| ワーテルローの戦 | 項目ビュー | ||||
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| III. | ナポレオンの基本戦略 |
連合軍は2方向からベルギー領内をすすんだ。一方はプロイセンのブリュッヒャー元帥のひきいる11万6000のプロイセン・ザクセン連合部隊で、ドイツ側からすすんでナミュールに陣をおいていた。もう一方はイギリスのウェリントン公ウェルズリーのひきいるイギリス・オランダ連合軍で、これにドイツ諸邦の軍隊がくわわっていた。兵力は9万3000で、西側からベルギーをすすんで、ブリュッセル南方のキャトル・ブラに陣をかまえた。ウェリントン公は、連合軍総司令官でもあった。
ナポレオンの作戦計画では、ブリュッヒャー軍とウェリントン軍が連繋をとる前に両軍をたたいて分断し、東方から進撃してくるロシア・オーストリア連合軍と対戦するというものであった。これを実行するためにフランス軍は3軍にわけられた。ブリュッヒャー軍と対峙する右翼軍、ウェリントン軍とたたかう左翼軍、そしてもうひとつが戦略予備部隊で、これは「ビエイユ・ガルド」(古参近衛隊)といわれる、信頼できる部隊であった。
1815年6月15日、ナポレオン軍は国境をこえたが、このときにはまだ連合軍の準備はととのっていなかった。フランス軍はサンブル川をわたり、シャルルロワでプロイセン軍の先遣部隊を撃破した。ついでナポレオンは、ネー元帥ひきいる左翼軍にシャルルロワ北方19kmのキャトル・ブラにあるウェリントンの騎兵旅団を攻撃するよう命令し、グルーシー元帥の右翼軍には、東方のジリーに駐屯しているプロイセンの旅団を攻撃するよう命じた。グルーシーは、午後おそくには作戦を完了して、ブリュッヒャー軍の集結しているフルーリュス付近まで進出した。
この結果、フランス軍はウェリントン軍とブリュッヒャー軍の中間にわりこむことに成功し、戦いの初日の夜には戦略的に優位にたった。フランス軍主力部隊は西方のウェリントン軍にむかうことも、東方のブリュッヒャー軍をせめることも可能な位置にあった。