| 朝鮮戦争 | 項目ビュー | ||||
| 印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 | |||||
| IV. | 中国人民義勇軍の参戦と戦線の膠着 |
朝鮮人民軍の勢いは、国連軍参戦後もやまず、1950年8月下旬には、国連・韓国軍は、半島南東部の釜山・大邱などがある一角においこまれた。9月15日、マッカーサーの指揮のもとに国連軍はソウル近郊の港町仁川への上陸を決行、韓国内の朝鮮人民軍を南北から挟撃した。
これを機に戦局は逆転し、1950年9月26日に国連軍はソウルを奪回、10月1日には韓国軍が38度線を突破し、つづいて7日に国連軍も同線を突破した。そしてこの日、国連総会は武力による朝鮮統一を承認した。国連・韓国軍はなおも北上して19日に平壌を占領。一部の部隊は26日に鴨緑江まで到達した。
しかしその前日、中国人民義勇軍が参戦して朝鮮人民軍とともに反撃に転じ、1950年12月4日に平壌を奪回、翌51年1月4日にはソウルを再占領した。これに対し、2月1日、国連総会は中国非難決議を採択、3月14日には国連・韓国軍はソウルを再奪回した。
しかし、戦線は38度線を境に膠着(こうちゃく)状態におちいり、打開策として中国本土やソ連領シベリア諸都市への原爆攻撃を主張したマッカーサーは、トルーマンにより、1951年4月11日に国連軍総司令官を解任された。以後も戦線膠着状態を打開するために、細菌弾、毒ガス弾も使用されたが、決定的な戦局の転換はおきなかった。