エジプト美術
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エジプト美術
III. 古王国時代

前3100年ごろ、南部の強力な族長のもとに全土が統一された。しかし、国家が南の上エジプトと北の下エジプトの2つのはっきりことなる地域からなるという考え方はきえずにのこった。この考え方が生じた重要な出来事が「ナルメル王のパレット」(前3100頃)にあらわされている。この石の浮彫には上エジプトの王冠をつけた王が下エジプトの人々を服従させる場面がみられる。

1. 建築

初期王朝の王は、アビドスとサッカラに宮殿や神殿に似せた墓をもっていた。これらの墓から大量の陶器、石造物、高い発展段階を証明する象牙(ぞうげ)あるいは骨の丸彫が発見されている。ヒエログリフで書かれたエジプトの言語はこの時代に発展の第1段階をむかえている。

第3王朝では建築家イムヘテプがジェセル王(前2737~前2717年頃在位)のために、首都メンフィス近郊サッカラに石造の階段状ピラミッドや神殿群を建造した。王の遺品の防護を意図してつくられた階段状ピラミッドは、現存する最古の記念建造物であり、本格的なピラミッドへと発展していく最初の段階でもある。ピラミッド

第4王朝の王たちが埋葬されたギーザのピラミッドは、世界の七不思議のひとつとされており、記念建造物をたてるエジプトの建築家の能力をしめしている。ギーザ最大のクフ王のピラミッドは、約147メートルの高さで、平均2.5トンの巨石が約230万個もちいられている。ピラミッドの目的をめぐって多くの論議がつくされたが、答えは簡単明瞭である。それらは王の遺体を永久に保存し、まもるためにたてられた。それぞれのピラミッドには、ナイルの谷にのぞむ「流域神殿」と、王の遺霊を供養する儀式がとりおこなわれる葬祭神殿がある。ギーザの3つの主要なピラミッドの周りにはマスタバなどの墓地群がある。マスタバはエジプトの家屋にみられる「泥レンガのベンチ」を意味するアラビア語で、それと似ているためにそうよばれたものだが、王族、高官、廷臣、役人にしかつかわれない。これらの墓地は、ミイラや供物をおさめる部屋に通じる坑道の上につくられるのがふつうだが、なかには石積みでなく、石灰岩の台地をほりくずしてつくられたものもある。

2. 彫刻

先王朝時代の粘土、骨、象牙による初期彫像からはじまったエジプト彫刻は急速に進展した。ジェセル王の時代まで、支配者の巨像は彼らの霊魂をやどすものとして制作された。エジプトの彫刻は立方形や正面観を重んじた。初期の彫刻素材の石塊は長方形で、その正面と両側面に彫像の形取りの線がひかれた。できあがった彫像はおもに正面からみるものと思われていた。肝心なのは、その人物の本質を恒久的なイメージとしてあらわすことだったので、丸彫である必要はなかった。

エジプトの美術家は今日理解されているような「動き」の表現には関心がなかった。立像は歩行のポーズではなく、休止のポーズをとっている。人体解剖学は第4王朝時代の初めから理解されてはいたが、形態を理想化する傾向が強い。とりわけ王の像は極度に理想化され、威厳をおびてあらわされた。ギーザの第2のピラミッド建造者であるカフラー王の座像(前2530頃)は、エジプト王の彫像のきわだつ特質をすべてそなえている。国土統一を象徴する標章で装飾された玉座の王は、手を膝におき、まっすぐに頭をあげて、じっと遠方をみつめている。頭部の背後のホルス神をあらわすハヤブサは、王が「生けるホルス神」であることを象徴している。この閃緑岩の彫像はあらゆる部分が統一と均衡をたもち、神々しい王権の力強いイメージをかもしだしている。

浮彫彫刻は神殿の壁面では王を賞賛し、墓地では霊魂が永遠に必要とするものを供給するという2つの重要な役割をはたしている。一般の墓地の上部にもうけられた部屋は、生前にたのしんだり活躍したりした場面の浮彫でかざられた。人物を2次元的にあらわす浮彫や絵画にも、やはりその人物の本質をのこそうとする願望がみてとれる。そのために、典型的な描写では、頭部と下半身は真横から、眼と上半身は正面からとらえたものをくみあわせている。各部分をもっともわかりやすい視点からえがいて、全体のイメージを生みだしている。国王や貴族に適用されたこの定則または規範は、召使いや野良仕事をする人々の描写ではさほど厳格にまもられてはいない。複雑な動きの場合には、身体各部を別々の視点からえがかねばならないのは明らかだが、顔を真正面からえがくのはまれであった。浮彫は迫真的な効果をますために彩色されるのがふつうで、細部のほとんどは彩色だけですまされた。しかし純粋な絵画による装飾は古王国時代の遺跡にはほとんどみられない。

第6王朝の末期になるとエジプトの中央権力は弱まり、地方の支配者たちはファラオの墓所の近くでなく自分の領地で埋葬されることをえらんだ。この王朝時代のペピ1世(前2395~前2360頃)の銅像(前2300頃)は、最古の金属彫像である。第1中間期(第7~第10王朝)は反乱と動乱の時代であった。古王国時代の美術的伝統が細々と維持されたにすぎず、南のテーベの強力な支配者が国を再統一して、ようやく美術活動は健全な状態にもどった。