| ワーテルローの戦 | 項目ビュー | ||||
| 印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 | |||||
| II. | 戦いの背景 |
1804~13年にヨーロッパを支配したナポレオンは、14年、プロイセン、ロシア、イギリス、オーストリアなどのヨーロッパ列強からなる連合軍に敗北した。ナポレオンはフランス皇帝を退位し、連合軍は、イタリア半島とコルシカ島の中間にあるエルバ島をナポレオンにあたえ、この島の領主としての地位をみとめた。ナポレオンは、約1年にわたってこの島に滞在した。
ナポレオン退位後のフランスでは、ルイ16世の次弟プロバンス伯がルイ18世として即位し、ふたたびブルボン家をいただく王国にもどった。しかし、四半世紀におよぶ亡命生活から復帰したルイ18世は、変貌したフランス社会の現実が把握できず、革命前の栄華を夢みる貴族たちにとりかこまれて、適切な政治指導をおこなえなかった。いっぽう、戦争の終結にともなう需要の減退で、不況は深刻化し、また多数の復員将兵が失業状態におちいっていた。また、フランス帝国崩壊後のヨーロッパの国際関係の再構築のために、ウィーンでは連合国の会議(ウィーン会議)がひらかれていたが、各国の利害調整はむずかしく、会議は長びいていた。
ナポレオンは、こうしたフランス内外の状況を知らされ、ふたたび挑戦する機会をうかがった。1815年2月26日にエルバ島を脱出し、南フランスに上陸したナポレオンの北上につれて、したがう者は増加した。3月20日、パリに到着したナポレオンはふたたび皇帝の地位についた。
しかし、かつてのナポレオン支配をささえた「グラン・タルメ(偉大なる軍隊)」を統率した武将たちはかならずしもナポレオンの再起に賛成したわけではなかった。軍事指導者たちは、兵員の補充体制、軍需物資の生産体制など、社会的・経済的な条件が崩壊したことを知っており、1814年のナポレオンの退位に主導権をとったのは、じつは彼らであった。かつての部下の中には、復帰したナポレオンのもとにもどらなかった者も少なくなかった。また、かつてナポレオンの独裁をのぞんだ、商工業者や金融業者たちも、ナポレオンの戦争の続行と帝国の維持が経済の合理性をこえたことを感じて、帝政末期には支援をやめていた。
ウィーン会議に出席していた各国首脳は、ナポレオンの復帰を知らされて、1815年3月17日、オーストリア、イギリス、プロイセン、ロシアはそれぞれ15万の軍を編成して、フランス国境北方のベルギー領内に集結し、7月1日を期して攻撃を開始することを決定した。