになった。

建国当初、毛沢東はソ連を重視し、1950年2月にスターリンとの間で中ソ友好同盟相互援助条約に調印したが、ソ連式の社会主義建設にしだいに批判を強め、56年ごろからは中国独自の社会主義の建設をとなえるようになった。その代表的なものが58年に開始された全中国農民の人民公社化と大躍進運動であるが、結局失敗し、59年に国家主席の座を劉少奇にゆずった。

以後、党務に専念したが、不断の革命をとなえて1966年に文化大革命を発動し、紅衛兵らを動員、劉少奇ら反対派の追い落としに成功した。しかし、71年の林彪事件後、文革は終息にむかって毛沢東の指導力も低下、死の直前には、周恩来追悼に端を発した、反文革・反毛大衆運動とでもいうべき天安門事件(第1次)がおきた。また、毛沢東の死後、晩年の彼をささえた江青ら四人組はことごとく失脚、投獄された。