| 検索ビュー | 百年戦争 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
1337~1453 1世紀以上にわたってつづいた、イングランドとフランスの抗争。正確にいえば、戦闘が1世紀以上連続したわけではなく、1337~60年と1415~53年の2つにわけることができる。
| II. | 百年戦争の原因 |
直接の原因は、1337年にフランス国王フィリップ6世が、イングランド国王エドワード3世の領土だった、南西フランスのアキテーヌを没収しようとしたことにあった。エドワード3世は逆に、自分の母がフランス王の妹だったことを根拠として、フランスの王位を要求してフランス北部に軍をすすめた。
イングランド王とフランス王の対立の深い原因は、封建社会の中での2つの王家の複雑な関係にあった。11世紀にフランス王の臣下であるノルマンディ公ウィリアムがイングランド国王になり、さらにその子孫がフランス南西部の大領主アンジュー家と結婚していた。このため、イングランドの王はイングランドの君主であるとともに、フランス王の臣下という立場にあり、しかも結婚を通じてフランス国王の親族という資格ももっていた。また、イングランド王国の支配者でありながらフランス国内に広大な領地をもっていた。イングランド王家の領地をうばうことは歴代のフランス国王にとって大きな課題だったが、イングランド国王にとっては、フランス国王をかねることはかならずしも夢ではなかった。
さらに、両王家の対立の原因には、今日のオランダ南部から北フランスにまたがる、フランドルの争奪戦があった。フランドルの諸都市は北ヨーロッパと西ヨーロッパをむすぶ重要な商業ルートのうえにあり、また毛織物生産によって当時のヨーロッパでもっとも豊かな土地だった。軍事的には、イングランドの軍隊がヨーロッパに進出する際の入り口であり、フランスにとってもイングランドをせめる場合の出発点であった。
| III. | 百年戦争の経過 |
1338年、エドワード3世はフランス王を宣言してフランス北部をせめ、戦争がはじまった。イングランドの艦隊は40年、フランドルの港スロイスの沖でフランス艦隊をやぶり、イギリス海峡の制海権を確保した。43年、両者は3年間の休戦協定に調印したが、45年になるとエドワードはふたたびフランスにせめこんだ。翌年8月、北フランスのクレシーで、長弓をつかうイングランド軍は、機械じかけの弩(いしゆみ)をつかうフランス軍に大勝し、さらに、47年にはドーバー海峡をはさんで目の前にあるフランドルの町カレーをうばった。
1347年の休戦のあと、55年、エドワード3世の長男エドワード(黒太子)は南フランスに侵攻して北上した。彼の軍隊が56年9月、フランス軍をポワティエで撃破したため、フランスの西側のすべてがイングランド軍に支配されることになった。イングランド王はこのあとでフランス王位を要求することをやめたが、代償としてフランス西部全体の譲渡をもとめ、60年のブレティニー・カレー条約によって確認された。フランス王は王位をまもったが、領土の半分をうしなった。このあと、数次にわたる戦闘がくりかえされたが、半世紀にわたって大きな戦争にはならなかった。
大規模な戦争は1415年に再開された。エドワード3世の曽孫(ひまご)のイングランド国王ヘンリー5世はみずから軍をひきいてノルマンディに上陸し、パリをふくむフランス北部をおさえた。当時のフランス国王シャルル6世は精神を病んでおり、王族は2派にわかれてあらそっていた。一方の指導者ブルゴーニュ公(→ ブルゴーニュ)はフランス東部からフランドルにまでひろがる広大な国をきずきあげ、イングランド王とむすんでいた。20年にむすばれたトロアの和約はイングランド王ヘンリー5世のフランス王位継承権をみとめ、シャルル6世の子は一部の王族によって支持されたものの国王となる資格はみとめられなかった。
1422年、シャルル6世が死去すると、フランス北部ではイングランド王がフランス王としてみとめられ、南部ではシャルル7世が王とされた。イングランド軍はフランス南部をせめ、オルレアンの町を包囲した。シャルル7世には敵軍の圧力をはねかえす力がなかった。このとき、オルレアンの包囲をやぶり、形勢を逆転させたのがジャンヌ・ダルクだった。シャルル7世は正式に即位し、35年、ブルゴーニュ公の勢力と講和をむすび、フランス国王としての地位を確かにした。37年にはパリをとりもどし、50年代にはいってイングランド王の手にあったノルマンディ、アキテーヌなどをうばい、53年に戦争は終結した。
| IV. | 百年戦争終結の結果 |
百年戦争ののち、イングランドの領土はブリテン島に限定されるようになり、フランスの土地はフランス王の支配するところとなった。また、それぞれの国の中で大貴族の力は弱まり、国王の力が強くなった。その後、イギリスでは2つの王族があらそったばら戦争(1455~85)のあと、より中央集権的な国家が生まれ、フランスでは同じようにいくつかの王族が王位をあらそったユグノー戦争(1562~98)のあとで中央集権的な国家が誕生する。