| インド美術 | 項目ビュー | ||||
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| III. | 彫刻 |
インドの先史時代の彫刻は石、陶土、象牙(ぞうげ)、青銅、金でつくられている。
| 1. | インダス文明 |
インダス川流域に前3千年紀にさかえたモヘンジョ・ダロの遺跡から、アラバスターや大理石の人形、テラコッタの女神像、陶器の動物や、動物や象形文字をきざんだ象牙や陶器の印章が発見されている。これらは素材や形式がメソポタミア文明のものとよく似ており、両者の間には交流があったとみられている(→ メソポタミア美術)。
前2千年紀~前3世紀のベーダ時代になると、中東文化との関係は明確ではなくなる。この時代の作例としてはラウリヤー・ナンダンガリで発見された前9世紀ごろの女神像がある。前600年ごろから、動物や宗教的なシンボルをあらわした貨幣が製造されるようになる。
| 2. | 仏教彫刻 |
前3世紀ごろ、仏教が盛んになると、石造の建築の表面をかざるための浮彫や丸彫の彫像がつくられるようになった。初期の仏教美術では、仏陀の姿は人間像ではなく、象徴物でしめされている。ほかに民間信仰の守護神像や仏教的な説話図が表現されている。この時代のアショーカ王石柱や、バールフットのストゥーパの周囲をめぐる装飾された垣根などの表面は本生図(ほんじょうず)や仏伝図の浮彫彫刻で複雑にうめつくされている。サーンチー第1塔の浮彫は、象牙彫刻の技法にも共通する精巧さがうかがえる。
インド亜大陸北西部のガンダーラ地方(現在のアフガニスタン東部とパキスタン北部)では、1世紀半ばごろからヘレニズム様式の影響をうけた仏教彫刻が制作された。2~3世紀に最盛期をむかえたガンダーラ彫刻は、中央アジアや中国、朝鮮、日本に大きな影響をあたえたが、インド亜大陸の他地域にあたえた影響は小さかった。→ ガンダーラ美術
インド北部のマトゥラー(現在のウッタルプラデシュ州)でも、前1世紀から仏教彫刻がつくられた。初期の作品はバールフットの彫刻と様式的に似かよっているが、1~2世紀になるとマトゥラーでは仏陀を象徴物ではなく、人間の姿で表現するようになった。
グプタ朝時代(320~550頃)の仏陀像は上品で洗練された肉体表現となっている。まとった衣はうすく、身体に密着している。ビハール州スルターンガンジで出土した青銅の仏陀像は高さ約2m、重さ約1tもある巨大なものだった。
| 3. | ヒンドゥー教彫刻 |
ヒンドゥー教彫刻はグプタ朝時代に発展した。マッディヤプラデシュ州ウダヤギリの石窟(400~600)は浮彫でかざられている。7~9世紀には地域的にさまざまな様式がさかえた。南インドのパラッバ朝の様式は、タミルナードゥ州カーンチプラムの石積み寺院の装飾にみられる。ラーシュトラクータ朝の様式は、ムンバイ湾内の小島にあるエレファンタ石窟寺院の浮彫や三面シバ神(トリムールティ)が代表的である。カシミール様式では、ヘレニズムの影響をのこしたヒンドゥー教の神像が、ビジュラブルールやバンティプールの寺院にある。
9~13世紀初頭、インド彫刻は量感よりもするどい輪郭線で人体の形態を表現しようとした。彫刻は以前よりも建築物の装飾や付属物となり、多面多臂(たひ)で複雑な図像をもつヒンドゥー教やジャイナ教の神像をあらわすため細部表現は精巧なものとなっていった。
ヒンドゥー教彫刻は(1)北部と東部、(2)ラージプート(現在のグジャラート州、マッディヤプラデシュ州、ラージャスターン州)、(3)中南部と西部の3つの様式にわけられる。北部と東部では、750~1200年にパーラ朝のもとでビハールやベンガルを中心としてさかえた。主要作例はビハール州のナーランダー寺院の彫像である。黒玄武岩を石材にもちい、初めは仏教彫刻だったが、やがてヒンドゥー教彫刻が主流となった。東北部のオリッサ州では、典型的なヒンドゥー教彫刻がつくられ、コナーラクのスーリヤ寺院は動物像や女性像、ミトゥナ(性的結合を意味する男女像)でよく知られている。ラージプートの地方様式は、ヒンドゥー教彫刻でおおわれたカジュラーホの石積み寺院で代表される。中南部と西部では、マイスールなどの寺院の表面をおおう浮彫が有名である。
イスラム教徒に支配されてからも、インド固有の建築様式は保持され、ことに南インドでは伝統を純粋にまもりつづけている。