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国際連盟
I. プロローグ

第1次世界大戦後に平和維持のために設立された国際機構で、1920年1月10日に42カ国の加盟で成立し、同年11月15日に第1回総会が開かれ、発足した。26年間で総計63カ国が加盟し、うち28カ国は設立以来一貫した加盟国だった(付表参照)。

II. 連盟憲章とアメリカ

1918年、アメリカ大統領ウィルソンは平和をめざす14カ条を発表し、その中で諸国家の連合による新しい国際秩序の構想を提案した。それにもとづいて26カ条の連盟憲章が作成され、ベルサイユ条約の一部として19年に公布された。

ウィルソン大統領は憲章起草委員会の一員だったが、アメリカ上院は憲章の批准を拒否した。侵略に対抗する共同行動をふくめて、自国以外の全加盟国の領土保全をもとめる憲章第10条のためだった。その後の20年間、アメリカは連盟の会議に非公式に参加したが、加入はしなかったため、連盟の力は十分に発揮されなかった。

III. 連盟の機構

総会、理事会、事務局から構成された。総会は加盟各国の代表3名ずつがあつまり、毎年9月にジュネーブでひらかれ、各国は1票の投票権をもった。理事会は毎年少なくとも3回ひらかれ、政治的紛争と軍縮問題を討議し、フランス、イギリス、イタリア、日本(のちにドイツとソ連も就任)の常任理事国と、総会でえらばれる数カ国の非常任理事国とで構成された。理事会の決議は全員一致を原則とした。事務局は連盟の運営機構で、事務局長1名と500名の職員で運営された。それ以外にも、常設国際司法裁判所と国際労働機関などの自主組織があった。

IV. 国際問題への関与

連盟は戦争の明白な前兆をふせぐための集団安全保障という新構想にたっていたが、残念なことに、そのための対策はほとんど実現できなかった。

最初の重要な任務のひとつに、第1次世界大戦前にオスマン帝国とドイツが植民地として領有していた諸地域の処理があった。それらは委任統治という方法でいくつかの加盟国にゆだねられ、その発展段階、地理的条件、経済状態に応じて、ことなる独立時期がさだめられた。

麻薬、売春の国際取引の取り締まり、第1次世界大戦で生まれた難民の救済、全世界にわたる健康・労働条件の調査や改善など、社会的分野では多くの業績をのこした。

一方、平和維持の面では、1921年のアハベナンマー(オーランド)諸島をめぐるフィンランド・スウェーデン間の紛争の調停、25年のギリシャ・ブルガリア間の国境紛争の調停など、数例の小さな成果をあげたにとどまった。その反面、23年のフランスによるルール地帯占領、イタリアのケルキラ島占領にしめされたように、大国は連盟を無視して勝手に処理をすすめた。

1926年にドイツが加盟したが、ナチス政府は33年に脱会、日本も中国への侵攻が非難されると33年に脱会した。また、32~35年のチャコをめぐるボリビア・パラグアイ間の国境紛争、35年のイタリアのエチオピア占領などに対しても無力だった。

最終的には、第2次世界大戦につながるヨーロッパでの諸事件を防止できなかった。1940年に事務局は必要最小限の職員をのこすだけとなり、いくつかの小部局はカナダとアメリカにうつされた。大戦後の46年、連盟は解体の道をえらび、財産と組織の大半は国際連合に移管された。

国際連盟は平和維持機構としての効力を発揮できなかったが、国際連合の基礎をきずいたことに歴史的な意味がある。国際連合は、連盟の失敗からまなんだだけでなく、機構の大半をうけついだ。