| 百年戦争 | 項目ビュー | ||||
| 印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 | |||||
| III. | 百年戦争の経過 |
1338年、エドワード3世はフランス王を宣言してフランス北部をせめ、戦争がはじまった。イングランドの艦隊は40年、フランドルの港スロイスの沖でフランス艦隊をやぶり、イギリス海峡の制海権を確保した。43年、両者は3年間の休戦協定に調印したが、45年になるとエドワードはふたたびフランスにせめこんだ。翌年8月、北フランスのクレシーで、長弓をつかうイングランド軍は、機械じかけの弩(いしゆみ)をつかうフランス軍に大勝し、さらに、47年にはドーバー海峡をはさんで目の前にあるフランドルの町カレーをうばった。
1347年の休戦のあと、55年、エドワード3世の長男エドワード(黒太子)は南フランスに侵攻して北上した。彼の軍隊が56年9月、フランス軍をポワティエで撃破したため、フランスの西側のすべてがイングランド軍に支配されることになった。イングランド王はこのあとでフランス王位を要求することをやめたが、代償としてフランス西部全体の譲渡をもとめ、60年のブレティニー・カレー条約によって確認された。フランス王は王位をまもったが、領土の半分をうしなった。このあと、数次にわたる戦闘がくりかえされたが、半世紀にわたって大きな戦争にはならなかった。
大規模な戦争は1415年に再開された。エドワード3世の曽孫(ひまご)のイングランド国王ヘンリー5世はみずから軍をひきいてノルマンディに上陸し、パリをふくむフランス北部をおさえた。当時のフランス国王シャルル6世は精神を病んでおり、王族は2派にわかれてあらそっていた。一方の指導者ブルゴーニュ公(→ ブルゴーニュ)はフランス東部からフランドルにまでひろがる広大な国をきずきあげ、イングランド王とむすんでいた。20年にむすばれたトロアの和約はイングランド王ヘンリー5世のフランス王位継承権をみとめ、シャルル6世の子は一部の王族によって支持されたものの国王となる資格はみとめられなかった。
1422年、シャルル6世が死去すると、フランス北部ではイングランド王がフランス王としてみとめられ、南部ではシャルル7世が王とされた。イングランド軍はフランス南部をせめ、オルレアンの町を包囲した。シャルル7世には敵軍の圧力をはねかえす力がなかった。このとき、オルレアンの包囲をやぶり、形勢を逆転させたのがジャンヌ・ダルクだった。シャルル7世は正式に即位し、35年、ブルゴーニュ公の勢力と講和をむすび、フランス国王としての地位を確かにした。37年にはパリをとりもどし、50年代にはいってイングランド王の手にあったノルマンディ、アキテーヌなどをうばい、53年に戦争は終結した。