| 検索ビュー | インド美術 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
ここでは、インド亜大陸で前2500年ごろから現代までつくりだされてきた美術をあつかう。ほとんどすべてが宗教美術である。インドでは、官能性は感情の自然な表現と考えられており、強烈な装飾性とともにインド美術の特徴となっている。
インド美術を理解するためには、哲学、美学、宗教などのさまざまな面に目をむけなければならない。インド文化は前1世紀には形成されており、のちの時代に強い影響をあたえつづけた。ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の世界観は、変化と普遍、刹那(せつな)と永遠、内在性と超越性などの矛盾をどのように解決するかに深くかかわっていた。インド美術は、豊満な女性像が性の神秘と自然の生産力を象徴するように、独自の象徴主義によって肉体と精神を融合してしまうのである。
インド美術は、仏教やヒンドゥー教とともに東アジアにつたえられ、中国、日本、ミャンマー(ビルマ)、タイ、カンボジア、ジャワの美術に大きな影響をあたえた。仏教とヒンドゥー教は多くの宗派にわかれながら、13世紀にイスラム教が浸透するまでさかえた。イスラム教では偶像崇拝が禁じられていたため、神像や聖人像などの具象的表現よりも幾何学文様が多くもちいられた。
| II. | 建築 |
初期のインド建築は木造や煉瓦(れんが)造りだった。木造建築は現存しないが、石造建築の中には木造建築をまねたものがあり、当時の姿を思いえがくことができる。
| 1. | インダス文明と初期仏教建築 |
前2500~前1750年ごろはインダス文明の時代で、モヘンジョ・ダロやハラッパーで焼煉瓦造りの建築遺構が発掘されている。つづくベーダ時代では、ビハール州ラウリヤー・ナンダンガリの墳墓やケララ州マラバルの地下石室が知られている。
前250年ごろにインドを統一したアショーカ王は仏教をあつく保護した。この時代の特徴的な仏教建築は釈迦の遺骨をおさめたストゥーパ(仏塔)である。これは石できずいた半球形の墳墓で、基壇に回廊がもうけられ、東西南北に4つの門がある。代表的なストゥーパには、マッディヤプラデシュ州のサーンチー第1塔がある。
このほか仏教建築には、アショーカ王の勅令をきざんだアショーカ王石柱や、岩山を切り開いてつくった石窟(せっくつ)寺院がある。石窟には、礼拝するための小塔をまつるチャイティヤ(祠堂)と僧たちの居住するビハーラ(僧院)がある。石窟内部の装飾には、イランやヘレニズムの影響もみられる。初期の仏教石窟寺院を代表するものは西インドのマハーラーシュトラ州に多く、カールレーのチャイティヤ石窟(2世紀頃)、アジャンタやエローラの石窟がある。
| 2. | ジャイナ教建築とヒンドゥー教建築 |
仏教は5世紀以降衰退しはじめ、ヒンドゥー教とジャイナ教が主流となった。この2つの宗教の建築様式はよく似ており、インド建築に固有な石を帯状につみあげた石積み寺院が特徴である。ラージャスターン州にあるジャイナ教のアーブー山寺院は、石積みの巨大なドームと、多数の小規模な寺院の集合体からなる。ジャーヤ・スタンバは9層からなり、豪華に装飾されたジャイナ教建築を代表する塔として知られている。
ヒンドゥー教とジャイナ教の建築様式は関連が深く、地域的に北型、南型、中間型の3つに大別される。北型は7世紀から現代、中間型は11~14世紀、南型は1350~1750年にさかえた。3形式とも表面の装飾とピラミッド状の屋根が特徴である。砲弾型の高塔の頭頂部は水瓶(みずがめ)がおかれる。また、浮彫で装飾されたゴープラムとよばれる巨大な楼門をもうける。インド各地に多くの遺跡がのこるが、南型ではベルールのケーシャバ寺院、ハレビードのホイサレーシュワラ寺院、タンジャーブールのブリハディーシュワラ寺院、北型ではウッタルプラデシュ州バラナシ、オリッサ州コナーラクのスーリヤ寺院などが有名である。
| 3. | インド・イスラム建築 |
11世紀にはいると、イスラム勢力の侵入が本格化し、13世紀にはインド初のイスラム王朝が成立する。イスラム建築が移植され、ドームやアーチ、幾何学文様、モザイク、ミナレット(光塔)などが導入された。
インド・イスラム建築は、デリー諸王朝様式、地方様式、ムガル様式の3つにわけられる。初期のデリー諸王朝様式はヒンドゥー教建築に似ており、グジャラート州アーマダーバードには石造の、西ベンガル州ガウール・パーンドゥアには煉瓦造りの代表作例がある。カルナータカ州のビジャープルにある17世紀のゴール・グンバズ墓廟(ぼびょう)は直径43mの巨大なドームとミナレットをそなえる。また、デリー近郊のクトゥブ・ミナール(12世紀)とよばれる5層の高塔もよく知られている。
地方様式は、デリー諸王朝様式に対する地方の抵抗としてあらわれた。インド西部のグジャラート州では、1572年にアクバル帝に征服されるまでの200年間、さまざまな様式の建造物がつくられてきた。たとえば州都アーマダーバードにあるジャミィ・マスジド寺院(1423)は、イスラム寺院でありながら、細長い列柱廊や壁面の細かい装飾はヒンドゥー建築そのものという独特の姿をみせている。
インド・イスラム建築は、16~18世紀のムガル王朝の時代に発展し、大理石などの建材をもちいて洗練された美しさをしめすようになる。最高傑作は、シャー・ジャハーンが愛妃の墓としてたてたアーグラのタージ・マハル(1632~48)で、アラベスク文様をほどこした白大理石で外壁をよそおう。霊廟は四隅にミナレットをもつ正方形プランにたてられ、池の水面に華麗な姿をうつす。このほかムガル様式の建築の代表作には、ウッタルプラデシュ州アーグラにあるパール・モスクや、アーグラやデリーの王宮、デリーやラホールのモスクなどがある。
| 4. | 現代建築 |
18世紀以降は、インド固有の様式以外にも、宗主国のイギリスを通じてヨーロッパの様式が導入されるようになった。公共施設、工場、ホテル、邸宅が西洋風の様式でつくられている。インドでもっとも著名な現代建築は、ハリヤーナ州とパンジャブ州の共通州都チャンディーガルにある。この町は1960年代初めにフランスの建築家ル・コルビュジエがインドの建築家と共同して都市計画をおこなった。パステルカラーにぬられた巨大なコンクリートのドームをもつ高等裁判所、コンクリートの立方体をくみあわせたようなデザインの知事官邸、行政官庁、議事堂が設計された。現代インドの建築は、ラージャスターン州アルワルの駅舎などのように、西洋の様式を地方の伝統や必要性に適応させている。
| III. | 彫刻 |
インドの先史時代の彫刻は石、陶土、象牙(ぞうげ)、青銅、金でつくられている。
| 1. | インダス文明 |
インダス川流域に前3千年紀にさかえたモヘンジョ・ダロの遺跡から、アラバスターや大理石の人形、テラコッタの女神像、陶器の動物や、動物や象形文字をきざんだ象牙や陶器の印章が発見されている。これらは素材や形式がメソポタミア文明のものとよく似ており、両者の間には交流があったとみられている(→ メソポタミア美術)。
前2千年紀~前3世紀のベーダ時代になると、中東文化との関係は明確ではなくなる。この時代の作例としてはラウリヤー・ナンダンガリで発見された前9世紀ごろの女神像がある。前600年ごろから、動物や宗教的なシンボルをあらわした貨幣が製造されるようになる。
| 2. | 仏教彫刻 |
前3世紀ごろ、仏教が盛んになると、石造の建築の表面をかざるための浮彫や丸彫の彫像がつくられるようになった。初期の仏教美術では、仏陀の姿は人間像ではなく、象徴物でしめされている。ほかに民間信仰の守護神像や仏教的な説話図が表現されている。この時代のアショーカ王石柱や、バールフットのストゥーパの周囲をめぐる装飾された垣根などの表面は本生図(ほんじょうず)や仏伝図の浮彫彫刻で複雑にうめつくされている。サーンチー第1塔の浮彫は、象牙彫刻の技法にも共通する精巧さがうかがえる。
インド亜大陸北西部のガンダーラ地方(現在のアフガニスタン東部とパキスタン北部)では、1世紀半ばごろからヘレニズム様式の影響をうけた仏教彫刻が制作された。2~3世紀に最盛期をむかえたガンダーラ彫刻は、中央アジアや中国、朝鮮、日本に大きな影響をあたえたが、インド亜大陸の他地域にあたえた影響は小さかった。→ ガンダーラ美術
インド北部のマトゥラー(現在のウッタルプラデシュ州)でも、前1世紀から仏教彫刻がつくられた。初期の作品はバールフットの彫刻と様式的に似かよっているが、1~2世紀になるとマトゥラーでは仏陀を象徴物ではなく、人間の姿で表現するようになった。
グプタ朝時代(320~550頃)の仏陀像は上品で洗練された肉体表現となっている。まとった衣はうすく、身体に密着している。ビハール州スルターンガンジで出土した青銅の仏陀像は高さ約2m、重さ約1tもある巨大なものだった。
| 3. | ヒンドゥー教彫刻 |
ヒンドゥー教彫刻はグプタ朝時代に発展した。マッディヤプラデシュ州ウダヤギリの石窟(400~600)は浮彫でかざられている。7~9世紀には地域的にさまざまな様式がさかえた。南インドのパラッバ朝の様式は、タミルナードゥ州カーンチプラムの石積み寺院の装飾にみられる。ラーシュトラクータ朝の様式は、ムンバイ湾内の小島にあるエレファンタ石窟寺院の浮彫や三面シバ神(トリムールティ)が代表的である。カシミール様式では、ヘレニズムの影響をのこしたヒンドゥー教の神像が、ビジュラブルールやバンティプールの寺院にある。
9~13世紀初頭、インド彫刻は量感よりもするどい輪郭線で人体の形態を表現しようとした。彫刻は以前よりも建築物の装飾や付属物となり、多面多臂(たひ)で複雑な図像をもつヒンドゥー教やジャイナ教の神像をあらわすため細部表現は精巧なものとなっていった。
ヒンドゥー教彫刻は(1)北部と東部、(2)ラージプート(現在のグジャラート州、マッディヤプラデシュ州、ラージャスターン州)、(3)中南部と西部の3つの様式にわけられる。北部と東部では、750~1200年にパーラ朝のもとでビハールやベンガルを中心としてさかえた。主要作例はビハール州のナーランダー寺院の彫像である。黒玄武岩を石材にもちい、初めは仏教彫刻だったが、やがてヒンドゥー教彫刻が主流となった。東北部のオリッサ州では、典型的なヒンドゥー教彫刻がつくられ、コナーラクのスーリヤ寺院は動物像や女性像、ミトゥナ(性的結合を意味する男女像)でよく知られている。ラージプートの地方様式は、ヒンドゥー教彫刻でおおわれたカジュラーホの石積み寺院で代表される。中南部と西部では、マイスールなどの寺院の表面をおおう浮彫が有名である。
イスラム教徒に支配されてからも、インド固有の建築様式は保持され、ことに南インドでは伝統を純粋にまもりつづけている。
| IV. | 絵画 |
後100年以前のインド絵画の遺跡は2カ所ある。マハーラーシュトラ州のアジャンタ石窟の仏教壁画は、50~642年にかけてえがかれた。初期の壁画はインド固有の様式で、優雅で官能性豊かな描写で知られている。オリッサ州ジョーギマーラー石窟には前1世紀ごろと中世の2つの時代の壁画がのこるが、後世の補筆によって初期の生き生きとした描線がそこなわれている。
インド美術の大らかで力強い様式は、4~6世紀初頭のグプタ朝時代に確立された。美術は宗教的な概念を表現する手段であり、アジャンタ石窟にのこるグプタ朝時代の壁画には、数多くの仏陀像や仏教説話図、眠る女性像などが、しっかりとした輪郭でえがかれている。荘厳なものからグロテスクなものまである。
アジャンタの第1窟と第2窟は7世紀初期につくられたが、グプタ朝時代と様式的な違いはない。えがかれている内容は、クシャーナ朝時代以来、仏教美術によくみられる王宮での饗宴(きょうえん)の場面である。ほかにタミルナードゥ州シッタンナバーシャルのジャイン・パラバ(7世紀)や、エローラ石窟(8世紀後期)の壁画がある。
パーラ朝(750~1200)の絵画で唯一現存する作品は、イギリスのケンブリッジ大学図書館所蔵の貝葉経(ばいようきょう)の彩飾写本である。11世紀中ごろの制作とみられ、多面多臂の密教の諸尊像が細密画でえがかれている。
ジャイナ教の教典「カルパ・スートラ」も貝葉経の彩飾写本として知られ、1237年につくられたとされる。挿絵からグジャラート地方の衣服や慣習を知ることができる。西インドのグジャラート派の細密画は、エローラ石窟の壁画などの西インドの様式が発展して形成された。
西北インドのラージャスターン地方やパンジャブ地方では、16世紀から19世紀にかけてラージプート絵画がさかえた。これは同時代のペルシャ絵画やムガル絵画とよく似ており、平面的で色彩感覚にあふれた細密画である。ラージプート絵画は宗教性と庶民性をあわせもち、伝統的なヒンドゥー教の叙事詩、とりわけクリシュナ神の武勇譚(たん)を題材としたものが多い。
ムガル絵画は、ペルシャの細密画の伝統をうけつぐ宮廷美術で、現実的な主題の肖像画や歴史画がえがかれた。生き生きとした現実感が特徴で、西洋画の手法をとりいれたものもある。画家の署名があるので、少なくとも100名の画家の名が知られている。
19世紀末になると、インドの伝統的な絵画は衰退しはじめ、西洋の様式を模倣しただけの作品がつくられるようになった。ヨーロッパの影響はイギリスのインド統治がはじまるとともに浸透した。20世紀になると、前世紀中期ごろからつづけられた考古学的研究に刺激されて、古代の様式への関心が復活する。ムンバイには美術協会が設立され、ベンガルのコルカタ美術学校とビシュババラティ大学には多くの芸術家があつまった。ビシュババラティ大学は、インドの詩人・画家のタゴールが、インドと西洋の伝統を調和させることを目的に1921年に設立した。アジャンタ石窟壁画、ラージプート絵画、ムガル絵画から印象主義、後期印象主義、シュルレアリスムまで、さまざまな研究がなされた。インドの現代画家は、アジャンタ石窟の壁画やベンガルの民衆絵画から着想をえながら、国際的にも活動している。
| V. | 宝飾、陶器、染織 |
インドの装飾美術で宝飾工芸はもっともうつくしく、国際的な関心も高い。ヨーロッパではローマ帝国の滅亡とともに失われた細線細工などの金銀細工の技法が、現在もうけつがれている。
インド陶器の特徴は、色彩と装飾が器の形態をそこなわない程度に控えめで自然なことである。釉薬をもちいない素焼き土器から、商業上の目的のために彩色や象嵌をした地方色豊かなものまでさまざまである。色鮮やかな釉薬をかけた色タイルは、11世紀以降にイスラム教徒とともにはいった。美術的な金工作品では、王侯貴族の甲冑(かっちゅう)や武器などがよく知られている。
インドは古くから絹織物、綿織物や更紗染め、刺繍で有名だった。カシミール地方は色彩豊かな毛織物のショールで、グジャラート州スーラトは絹の染織で、アーマダーバード、バラナシや西ベンガルのムルシダバードは、豪華な綴織(つづれおり)でよく知られている。